第49話 ウィルジアの屋敷に行こう

「なんだって? ウィルの屋敷に?」

「はい。気分転換に行ってみてはどうかと、エレーヌ様が」


 ハリエットは突如妻から相談された話に耳を疑った。

 末弟のウィルジアの屋敷は王都近郊に広がる森の中にあり、かつて王家の人々が別荘のようにして使っていた屋敷なのだが、あまり近寄りたい場所ではない。

 何せ鬱蒼と繁る針葉樹のせいで森の中は薄暗く、屋敷は荒れ放題で見るも無惨な状況だともっぱらの噂だった。そしてそんな場所に平然と住むウィルジアの神経を家族全員が疑っていた。


「広々とした森の中で遊ばせれば、カーティスとシュルツの気も済むだろうと。それにウィルジア様のお屋敷はとても居心地が良く、屋敷で働くリリカという使用人がとても素晴らしいと王妃様がおっしゃっていて」

「母上が使用人を褒めるなど、珍しいこともあるものだ」


 ハリエットの知る限り、母はここ最近は侍女に対しては怒鳴り散らしている姿しか見ていない。


「なんでも王宮の王妃様付きの侍女の教育も行ったとかで、おかげさまでエレーヌ様は快適な王宮生活を送れるようになったと喜んでいました」

「なぜウィルのところにいる使用人が母上の侍女の教育をしたんだ?」

「さあ……」


 ハリエットの至極最もな疑問にユーフェミナは首を傾げた。


「まあいい。ウィルのところか……考えたこともなかったな」


 ハリエットはウィルジアについて思いを巡らせる。

 ハリエットとウィルジアは歳の差が十歳もあるので、あまり関わったことがなかった。何せウィルジアが五歳の時、ハリエットはすでに十五歳でバリバリに外交官として働いている。まだ小さな弟に構っている暇などなかったのだ。

 ただ、年中引きこもって歴史の本ばかり読んでいるので、見かねたハリエットがウィルジアの読んでいた本を取り上げて代わりに外国語の本を置いておいたところ、小刻みに震えて絶望感を露わにしていたことだけは覚えている。小さい子をいじめているようで罪悪感がすごかったので、すぐに本を返してあげた。


「たまには役に立つ本を読んだらどうだ」

と言ったところ、

「すみません……」

 と小さな声で呟き、半泣きになっていたので、どっちにしろ罪悪感がすごかった。


 王族にあるまじきメンタルのウィルジアに、どうしたものかと周囲が困り果てていたのは覚えている。

 とはいえウィルジアは人畜無害だ。

 二番目の弟のエドモンドのところに行くと言うならば全力で引き留めるが、ウィルジアならば悪いようにはしないだろう。

 この間の夜会ではびっくりするくらい野暮ったさが抜けたので、身なりにも気を使うようになったようだし、その調子でおそらく屋敷も綺麗にしたに違いない。何せ母が「居心地がいい」と評価するくらいなのだから、子供を連れて遊びに行ったとて問題ないに違いない。

 そう考えたハリエットは、小さく頷いた。


「手紙を出しておこう」

「ありがとうございます」


 ハリエットは妻にそう請け負うと、早速書斎にて机に向かい、はたと考えた。

 ーー一体なんて書けばいいんだろう。

 ハリエットはウィルジアに手紙を書いたことなど一度もない。

 そもそも会話すらあまりしたことのない弟である。

 王宮内で武器を振り回し、誰彼構わず模擬戦を申し込む二番目の弟のエドモンドとは口論をしていたし、政策文章をよく読んでいて今現在は父である国王の補佐官をしている三番目の弟のイライアスとは仕事上の話などもするが、ウィルジアに関してはまともに話す機会がほとんどなかった。

 ウィルジアは基本的に人目を避けてコソコソ隠れるようにして生きていたし、ハリエットは結婚を機に王宮を出てしまっていたので、会う機会がなかったという理由もある。

 諸外国の重鎮とのやりとりは苦もなくこなすハリエットだったが、実の弟に宛てて送る手紙に関してはなんと書けばいいか思い浮かばず、結構な時間を机で過ごした挙句にかなり無難で簡素な内容に仕上がってしまったのだった。


