第55話 ハリエット一家がやってきた⑤

「シュルツ様、大丈夫ですか!?」

「うっ、ぷはっ!」 


 とはいえ所詮、リリカが作り上げた観賞用の小川なので、水深五センチほどの浅い川だ。すぐさま駆け寄って引き上げると、体の前部分がびっしょり濡れたシュルツが頭を左右に振って水滴を跳ね飛ばした。

 カーティスを見ていた乳母が悲鳴を上げた。


「た、大変、すぐにお着替えをしませんと……!」

「お屋敷に着替えを用意してあります。シュルツ様、こちらへいらっしゃって下さい」


 リリカはシュルツの手を引っ張って屋敷の中へ駆け込み、二階の客間に上がった。カーテンを閉めてからびしょびしょの衣服を全部剥ぎ取って丸裸にし、タオルを被せて水を拭き取る。それから用意してあった服を着せていく。シュルツはリリカにされるがままだった。


「少し大きいので、袖部分は折らせていただきますね」

「うん……」


 リリカが服を整えていると、シュルツはまだ濡れた前髪の隙間から、リリカを伺うように見る。


「……怒んないの?」

「はい?」

「みんな、僕とカーティスにいさまが何かすると怒るんだけど」

「あら」


 リリカは瑠璃色の瞳をパチパチしてから、笑いかけた。


「怒りません。子供が元気なのは、良いことですから。それよりも駆けつけるのが遅く、申し訳ありませんでした。お怪我がなくて何よりでございます」

「……最初はこわい人なのかと思っていたけど、リリカはいい奴だな」


 シュルツはにぱっと笑った。あどけない五歳児の微笑みは、非常に可愛らしい。それに顔立ちがどことなくウィルジアに似ているので、リリカとしては愛さずにはいられない。


「シュルツ様、お可愛くていらっしゃいますね!」

 思わずそう言うと、シュルツは顔を赤くして、

「可愛いなんて言われても、嬉しくないし! ぼくはかっこいいと言われたい!」

と言っていた。

 そんなやりとりをしていると、客間の扉が盛大に開いてハリエットがやって来た。何やら額に青筋を浮かべ、怒っている様子である。


「シュルツ、何をやっているんだ。人の家で迷惑をかけてはいけないだろう。それに川を覗き込むなんて危ない真似はよすんだ。何かあったらどうするつもりだ」

「…………」

「ほら、顔をあげなさい。きちんと迷惑をかけたことをお詫びするんだぞ」


 ハリエットが客間に入って来てシュルツの肩に手をかけてそう言うが、シュルツは父の手を払いのけた。ハリエットの目が細くなり、剣呑な色が宿る。


「シュルツ」

「うるさい、とうさまにぼくの気持ちなんてわかるもんかっ!」


 シュルツはそのまま客間を飛び出す。


「あ、シュルツ様」

「放っておいてくれて構わない。どうせカーティスに泣きつきに行ったんだろう。……全くあの息子ときたら、ちっとも言うことを聞かないんだ」


 ハリエットは息子が去って行った扉を見ながら嘆息した。

 リリカが窓の外を見ると、ハリエットの予測通りシュルツはカーティスのところに走って行って泣きついているようだった。


「兄上、もう少し優しく言ったらどうだい」

「ウィルか。見ていたのか」

「うん。まあ」

「人様の家に来てあれじゃあ、先が思いやられる。シュルツは私の息子として、王家の一員としての自覚をもっと持つべきだ」

「理想を押し付けるのは良くないと僕は思うよ」

「だが……」

「まあ、もう少し大きくなったら落ち着くんじゃないか? 少なくともエド兄上よりは全然大人しいと僕は思うけど」

「エドか……あれと一緒にされたんじゃたまったものではないが。確かにな」

「だろう? だからきっと大丈夫だよ」


 ハリエットはウィルジアの言葉を噛み締めてから、ゆっくりと頷いた。


(さすがご兄弟。気持ちがわかるのね)


 リリカはウィルジアがハリエットを説き伏せたのを見て、もうこれで大丈夫かしらと考える。


「では、そろそろご昼食にしますので、お庭にいる皆様を呼んで参ります」


 そうしてリリカが庭に出たところで、事態が急変した。

 ルシアお嬢様を抱えた乳母とユーフェミナ様が庭の中をうろうろしながら双子の名前を呼んでいる。


「いかがなさいましたか?」

「大変なんです、カーティス様とシュルツ様の二人が見つからなくって……」

「さっき、裏庭を探検してくると言っていたんだけれど」

「裏庭ですか?」

「えぇ。そんなに隠れるようなところもないと思ったのですが……」

「探しましょう」


 リリカを先頭に裏に回って二人の姿を探すも、やはり見つからなかった。しかし洗濯物を干している一区画でリリカは不自然な箇所を発見した。

 いつもリリカが綺麗に並べて乾かしているはずの洗濯用の桶が、不自然にひっくり返って柵の近くに置かれていた。近づいて見てみると、足踏みのようにして使われた可能性がある。


「まさか、お二人とも、柵を登って外に脱出されたんじゃ」


 リリカの言葉に、この場にいる全員が青ざめた。


「うちから連れて来た護衛は、門の前にいるけれど……」

「坊っちゃまたちは隠れるのがお上手ですから、見つからないようにして奥に行った可能性がありますよ」


 そして嫌な予感が胸を駆け抜け、リリカは叫ぶ。


「……森は広いですし、奥には冬眠から目覚めてお腹を減らした熊がうろついているんです。何かあったら只事ではありません!」

「えぇっ」

「ど、どうしましょう。騎士を呼びますか?」

「それだと間に合わないかもしれません。ひとまず護衛の方に、ご説明をお願いできますか」

「ええ。あなたは?」

「私は森にお二人を探しに行きます。今ならまだ、そんなに遠くには行っていないでしょうから」


 リリカは迷わず準備を整えた。馬小屋に行き、立てかけてあった弓矢を背負い、アウレウスに鞍を装着して素早くまたがる。


「リリカ、どこ行くんだい!?」

 屋敷から出て来たウィルジアが声をかけたので、リリカは振り向きざまに言った。

「私、双子のぼっちゃま達を探して参ります! 昼食の準備には間に合うよう、二人を連れて戻りますので!」


 そして屋敷の鉄扉を開け、屋敷の裏手に回ると、双子が脱出したであろう場所から草をかき分けた跡を辿って森の奥へとアウレウスを駆けさせた。

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