第48話 王妃様の提案
近頃アシュベル王国の王妃エレーヌは機嫌がいい。
エレーヌ付きの侍女たちの仕事の腕前が驚くほど向上したためである。
いつもおどおどビクビクしてエレーヌの顔色を伺ってばっかりで、その癖全く仕事ができなかった侍女たちは、とある使用人が出現したことで劇的に仕事ができるようになった。
おかげさまでエレーヌは快適な王宮生活を送れるようになり、日々の公務もストレスなくこなせるようになっていた。
エレーヌは王妃専用のティーサロンに本日、一人の客を招いている。
「……まぁ、ユーフェミナ。あなたのところの息子たちはまぁた元気いっぱいなのねぇ」
「はい。そうなのです」
エレーヌの長男ハリエットの妻、ユーフェミナだ。ユーフェミナはティーカップをソーサーに戻すと、厳かに頷く。彼女の持つ艶やかな黒髪がサラリと揺れ、鳶色の瞳が物憂げな色を宿している。公爵令嬢だったユーフェミナは、出自にふさわしい美貌と物腰と教養とたおやかさを備えているが、少しおっとりしすぎているわぁというのがエレーヌの評価であった。
とはいえ悪い娘ではなく、第一王子であるハリエットを妻としてよく支えている。
「私は元気があって良いと思うのですが、ハイリーとアリシアが苛立ってしまって……」
「あの二人はハリエットに似て生真面目で勉強熱心ですからねぇ」
エレーヌはカップを朱色に染めた爪先でピンと弾きながら答える。
エレーヌの一番目の息子ハリエットは外交官だ。
諸外国との橋渡しを担う重要な役職であり、数々の外国語に精通するハリエットの能力は非常に貴重だった。長男長女もまだ十代前半であるにも関わらず、家庭教師も目を見張るほどの有能ぶりを遺憾なく発揮していて、あと二、三年もすれば父の仕事を手伝えるようになるだろう、と周囲が期待している。
王妃であるエレーヌとしてもとても頼りにしている息子一家であった。
ユーフェミナはカップの中に揺蕩う黄金色の春摘みダージリンに視線を落としつつ、迷ったように口を開いた。
「……カーティスとシュルツの二人は、おそらく座学よりも体を動かす方が向いていると思うのです。剣術や体術などを鍛え、軍部に入れた方が良いのでは、と思うのですが……」
「ハリエットは許さないでしょう?」
「はい」
ユーフェミナはこくりと頷いた。
「でしょうねぇ。ハリエットが自分の子を、エドモンドがいる軍部に託そうと考えるはずがないわぁ」
エドモンドというのは、エレーヌの二番目の息子の名前だ。
優れた剣の腕を持つエドモンドは騎士学校を卒業した後迷わず軍部に籍を置き、並外れた手腕で数々の功績を立てており、現在大隊を指揮する中佐の地位に就いている。
「ハリエットとエドモンドはあまり仲が良くなかったからねぇ。エドモンドが指揮する部隊に配属でもされたら、たまったものじゃないと考えているでしょう」
「私が聞いた話ですと、エドモンド様はご兄弟の誰ともあまり仲がよろしくなかったとか……」
「だってあの子だけやたらに血の気が多いんですもの」
エレーヌは唇を尖らせた。
エレーヌには四人の息子がいる。
一番上の息子は、外交官。
二番目の息子は、軍部に在籍。
三番目の息子は、政策に長けている。
四番目の息子は、歴史編纂家として王立図書館にこもっている。
ここで重要なのは、二番目の息子以外全員が文官であるということだ。二番目の息子エドモンドは常に剣を持って王宮内をうろつき、ばったり出会った知り合いに模擬戦を申し込むような子だったので、本を読んだり書きものをしたりと机に向かっていることが多い残り三人の息子と馬が合うはずもなかった。
かといってエドモンドはめげることなく三人に模擬戦を申し込み、一番目の息子と三番目の息子は気が向けば応じたりもしていた。剣術は嗜みの一つなので、腕が鈍らないためにもたまには振るっておいた方がいいと考えていたのだろう。
ちなみに四番目の息子ウィルジアは絶対に模擬戦には応じなかったが、鈍臭いのですぐにエドモンドに捕獲され、否応無しに外に引き摺り出されてはエドモンドにボコボコにされたりしていた。幼少期のウィルジアは大体が半泣き状態だったが、原因の半分くらいはエドモンドのせいである。
「夫は、子供たち全員を文官に育てたいと考えているようで……」
「まあ、五人もいたんじゃそうそう上手くいかないわよ。わたくしだって思い通りにいかなかったんですから」
「それはやはり、ウィルジア様のことでしょうか」
「まあねえ」
エレーヌはティーカップを持ち上げて口をつけた。完璧な温度と時間で淹れられた紅茶は、エレーヌ好みするものに出来上がっており、渋くもなければ薄くもない。
「どうせ本が好きなら、歴史書なんかじゃなくって外国語や政務文章を読んで欲しかったわ。けれどまぁ、仕方ないかしらって最近は思うようになってきたの。それがあの子の個性なら、尊重してあげるしかないわ」
「夫にもそう思ってもらえたらいいのですが。私はカーティスとシュルツには自分のやりたいことをやって自由に生きてもらいたいので」
「そうねえ。ハリエットは結構頑固だから、難しいかもねぇ」
「左様ですか……」
ユーフェミナは自分の夫と子供のことを考え、表情が翳る。エレーヌはユーフェミナの表情の変化を見て、わざと明るい声を出した。
「まあ、ひとまず気分転換でもしたらどうかしら? きっとあの双子は、冬中屋敷に引きこもっていたから体力が余って仕方がないのよ。どこか開放的な場所にでも行って体力を発散させれば、少し落ち着くかもしれないわ。そうだ! ウィルのお屋敷にでも行ってはどう?」
「ウィルジア様のお屋敷ですか?」
「ええ。王都から近いからすぐにでも行けるし、森の中にあるから双子を遊ばせるのにもちょうどいいでしょう。場所は辺鄙だけれど、居心地のいい屋敷なのよ。それに、ウィルのところで働いているリリカって使用人がとっても気が利くから、きっとあなたのいい話し相手になってくれると思うわよぉ」
「はぁ……使用人が、でございますか」
「ただの使用人じゃないのよ。お屋敷の雑事全てを引き受けていて、おまけになんでもそつなくこなすんだから! わたくし付きの侍女たちも教育してくれてね、おかげでヘレンがいた時のように快適な王宮生活を送れるようになったのよぉ」
「確かに王妃様、最近はとっても楽しそうでいらっしゃいますね」
「わかるかしら? リリカに会うとね、なんだか楽しくなるの。きっとウィルもそうなのよ。あの子ったらめっきり垢抜けたし、リリカをわたくしに取られないように必死になってねぇ。他人に興味がなかったあの子からするとものすごい進歩だわ。そんなわけで騙されたと思ってウィルのお屋敷に行ってみなさい。どうせ大した距離じゃないんだし、気軽に行けばいいわよ」
エレーヌの言葉にユーフェミナは少し考えた後、「夫に相談してみます」と答えた。
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