第56話 ボーイ・ミーツ・熊
「ねえカーティスにいさま、勝手に出て来ちゃって大丈夫だったかなあ」
「大丈夫に決まってるさ」
双子のカーティスとシュルツは胸元まで生える草をかき分けながら、森の奥に向かって歩いていた。
「とうさまはいっつもぼく達を怒ってばっかりで、ぼく達の気持ちをわかろうとしてくれないんだから。ぼく達がいなくなってちょっとはあせればいいんだ」
カーティスは怒っていた。
川に落ちたシュルツを心配しないばかりか叱りつけたという父に、それはもうとっても腹を立てていた。
だからカーティスは一計を案じた。
「裏庭を見に行ってくる」と行って大人達の目をかいくぐり、踏み台になりそうな洗濯桶を見つけるとそれをひっくり返してよじ登り、鉄柵を乗り越え森の中へと出た。護衛に見つからないように慎重に、静かにだ。シュルツは若干不安そうな顔をしていたが、結局ついて来た。
「どうしてとうさまは、ぼく達に勉強ばっかり押し付けるんだろうな。僕だって剣や弓をかっこよく使いたいのに」
カーティスの言葉にシュルツも頷いている。
「ぼくは軍部に行きたいなぁ。エドモンドおじさまに剣の稽古をつけてもらいたい」
「ぼくもさ。一度見た叔父様の剣の腕はすごかったよねぇ。こう、相手を一撃でシュッとやっつけるんだ! シュッと!」
二人は一度、父にせがんで騎士の御前試合を見に行ったことがある。
二人の祖父にあたる国王陛下の前で行われたその試合で、エドモンド叔父上が華麗に剣を奮って相手を倒す様は見ていて痺れた。あの時から二人は「剣を習いたい!」とずっと言い続け、父に却下され続けていた。
「父上はさぁ、自分のりそーを押し付けすぎだよね」
「そうそう」
二人は拾った棒切れを振り回しながら森の中をあてもなく歩く。
「僕も剣を使いたいよー」
「エドおじさまは、こーいう森の中で熊とか獣を退治したりもしてるんだよね」
「かっこいいよなー」
「ねー」
双子が会話をしながら棒を振り回し森の中を歩いていると、突如がさっと第三者が草をかき分ける音がした。まさかもう追いつかれたのかと振り向くと、誰もいない。
「…………? シュルツ、今物音したよな」
「うん。たしかに聞いたよ」
二人は立ち止まり、周囲の様子を探った。
森の中はシーンとしており、時々木々の梢が風にそよぐ音や鳥の鳴き声以外、何も聞こえない。
「気のせいかな……?」
我に帰ると、結構森の奥深くまで来てしまっていることに気がついた。
森の不気味な雰囲気にシュルツが怖気付き、カーティスの袖を引っ張る。
「ねえ、にいさま、そろそろウィルおじさんのお屋敷に戻ろうよ」
「あ、ああ。そうだな」
二人はそうして方向転換してお屋敷に帰ろうかなと元来た道を戻り出す。が、行けども行けども屋敷は一向に見えてこなかった。
「にいさま、もしかしてぼく達迷子になったんじゃ」
「ば、馬鹿だな。そんなことあるわけないだろ」
カーティスは迷子になったという事実を認めず、否定する。
「大丈夫、もう少し歩いたら見つかるって! こっちこっち!」
カーティスは自信満々でシュルツの手を引きながら適当な方角に歩いていく。
歩くほどに針葉樹が所狭しと並び生え、道は無い。
「……いたっ」
「大丈夫か、シュルツ」
「うん。膝ちょっと擦りむいただけ」
シュルツが木の根に足を取られてつまずき転んだ。カーティスが傷の具合を見ようとしゃがみ込んだ瞬間、パキッパキッと枝葉が折れる音と、重い足音が聞こえた。
なんだろうか。
何かとてつもなく嫌な予感がした。
見てはいけない何かがいるような。
しかし、目を上げた方がいいような。
意を決して振り向くとそこにはーー巨大な熊が二人を見下ろしていた。
「わっ……」
「く、クマだ!」
