第46話 リリカの反応
十日ぶりに屋敷に戻ったウィルジアは、久々に見る我が家に目を疑った。
「おかえりなさいませ、ウィルジア様!」
「あ、うん、ただいま……」
ウィルジアを乗せた馬車が屋敷の前に着くなり、リリカが屋敷から飛び出して来て出迎えてくれた。
嬉しそうに出迎えてくれるリリカを可愛いなと思いながらも、ウィルジアはそんなリリカ以上に気になったことがあった。
庭だ。
庭が、様変わりしている。
噴水があったところには池があり、細長い小川が蛇行しながら続いていた。両側に石を積んで作り上げた小川にはさらさらと清涼な水が流れ、中には小魚が泳いでいる。
庭の方々にある植物は、まるでごく自然に生えているかのように、しかし美しく見えるように高低差を考えられて植えられていた。
そろそろ蕾が膨らんできた薔薇はアーチに沿って生えており、真ん中にガーデン用のテーブルが置かれている。
今までのきっちりと整えられた「ザ・貴族の屋敷の庭!」という感じから一転して、のどかな田園風景に広がる自然美を讃えるかのような作りの庭になっていた。
「これ……どうしたんだい」
「植物図鑑を参考に、ウィルジア様のお好みを反映しつつより自然に見えるよう作り替えてみました」
リリカに植物図鑑を読ませると、庭の構造からして変えてしまうのか。ウィルジアはリリカの行動力の凄まじさに改めてそら恐ろしくなる。
庭を前にして呆然と立ち尽くしていると、リリカが恐る恐る問いかけてきた。
「あの……お気に召しませんでしたか?」
「いや、すごく素敵だと思うよ。ただちょっと驚いただけで。まさか十日留守にしただけで、こんなに変わると思ってなかったから」
「ウィルジア様がお戻りになる前に形にしようと、頑張らせていただきました」
頑張りすぎだろう。相変わらず一人でできることの幅が広すぎる。
しかし庭自体は、非常にいい。
ウィルジアは貴族社会そのものが好きではないため、これまでの貴族邸宅っぽい庭よりも今の方が落ち着く。
「そろそろ暖かくなって来ましたので、お庭で朝食などお召し上がりになれるよう、屋敷の納戸に眠っていたテーブルセットも磨いて用意いたしました」
「うちの納戸にそんなものがあったんだね」
ウィルジアの屋敷だというのに、今やリリカの方が置いてあるものに詳しい。
「ところでウィルジア様、お久しぶりのご帰宅ですし、先に湯浴みなさいますか?」
「あっ、そうだね。そうするよ」
様変わりした庭を前にして全ての思考が一時的に吹き飛んでしまったウィルジアは、リリカの一言で現実に引き戻されて頷いた。
十日ぶりに風呂に入ってさっぱりした後、着替えて食堂に向かうと、既にリリカが夕食の準備をしてくれていた。
「ウィルジア様、お召し上がりになりたいものなどございますか? 食材に限りがあるのですが、出来るだけご用意させていただきます。今日無理なものは、明日には必ず出せるようにしますので、何なりとお申し付けください。それから、明日は図書館に行かれますか? しばらくはご在宅でしょうか。お弁当のご用意はどうしましょう」
いつになく饒舌でいそいそとウィルジアの世話を焼くリリカを微笑ましく思いつつ、席につく。
「献立はリリカに任せるよ。久々に温かいものが食べられれば僕は満足だ。調べ物が落ち着いたから、しばらく屋敷に留まる予定」
「かしこまりました」
リリカの給仕で食事をするのも久しぶりだなと思いつつ、夕食を噛み締める。
お弁当も美味しいが、やっぱり出来立ての料理は格別だ。
「リリカのご飯は美味しいね」
「そう言っていただけますと幸いです」
「お弁当もありがとう。毎日メニューが変わってて驚いた。メニューを考えるのも作るのも、大変だっただろうに」
「いいえ、ウィルジア様の健康を考えながら作るのは責任重大ですが、とても楽しかったです」
突然の帰宅にも関わらず完璧な夕食を出してくるリリカの腕前に感心しつつ、味わって完食し、食後のコーヒーを飲みながらリリカの様子を伺った。
傍に佇むリリカはにこにこしている。
