第57話 和解とそれぞれの決意

 間一髪、間に合ってよかったわとリリカは胸を撫で下ろした。

 子供が草をかき分けて進んだ跡をたどり森の中を進んでいたが、途中で足跡を辿るのが難しくなり、なかなか本人たちが見つからずに焦っていたところに熊の雄叫びと子供たちの悲鳴が聞こえた。

 声を頼りに進んでみると、木立の影から二人が今まさに熊に襲われんとしている姿が見え、リリカは焦った。

 このままでは間に合わない。リリカが二人の元に辿り着く前に、おそらく熊に食い殺されてしまうだろう。

 そう考えたリリカは迷わずに弓矢に手をかけ、弓を引いた。林立する木立にぶつからないよう、間違っても双子を傷つけないように、熊の右目に狙いを定める。

 リリカの研ぎ澄まされた神経と、類い稀な集中力が遺憾無く発揮され、放たれた矢は寸分違わず熊の右目を射抜く。


 ーーまだ!


 リリカは気を抜かず二本目の矢を弓につがえて引き絞る。矢が突き刺さり苦悶しながら動く熊の左目に、矢が刺さった。

 リリカは動いた。

 アウレウスをその場に残して二人のもとに駆け寄って熊から守るように立ちはだかる。そうして太ももに括り付けてあった短剣を素早く抜き取ると、熊の動脈を分断するべく喉元を迷いなく切り裂いた。

 飛び散る血飛沫を浴びつつも、確実に熊の命を屠るべくリリカは短剣を駆使する。

 そうして熊が動かなくなったのを確認したリリカは、二人をアウレウスに乗せ、一目散に屋敷を目指した。

 屋敷に戻ると、心配して待っている面々に出迎えられた。

 ハリエットは双子の無事に心から安堵している様子だったし、ユーフェミナはルシアを抱っこしたまま泣き崩れ、乳母も泣いていた。ハイリーとアリシアも安心しているようだった。

 ウィルジアはアウレウスを馬小屋に戻したリリカの元へとやって来て、返り血を浴びまくったリリカを見下ろして眉間に皺を寄せた。


「……リリカ……怪我は」

「ございません。これは全て熊の血です」

「そう」


 ウィルジアは言いながら、リリカの頬についた血を拭い、深いため息をついた。


「……心配した」

「ご安心ください、お二人とも無傷でご無事でした」

「それもだけど。そうじゃなくって。リリカに何かあったらどうしようって」

「私ですか?」

「うん。リリカは何でもできるし頼もしいけど、女の子だろう。もしも怪我でもしたら……いや、命を落としたらと思うと、いてもたってもいられなかった」


 リリカの頬に手を添えたまま目を細め、ウィルジアは本気で心配そうな表情でリリカを見つめる。どきりとした。


「あの……すみませんでした」

「いや。僕がついて行ければいいんだけど、こういう時には絶対役に立たないだろうから」


 自嘲するウィルジアの笑顔は痛々しい。リリカはウィルジアに、こんな顔をさせたいわけではない。そっと頬に当てられている右手に手を重ねると、ウィルジアに言った。


「ウィルジア様。私、ウィルジア様にご心配かけないよう、もっともっと武芸の腕を磨いて精進いたします」

「……うん?」

「『リリカがいれば、百人の兵士とて赤子の手をひねるようだ』と言われるくらい頼りになる存在になれるよう、頑張ります!」

「いや、そうじゃなくって。ていうか僕の下で働いていてそんな危険な目に合うことってそうそうないからね?」

「何が起こるか分からないのが世の常です。頑張ります」

「なんか違う……」


 眉尻を下げたウィルジアの胸の内を知らないリリカは、もっともっとご主人様に頼っていただける使用人になれるよう頑張らなければ、と心に誓った。

  