身の丈二メートルはあるだろう熊の出現に、二人は慌てふためいた。春先の熊はお腹を空かせており、獰猛であると聞いたことがあった。聞いた時は「ふーん」くらいにしか思っていなかったのだが、実際に目の当たりにすると腰が抜けて動けなくなるほどに恐ろしい。
熊は血走った目で二人を見据え、口から涎を垂らしている。
「ひえっ」
「わあああ!」
熊が咆哮を上げ、二人を食べようと襲いかかってくる。あまりの恐怖に一切足が動かなくなった二人は、迫り来る死から目を逸らそうと抱き合い目を瞑った。
瞬間、馬が駆ける音が近くから聞こえ、続けて熊が悶え苦しむ声が聞こえた。
「…………?」
恐る恐る目を開けると、熊の右目に矢が突き刺さっていた。
なんだ、一体誰が、どうして、とカーティスがパニックになっていると、もう一本の矢が木立の隙間を縫って飛来し、的確に熊の左目に刺さる。
「お二人とも、その場を動かないでください!」
力強い声がしたかと思うと、紺色の裾長の使用人服を着たあの使用人が二人の前に降り立った。リリカは使用人服をはためかせ、太ももから短剣を抜き取ると、眼前でのたうち回る熊の喉元に向かって振り下ろす。
熊は血飛沫を飛ばしながら断末魔の悲鳴を上げてばったりと倒れ、動かなくなった。
「え…………」
「わ、うあ……」
森の中に再びの静寂が訪れた。
何が起こったのか全く理解できず、ただただ尻餅をついてリリカと動かなくなった熊を交互に見つめていると、リリカが振り向いた。べったりと熊の返り血を浴びている。
「血の匂いを嗅ぎつけて、他の獣がやって来るかもしれません。急いで屋敷に戻りましょう」
「あ、うん」
「うん」
カーティスとシュルツは言われるままに頷くと、リリカに手を引かれて立たせてもらった後、近くにいた馬に三人でまたがりその場を去った。
戻る途中、助かったんだなという気持ちが遅れてやってきて、続いてあの熊の威容を思い出し恐ろしくなり、カーティスの体が小刻みに震えた。後ろでカーティスに抱きつくようにして乗っているシュルツの体も同様に震えていた。
「怖かったですね。でももう大丈夫ですよ」
二人の体を丸ごと包み込むようにして手綱を握って馬を操るリリカが、優しく声をかけてきてくれた。
振り向くと、瑠璃色の瞳と目が合う。
「うん……ありがとう」
「……ごめんなさい」
「ご無事で何よりでした」
リリカはニコッと優しく二人に微笑みかけてくれた。
赤茶色の煉瓦造りの屋敷が見えると、心の底から安心感が込み上げてくる。
「あ、リリカ! 大丈夫かい?」
ウィルジアが近づいてきて鉄扉を開けて三人を中に招き入れると、リリカが「はい」と答えた。カーティスとシュルツの二人は、リリカに手助けしてもらい馬から降りる。降りると二人の上に影が落ち、見上げるとそこには明らかに怒っている父の姿があった。カーティスは、絶対にものすごく怒られるに違いないと思い、熊にあった時と同じくらい怯えた。
「と、とうさま。あの……」
「お前たちは、何をやってるんだ。死んでいたかもしれないんだぞ」
「ごめんなさい……」
父はしゃがんで目線を二人に合わせると、緑色の瞳で覗き込んでくる。
カーティスとシュルツが二人で肩を寄せ合い、怒声が飛んでくるのを待っていると、背中に手を回されて抱き寄せられた。
「……心配した……」
父の手が小刻みに震えているのに気がつき、とんでもないことをしでかしてしまったんだな、と改めて思ったのと同時に、なんだかものすごく安心して涙が込み上げてきた。
「とうさま、ごめんなさっ……」
「……ごめんなさいっ……うぐっ」
父の腕の中で、カーティスとシュルツの二人は大声で泣き喚いた。
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