第59話 ウィルジアの悩み

 ウィルジア・ルクレールの生活というのは基本的に朝起きて王立図書館に行き、そこで日がな一日書物と向き合い、屋敷に戻るというものだ。

 実に単純で単調で、そしてウィルジアにとってこの上なく楽しくて平穏な日々であった。少し前までは。

 しかし最近、心境にある変化が生じていた。

 朝、リリカに起こされるよりも前に自発的に起きて身支度を整えるウィルジアは、鏡に映った己の体つきをまじまじと見つめる。

 全身鏡に映るのは、色が白くて華奢な体つきの、見るからに弱そうな青年の姿。

 ウィルジアは自分の腕や腹を触ってみた。筋肉が全くない、頼りない体だった。

 最近は毎日屋敷に帰るし、一日三食きちんと取っているので以前の栄養失調気味の体に比べれば肉付きが良くなっているものの、それでも虚弱な体には違いない。


 ウィルジアの脳裏に、リリカの姿が思い浮かぶ。

 リリカは筋肉質ではないものの、しなやかで健康的な体を持っているし、体幹がしっかりしているのか馬に乗っていても重心がブレない。

 先日、兄の子供のカーティスとシュルツに弓を教えている時も、矢を引き絞る腕前は見事であった。

 思い返してみるまでもなく、ウィルジアよりよほど良い体を持っているに違いない。


(…………年頃の女の子のリリカより貧弱な体つきって、どうなんだろう)


 ウィルジアは鏡の中から見返してくる、情けない体の自分をまじまじ見つめながらそんなことを思い、ノロノロと着替えを済ませてリリカが待つ厨房に向かった。


「おはよう、リリカ」

「おはようございます、ウィルジア様!」


 今日も朝から元気なリリカが厨房であくせく働きながら朝の挨拶を返してくれる。


「ちょうどパンが焼けたところです。今朝は、マフィンにしてみました」

 そう言ってリリカがパン焼き用のオーブンから取り出して見せてくれたのは、平たい円柱状の白いパンだった。表面がカリカリに焼けており、焼きたてで湯気が立つそのパンは、見るからに美味しそうである。


「この焼きたてのマフィンを切って、ベーコンとトマトと削ったゴーダチーズを載せると、とっても美味しいんですよ」

「じゃあ、冷めないうちに食べないとね。僕もさっさと調理を済ませるよ」

「今日は何を作ります?」

「オムレツにしようかな」


 そう言いながらウィルジアは、卵を手にとってパカっと割り、ボウルに入れて手早く解きほぐした。

 コンロに火をおこすと、フライパンにバターを載せて回し溶かし、卵を流し込む。

 ジュウウウッと鉄のフライパンがいい音を立てて鳴り、卵に火が通りきる前にフライパンをうまく操って卵を片側に寄せ、半分に折り畳む。頃合いに焼けたらお皿に移して完成だ。


「ウィルジア様、お料理上手になりましたねぇ」


 リリカが出来上がったオムレツを見て拍手を送ってくれた。


「リリカの教え方が上手だからね」

「いいえ、ウィルジア様の研鑽の賜物です」


 出来上がった朝食を持って二人で食堂に向かいながら、そんな会話をする。

 朝食の時間である。

 リリカの給仕で食事をするのもすっかり日常で、朝食にウィルジアが自分で一品作るのも普通の光景になっていた。後片付けまできちんと一緒にする。

 ウィルジアはリリカが作ってくれたマフィンをナイフで切って口にする。

 まだ温かいマフィンはサクッとしており、上にのったカリカリに焼かれたベーコンとトマト、そして薄く削ったゴーダチーズが絶妙なハーモニーを奏でている。


「このマフィン美味しいね」

「お口にあったようで何よりです」

「リリカは料理上手だなぁ。今度また、新しい料理教えてくれるかい」

「ウィルジア様がお望みでしたら、何なりと。でも本当は、お料理は使用人の仕事ですよ?」


 リリカは少し困ったように首を傾げつつ、そう返してくれた。


「僕が教わりたいんだから、誰の仕事とかは気にしなくてもいいよ」


 ウィルジアはマフィンを食べつつも、考える。


(料理は、リリカに教えてもらえばよかったけど……)


 しばらく黙々と口を動かしていると、リリカに控えめに問いかけられた。


「ご主人様、いかがなさいましたか?」

「あ、あぁ。なんでもないよ」


 ウィルジアははっと我に返って答え、自分で作ったオムレツを口に運んだ。ウィルジアが自分で作ったオムレツは中々美味しく、我ながら上手くできたなぁと思った。リリカのおかげでウィルジアの料理の腕は向上している。しかしそれはそれ。


「左様ですか。何か思い詰めている様子でしたので」

「えっ、そうかな」

「はい。眉間に皺が寄っておりましたよ」


 言われてウィルジアはおでこに手を当てる。


「リリカは鋭いね」

「ウィルジア様に関することなら、どんな些細な変化も見逃さないよう努めています」


 リリカは胸を張ってそう言った。もはやリリカに何か隠し事をするのは不可能なのではないかとウィルジアは思った。


「お悩みがあったら、相談してください。微力ながら力になれるように精一杯努めますので」

「うん、ありがとう。ならリリカに聞きたいんだけど」

「はい」

「リリカは、強い人が好きかい?」

「強い人、でございますか? そうですねぇ……」


 ウィルジアはリリカの答えを聞き逃すまいと、全神経を耳に集中させた。

 リリカは少し悩んでから、キッパリと答える。


「弱いよりは強い方がいいかなぁと思います」

「そっか……そうだよね」


 そしてウィルジアは肩を落とした。

 朝食が終われば職場に向かう時間である。

 リリカが御者を務める馬車に乗り込んで王立図書館に向かう途中、ウィルジアは外を眺めていた。

 王都の朝は忙しない。

 慌ただしく馬車や歩く人が行き交い、皆各々の職場へと向かっている。

 貴族は大体が馬車に乗っているが、中には自分で馬に乗っている人もいた。あれは軍部に在籍する騎士だろうか、確か二番目の兄があのような服を着ていたような気がするなとぼんやり考えながら見つめていると、やがて馬車は見慣れた通りを過ぎて王立図書館の前で停まる。


「ウィルジア様、着きました」

「うん、今日もありがとう」

「こちら昼食です」

「ありがとう」


 リリカが御者台から昼食の入ったバスケットを差し出してくれたので、受け取って礼をいう。


「では、行ってらっしゃいませ」

「行ってくるよ」


 ウィルジアは図書館入り口に近づき、中に入る前に一度振り返った。

 リリカが馬車を引いたアウレウスを巧みに操りつつ方向転換して去って行く。

 今更ながら、使用人服を着た年頃の女の子が御者をしている光景は中々に違和感があるな、とウィルジアは思った。

 図書館のホールを通り過ぎて地下の階段を下り、書庫へと入る。

 既に室長のジェイコブと、同僚のジェラールが出勤して来ていた。


「おはよう、ウィルジア」

「おはようジェラール。……おはようございます、ジェイコブさん!」

「んああ、おはよう」


 ウィルジアはジェラールに普通に挨拶をし、耳の遠いジェイコブに向かって大声で挨拶をした。

 自分の席につき、書物を引っ張り出し、机に向かう。

 ページを捲って視線で追いかけるが、なんとなく頭に入ってこなかった。

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