◆◇◆


 双子が帰って来たので、遅めの昼食を皆で取ることにした。

 返り血を落として新たな使用人服に着替えたリリカが作った、お子様用ハンバーグオムレツを、双子は目を輝かせて食べてくれた。

 あんなに恐ろしい目に遭ったばかりなので食欲を失っているかもしれないとリリカは心配していたのだが、予想に反して二人はモリモリと昼食を食べてくれた。


「怖い目にあったから、お腹が空いた」

「これ美味しいね!」


 と言いながら、おかわりまでしてくれた。

 昼食の後には全員で庭に出る。

 双子をみすみす外に逃してしまった失態を悔やんでか、ハリエットが連れて来た護衛は庭で遊ぶ一家を絶対に見逃すまいと目を皿のようにして見つめていた。

 そんな風に護衛に見つめられながら、リリカとウィルジア、そしてハリエット一家は庭でくつろぐ。

 ウィルジアはなぜか、ルシアに気に入られたらしく、一緒に庭を散歩していた。

 二歳のルシアが庭にたくさん咲いているマーガレットを指差しながら、ウィルジアに話しかける。


「ウィルおじさん、おはなとってぇ」

「いいよ。これかい?」

「うん、そのしろと、ピンクと、あとはーきいろも!」


 ウィルジアはルシアが指差す花を、律儀に摘んでいた。


「これでいいかい?」


 抱えた花束をルシアに手渡すと、ルシアはそれを「ありがとう」と受け取ってから今度はリリカに差し出してきた。


「これではなかんむり、つくって!」

「いいですよ」


 リリカはニコニコしながら花冠を作った。マーガレットは色とりどりで、淡い色合いが可愛らしい花冠が出来上がる。


「はい、どうぞ」

「ありがとうー」


 ルシアは出来上がった花冠を持って、なぜかウィルジアの元へ、ととと、と歩いて行った。そして精一杯背伸びをして、しゃがんだままの体勢のウィルジアの頭にできたばかりの花冠をポンと乗せた。

