第53話 ハリエット一家がやってきた③

「えーっと……」


 こうした場に不慣れなウィルジアは、どうすればいいのだろうかと考える。

 するとそれを見越していたであろう兄から声をかけてきた。


「ウィル。二人がさっき言っていたように、歴史の勉強を見てやってくれないか?」

「あ、うん。わかった。じゃ、書斎に行こう」


 ウィルジアは三階の書斎に兄一家を案内する。階段を登っていると、兄が声をかけてきた。


「入っていいのか?」

「いいよ。今、綺麗になってるし」

「そうじゃなくて。書斎はあまり人を入れる場所じゃないだろう」

「あぁ……」


 確かに、書斎というのは屋敷の中でもプライバシーの高い場所だ。限られた人物しか招き入れないという貴族も多い。かくいうウィルジア自身も、この屋敷に住み始めてからずっと自分以外の人間を立ち入らせたことはなかった。それこそリリカが来るまで、使用人すら入れないようにしており、おかげさまで部屋はひどい有様だった。

 しかしリリカが来たことで、ウィルジアの心境には変化が生じている。


「そうそうある機会じゃないから、いいよ。書斎の方が本がたくさんあるから、二人が何に興味があるのかわかりやすいし」

「そうか」


 ウィルジアを見る兄の顔は優しげだった。

 三階に上って廊下を進み、書斎の扉を開けて三人を招き入れる。

 中に入るとすぐ、ハイリーとアリシアの二人は「わあ」と声を上げた。


「本がたくさん」

「全て歴史に関する本ですか?」

「うん、そう。君たちの屋敷にも本はあるだろう?」

「はい。父が集めてくださった、外国語や外国に関する本ならたくさんあるのですが」


 ハイリーの言葉に、兄らしいなとウィルジアは感じた。きっとハリエット一家の屋敷の中は、外交官に必要な知識を得られる本がぎっしり置いてあるのだろう。


「……海を渡って交易のあるオースティン王国とアシュベル王国に関する始まりの歴史は知ってるかい?」


 ウィルジアの問いかけに、ハイリーとアリシアは目を見合わせて首を横に振った。


「いえ」

「オースティン王国の特産品がアーモンドとレモンと葡萄酒と銀細工製品であるというのは知っていますが……」

「実は二つの国の歴史は、結構長い。交易が始まる前、アシュベル王国の調査団がオースティン王国の前身であるオースト王国に行ったのが始まりで……」


 ウィルジアは一冊の本を本棚から抜き出し、該当のページを捲って説明を開始した。

 書斎の中は静けさに包まれていた。

 ハイリーもアリシアもかなり優秀で、別にウィルジアが教えることなんてないんじゃないかなと思ったが、それでも熱心にウィルジアの講義を聞き、わからない部分があれば質問をしてきた。

 ウィルジアの声と、ハイリーとアリシアが時折投げかけてくる質問と、それから羽根ペンが紙に擦れる音だけが響く。兄のハリエットは子供たちが勉強している様子をあたたかく見守っていた。


「……じゃあ、ここまでの内容をまとめておこうか」


 はい、と二人が頷いて、本とウィルジアが書いたメモとを見つつ自分たちなりにまとめていく。

 二人が作業に没頭しているのを見た兄が、ウィルジアの方を向いて話しかけてきた。


「ウィルは教えるのが上手いな」

「え? そうかな」

「ああ。丁寧だし、ちゃんと二人がつまずいたらわかるまで繰り返して教えてくれただろう」

「どうだろう……無意識だったけど」

「昔より口下手が治ったんじゃないか」

「そうかな。自分だとよくわからない」

 ウィルジアが首を傾げると、ハリエットが目を細めて笑った。

「いつも髪を伸ばしてうつむき加減だったウィルがこざっぱりして垢抜けたし、どういう心境の変化だ?」

「うーん……心境の変化というか……リリカによって強制的に整えられたというか……」

「あの使用人にか?」

「うん。僕の評判が良くないのは見た目のせいだからって、髪を切られた」


 ウィルジアは最初に髪を切ることになった事態を思い出して思わず苦笑を漏らした。

 切った当初は長年伸ばしていた前髪がなくなってスースーして落ち着かなかったものである。今でもたまに、顔を隠したい時などに前髪を引っ張る癖が出るが、それでも最初に比べれば随分と慣れた。


「なんだ、ウィル。随分と楽しそうで良かった」

「え、楽しそうな顔してたかい?」

「ああ。見た目だけじゃなくて、表情がまるで見違えるように明るくなった」

「そうかな……」

「きっと今の生活がウィルに合っているんだろうな。王宮にいた頃のウィルは、いつも人目を避けて隠れるようにして生きていたから」


 確かに、今の生活をウィルジアは気に入っている。王位継承権を放棄し、王宮を出て、誰に何を言われるわけでもなく森の中の屋敷と王立図書館を行き来する生活は自分にとても合っていた。

 けれどそれだけじゃ、ここまでウィルジアは変われなかっただろう。

 ウィルジアが変わったのは、ウィルジアを変えてくれたのは。


「……きっと、リリカが来たからだろうなぁ」


 柔く微笑んだウィルジアは、リリカは何をしているだろうかと窓から外を見てみた。すると兄も窓辺に近づき見下ろしてきた。

 そこでは、リリカの整えた庭で遊ぶ一行の姿が見えた。

 二歳のルシアの頭に花冠を被せる兄の妻のユーフェミナ。虫取り網で蝶を捕まえようとするカーティスと、それを見守る乳母。

 それから、ウィルジアとハリエットが見る目の前で、シュルツが盛大に川に落ちてリリカが救出する場面が展開された。

 あちゃあとウィルジアが思いつつ見つめていると、隣のハリエットが窓枠を力一杯握りしめ、額に青筋を浮かべ、怒りの滲んだ声を出す。


「……シュルツは、一体何をやっているんだ!」


 それから部屋を出て行ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る