◆◇◆


 太陽の光が森を照らし、爽やかな風が吹き抜ける。

 リリカはコーヒーポットを持って、そっとガーデンテーブルに座るウィルジアに近づいて行った。


「ウィルジア様、食後のコーヒーをもう一杯いかがでしょうか」

「ありがとう、もらうよ」


 ウィルジア・ルクレールは最近毎日の朝食を庭で取っている。

 リリカが整えてくれた庭が存外居心地が良く気に入っているからだ。

 春も盛りの今、朝から庭にいても全く寒くなく、むしろ陽光によって屋敷内にいるよりも暖かいくらいだ。

 リリカが磨き上げたガーデン用のテーブルと椅子でくつろぎながら朝食を取るひとときは穏やかで癒しの時間だった。

 庭には今が盛りと種々の花が咲き乱れ、中央にある池からはこんこんと水が湧き出て、細く蛇行する小川には小魚が泳いで、清涼な水が流れている。

 花の芳しい香りに誘われてミツバチや蝶がやって来るし、小鳥の姿さえも見えた。

 ウィルジアの屋敷の庭は、非常に生命の躍動感に満ち溢れていた。

 すっかり様変わりした庭であるが、作り上げたのはリリカである。

 庭仕事に精を出すリリカに、何か参考になればいいと王立図書館で植物図鑑をお薦めした結果、何を思ったのか彼女は庭の構造からして作り替えてしまった。

 不用意に何かを与えると、リリカは勝手に自分の仕事を増やすのだなとウィルジアが理解した瞬間である。

 ともあれ変わった庭はとても居心地がいいのは確かだ。

 今までのきっちり芝を刈りそろえ、花壇に整然と花が並び、噴水から水が飛び出す庭も嫌いではなかったが、どちらが好みかと言われれば今の庭の方が断然好きだ。

 自然あふれる作りの庭は、ここが王都にほど近い森の中であるというのを忘れさせ、まるでどこかのどかな田舎町にでも引っ越して来たかのようである。

 コーヒーカップを片手にくつろぐウィルジアにリリカが話しかけてくる。


「ウィルジア様、本日のご出発は何時になさいますか?」

「そうだなぁ。天気もいいから、今日はしばらく屋敷にいて昼下がりに行こうかな」

「かしこまりました」


 ウィルジアは歴史編纂家として王立図書館の地下書庫で日々働いているのだが、基本的に全員が個々人で動いているため何時に行って何時に帰ろうが完全に自由だ。

 にしても、まさか自分がこうして外にいるのを好むようになるとは思わなかった。

 狭くて暗くて本に囲まれた場所が好きなウィルジアからすると、かなりの進歩である。

 陽光を浴びながら庭のテーブルでリリカの淹れてくれたコーヒーを飲みつつ読書をする、というのはなんて贅沢なんだろうとウィルジアが幸福を噛み締めていると、何やら手紙配達人と門前でやりとりしていたリリカがやって来て、そっと話しかけてきた。


「ウィルジア様、読書中に失礼いたします。お手紙が届いておりまして」

「僕宛に?」

「はい」

「誰からだろう」


 ウィルジアは受け取り、封蝋を見た。王家の紋章だ。この紋章を手紙の封蝋に使えるのは、直系の王族のみであり、つまりはウィルジアの家族の誰かしらからの手紙ということになる。

 ウィルジアにはそれだけで手紙を開けるのが嫌だった。相手が誰であれ、おそらくウィルジアにとって良いことは書かれていない。

 恐る恐る封蝋を開けて中身を確認したウィルジアは、絶句して顔を歪めた。


「最悪だ……」

「誰からのお手紙でございましたか?」

「一番目の兄からで、子供を連れて僕の屋敷に遊びに来たいって書いてある」

「ということは……お客さまですね! おもてなししなければ!」


 話を聞いたリリカの顔色はウィルジアとは対照的にパッと輝いた。


「いつ頃いらっしゃる予定でしょうか。泊まりですか、日帰りですか? ご家族全員でいらっしゃるのでしょうか」


 ウィルジアはリリカが張り切る理由が全くわからず、げんなりしながら手紙の内容を読み上げる。


「僕の予定に問題がなければ、三日後に来るって書いてある。日帰りで、一家全員で来て夕方まで滞在予定」

「ということは、ハリエット様と奥様のユーフェミナ様、長男のハイリー様に長女のアリシア様、双子のカーティス様とシュルツ様、それからルシア様でございますね」

「なんでそんなにすらすらと僕の親族の名前が出て来るんだろう」


 ウィルジアさえうろ覚えな兄一家の名前が瞬時に出て来るリリカを見て、ウィルジアは恐れ慄いた。


「王室の皆様に関することは、おばあちゃんから伺っていますので」

「あぁ、そういえばそうだった」

「それに王室の皆様に関する事柄は王都でも話題になりますから。ハリエットご夫妻に関しては、お子様がお生まれになる度に下町でも大騒ぎでございました。きっとウィルジア様がご結婚なさる時やお子様ができた時も、国を挙げてお祝いなさるに違いありません!」

「僕は王位継承権を放棄していて王室の一員と言っていいかどうか微妙なところだから、そんなに盛大に祝われないと思うよ。っていうか、静かに暮らしたい」

「左様でございますか。残念です」

「そんなことより、この手紙だよ。どうしよう」

「どうもこうも、全力でおもてなしさせていただきます」

「やる気満々だね」

「それはもう! ご来客は使用人にとっても一大イベントです。ご満足いただけるよう、精一杯やらせていただきます!」


 満面の笑みで言い切るリリカを見て、ウィルジアは「断るという選択肢はないのか」と思った。むしろリリカに相談せず、こっそり断りの手紙を書いて出せばよかったかなぁと後悔した。


「ウィルジア様のお兄様のご一家! 長男で十歳のハイリー様、長女で九歳のアリシア様は聡明であらせられるともっぱらの評判ですし、五歳の双子の坊っちゃまと二歳のお嬢様はさぞかし可愛いでしょうね!」


 ウキウキしているリリカを見ていると、今更断るなど不可能であろうと悟り、ウィルジアは大人しく了承の旨を手紙にしたためようと思った。

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