 頭に花冠を乗せられたウィルジアは、少し困り顔をした。


「これ……」

「おじさん、にあってる! かあいい!」

「そう? ありがとう」


 苦笑するウィルジアがリリカの方を向いたので、リリカも頷いた。柔らかい金色の髪に乗った花冠は、確かに優しい顔立ちのウィルジアにとてもよく似合っている。


「ウィルジアさま、お似合いです」

「あはは。しばらくは外せないね」

「おじさん、次はあっちでお魚みよう!」


 ルシアはウィルジアの手をグイグイ引っ張って川へと近づいて行った。

 ハリエットとユーフェミナとハイリー、アリシアの三人はガーデンテーブルで紅茶を飲みつつ、皆の様子を穏やかに見つめている。


「ウィルが小さい子といるのを見るのは珍しい」

「ルシアはすっかりウィルジア様に懐いたのね」


 ユーフェミナの言葉にハイリーが頷く。


「ウィル叔父様、優しい雰囲気なのでルシアもきっと打ち解けたんでしょう」

「叔父様の講義、興味深かったです。他国のことだけでなく自国についても勉強しようって思いました」


 アリシアも同意する。

 そして双子はというと、花冠を作り終えたリリカの元に近づくと、意を決したようにこう言った。


「リリカ。弓矢を教えてくれよ」

「ぼくにも」


 熊に襲撃されるという恐ろしい目に遭った二人は、恐怖体験を経て弓の腕前を磨きたいと思ったらしい。

 キラキラとした瞳で見上げられたリリカは困ってしまってハリエットとユーフェミナを見た。


「お前たち、懲りないな」


 父に険しい顔で見つめられた双子は怯んだ。が、ハリエットは腕を組んでしばし悩んでから、こう言葉を続ける。


「……まあ、自衛手段にもなるし少しくらいはいいだろう」


 顔を輝かせた双子に腕を引っ張られ、リリカは二人に弓を教えることになった。

 裏庭に的を立て、二人に弓の指導をする。

 二人はリリカの言うことを真面目に聞き、真剣に弓を引いた。

 そんなやりとりを、共に裏庭へとやって来たハリエットとユーフェミナの二人は眺めていた。


「あらあらあら、あの二人の生き生きとした表情をご覧になって、あなた」


 ユーフェミナの言う通り、弓を引いているカーティスとシュルツの顔は机に向かって勉強している時の数十倍は真剣である。


「やっぱり誰しも得意不得意があると思うの。私は得意分野を伸ばしてあげるのがいいと思うんだけれど。苦手なことを押し付けられたって、きっと上手くいかないわよ」

 ユーフェミナはハリエットの顔を伺うようにして見つめてくる。

「……確かにな」


 ハリエットは、弟のウィルジアを思い浮かべた。

 王宮にいた時のウィルジアは様々なことを強制されて嫌で嫌で仕方がなさそうで、皆に叱られては萎縮していた。

 何をやっても上手くできないのでやる気を失い続けていたし、自信も喪失していたように見える。

 今は、どうだろう。

 書斎でハイリーとアリシア相手に歴史を語るウィルジアは楽しそうだった。ルシアに花冠を乗せられたウィルジアの表情は、満更でもなさそうだった。

 やりたいことをやるというのは、きっと大切なのだろうな、とハリエットは思った。

 そんな夫の心境の変化に気がついたユーフェミナは、ふふっと笑いを漏らし、弓の手ほどきを受ける双子を見つめた。


「ところでリリカさんは、短剣だけじゃなくって弓も扱えるのね」

「あの使用人は本当に何なのだろうな」


 それはウィルジアにさえ知る由もないことだった。

 あっという間に時間が過ぎ、夕方近くになってハリエット一家が帰る時間となった。

 門の前でウィルジアと、一歩下がって立っているリリカが見送る。


「今日は色々と参考になりました、ウィル叔父様」

「今度は王立図書館を案内してもらえませんか?」


 とハイリーとアリシアが尋ねたので、ウィルジアが頷く。


「いつでも歓迎するよ」


 双子はもじもじとリリカを見上げている。キラキラとした瞳は、尊敬の眼差しだった。


「助けてくれてありがとう」

「弓、教えてくれてありがとう」

「いいえ。お安い御用です」


 リリカは二人にそう応じた。


「世話になったな、ウィル。お前が楽しそうに生活しているのがわかってよかった。それと君には、双子を助けてもらって本当に感謝している」

「今度は我が家にも来てくださいね」

「おはなかんむり、ありがとー!」


 ハリエットが礼をいい、ユーフェミナが自宅招待し、ルシアは未だ被ったままの花冠を触りながらご機嫌に行った。

 二台の馬車に乗ってハリエット一家が去っていくのを見送る。


「賑やかで楽しい一日でしたね、ウィルジア様」

「うん、そうだね。途中でひやっとしたけど。……あんまり危険なことはしないで欲しい」

「はい。肝に銘じます。今後はウィルジア様にご心配をおかけすることのないよう、有事の際にはもっと迅速に救出に向かいます」

「そうじゃないけど……」


 ウィルジアはリリカの返答に、眉尻を下げて困ったような顔をし、それから話を続ける。


「僕、屋敷に誰か来るなんて面倒なだけだと思ってたけど、悪くないものだね」

「はい、私もそう思います」


 リリカといると、考え方がどんどん変わっていく。

 今まで億劫で苦痛だったことも、楽しくなっていく。

 一体どんな魔法を使っているのだろうかとウィルジアは思い、リリカの横顔を見た。


「リリカはすごいね。君といるとどんなことでも楽しくなってくる」

「それは何よりでございます。私も、ウィルジア様といると毎日が楽しいですよ!」


 それは、二人にとっての心からの本音で。

 ウィルジアがこれまで生きてきた二十年間より、リリカが来てからの数ヶ月の方が充実した日々を送れているなぁとウィルジアは思ったのだった。


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お読みいただきありがとうございました。

今話で4部終わりです。

次からは5部に入ります。

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