帰って来てからずっと上機嫌なリリカに、どう話を切り出そうか迷う。
カップをソーサーに戻して、視線を彷徨わせつつ、結局口下手なウィルジアは単刀直入に話をすることにした。
「あのさ、リリカ。前に言っていた君の名字のことなんだけど。実は今調べている時代に出てきたんだ」
「私の名字ですか?」
「うん。アシュバートンは珍しいし、他に聞いたことがないからほぼ間違いないと思う。それで、アシュバートン家は二百五十年前のアヴェール王朝初期に興った侯爵家で、当時は領地を治める良き家だったらしい。ただ、王朝末期になって立て続けに不幸に見舞われて、最終的には他家の軍事侵略によって没落した……と、僕の調査ではそんな結論になった」
ウィルジアは喋りながら心臓がどきどきするのを感じた。話を聞いたリリカがどんな反応をするかわからず、恐ろしい。ならば胸に秘めておけばいいものを、生真面目さが邪魔をして洗いざらい正直に話してしまった。歴史に関する事実について、ウィルジアは嘘をつけない。
「……つまりリリカは、侯爵家の末裔、ということになるんだけど……どうだろうか」
リリカは目を瞬かせた後、少し考え込むそぶりを見せた。
「そうですね……流石に二百五十年も前のことですと、現実味がないと申しますか……貴族と言われても、ピンとこないというのが正直なところです」
「そうか……」
「それより私は、こうして使用人としてウィルジア様にお仕えしている今の生活がとても気に入っていますし、誇りに思っています!」
「そうか」
リリカの本音を聞いて、ウィルジアは安堵する。どうやらリリカは自分が侯爵家の末裔と知っても、どうこうするつもりはないらしい。
まだしばらく、今の生活を続けたいと思ってしまうのはウィルジアのわがままだろうか。
黙り込んだウィルジアに、リリカが真剣な表情で問いかけてきた。
「もしかしてウィルジア様、『そんなややこしい過去を持つ人間を雇い続ける気はない』と思っておりますでしょうか」
「えっ!? そんなことないよ!」
「でしたらいいのですが……流石に血筋を変えることは不可能なので、お役御免と言われてしまえば従うほかありませんので」
「言わないよ! 僕から君を解雇するなんて、あり得ない! ずっといて欲しいと思ってる」
即座に力一杯否定する。しかしその後で、ジェラールの言葉が脳裏をよぎった。
『お前の母である王妃様は、さぞかし王宮の使用人の間で評判が悪いらしいな。なんでも気に入った使用人に結婚さえ許さず、年寄りになるまでお側付きを命じたとか。お前もリリカさんにそういう人生を歩ませるつもりなのか?』
『リリカさんが幸せになるのを止める権利はお前にはないはずだ』
「あ……もちろん、君に好きな人ができたり、一緒になりたい人ができて、仕事を辞めたいと思ったら、受け入れるけど」
本当は嫌だけど。
嫌だけど、リリカの一生を縛り付けておく権利などウィルジアにはないし、リリカには幸せになって欲しいと思っているのも事実なので、ウィルジアは言葉を加える。
もしもリリカがいなくなったら、楽しかった思い出を胸に、また一人で生きていけばいい。
悲壮感に満ちた決意を胸にしたウィルジアだったが、リリカは頼もしい顔つきで返答した。
「ご安心ください、ウィルジア様。私にそのような存在はおりませんので、まだまだウィルジア様のお側でお仕えしたく存じます」
「そうか。うん、ありがとう」
「アウレウスとも心を通わせましたし、お庭の手入れもありますし、お屋敷でやりたいことがたくさんあるんです。今、辞めるなんて考えられません!」
職務に忠実なリリカは、ウィルジアに命じられたわけでもないのに屋敷内での仕事を勝手に見つけて張り切っていた。
仕事熱心なリリカを前にして、ウィルジアはくよくよ悩んでいた自分が馬鹿らしくなった。
まだ、一緒にいられる。
ならばこのかけがえのない日々を大切に過ごしていこうとウィルジアは心に誓ったのだった。
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