第45話 リリカも頑張る

 何かを発見したらしいウィルジアは、しばらく帰らないかもしれないと言っていた。きっと行き詰まっていた問題の解決の糸口を発見したのだろう。

 ご主人様の仕事の邪魔をしてはならないが、体調も心配である。着替えと食事を届ける許可を得たから、リリカはこの届け物に全力を注ぐしかない。


「よし、頑張るわ!」


 着替えの用意は簡単だが、問題は食事だ。

 本当ならば一日三回お届けしたいのだが、こもって仕事に集中しているというのに何度も何度も押しかけられたら迷惑だろう。

 一日一回で済ませねばならない。

 しかも一体いつ食事を取るのかわからないから、なるべく保存が効く料理にする必要がある。

 一日一食で済むように栄養とバランスを考え、かつ最低でも数時間は保存が効き、美味しく、毎日違う献立を考える。

 かなりの無理難題だがリリカは頭をフル回転させて必死に考えて日々の食事を用意した。

 誰もいない厨房で、リリカは一人呟いた。


「主食は白パン、バゲット、ワッフル、ベーグル、キッシュ、クロワッサンといったところかしら。メインはグラタン、ラザニア、チキンの香草焼き、豚のグリル、魚のテリーヌ、エビのフリット。副菜はトマトやパプリカの酢漬け、揚げたじゃがいも、オムレツ、キャロットラペ……あとは小腹が空いた時用に、焼き菓子を用意しておこうかしら。ナッツをぎっしり詰めたタルトなら、きっと丁度いいはずよね」


 主食、主菜、副菜、菓子を彩りよく調理してバスケットに詰め、着替えと共に王立図書館までお届けする。一人で行く場合、馬車ではなくアウレウスに直接乗っていけるのでスピードが出る。

 リリカはウィルジアに指定された、聖堂の午前の鐘が鳴る頃に王立図書館に行き主人が出てくるのを待つ。さほど待たないうちにウィルジアがやって来た。まだ篭り出して一日目なせいか、それほど顔色は悪くない。


「ウィルジア様、お疲れ様です。こちら食事とお召し物です」

「ありがとう」

「保存が効くように作ってありますが、なるべく早めにお召し上がりください」

「うん、すぐに食べる」

「そうして頂けますと、助かります。あとは焼き菓子も入れてありますので、お腹が空いた時にどうぞ」

「うん」

「では、お仕事頑張ってくださいませ」


 リリカはウィルジアの邪魔をしないように、一礼してからさっさと退散する。

 屋敷に戻ってからはひたすら庭仕事に励んだ。

 元から生えていた植物と、リリカが植えた四十種類もの花を掘り返し、噴水から池と小川へと変貌した水辺の周囲にバランスを見ながら植えてゆく。花壇らしき花壇は作らず、あくまで自然さを意識して作り上げていった。

 ウィルジアがいないので、リリカは黙々と庭仕事に没頭する。まだ汗をかくような季節ではないのだが、重い石を運んだりシャベルで土を掘ったりしていると体が熱くなり、気づけばリリカの額からは汗が滲み出ていた。

 ふぅ、と汗を手の甲で拭ってから、段々と変わっていく庭を見つめる。


「ウィルジア様がお戻りになるまでに、形にしておかないと」


 主人のウィルジアが職場に泊まりきりになってまで仕事に励んでいるのだ。

 ならばリリカも全力でウィルジアを支えながら、屋敷の状態をより良くしておく必要がある。

 そうしてリリカは、まるで屋敷にやって来たばかりの時のようにせっせと頑張り続けた。


   ***


 書庫に入ったウィルジアは、アヴェール王朝に関する資料という資料全てをひっくり返して読みふけった。

 混乱する時代であるがゆえに資料は散逸的でまとまりがなく、後世の人々によって好き放題に書かれているものも多く信憑性に欠ける文献も混じっている。

 それらの中から真実を掬い出すのは至難の業であるが、ウィルジアはめげなかった。

 集中し出すと他のことがどうでも良くなるのが悪い癖だったが、リリカが一日一度やってきてくれるおかげでかろうじて着替えと一食は取れている。

 自分で指定した午前の聖堂の鐘が鳴る時間になると一旦仕事を切り上げて、図書館の外に出る。

 するとそこには、着替えと食事を持って来たリリカが立っているのだ。ウィルジアは少し駆け足でリリカに近づいた。


「待たせてごめん、リリカ……っと」


 ずっと薄暗い書庫で座りっぱなしになっていたせいか、日差しに目が眩んでよろめく。足がもつれて転ぶより前にリリカが体を支えてくれた。


「ごめん」

「いえ」


 なんとか自分の足で立つと、昨日着ていた服と空っぽになったバスケットと引き換えに本日分の着替えと食事を受け取った。


「あまり無理なさらないでくださいね」

「うん」


 ウィルジアはバスケットを受け取ると頷く。

 リリカに余計な心労や負担をかけたくないが、アシュバートンという貴族について早く知りたい思いの方が強かった。

 リリカのルーツ。リリカの祖先かもしれない人々。

 ウィルジアの興味を強く引く存在を調べるのに夢中になっていた。


「では私はこれで失礼します」

「うん、今日もありがとう」


 少し名残惜しい気持ちがありつつも、今日もリリカの姿が見れて満足しながら書庫に戻る。

 早速着替えてバスケットをパカッと開くと、パンと共に目にも鮮やかなおかず十種類ほどがぎっしりと詰め込まれていた。

 今日で四日目になるのだが、リリカが作ってくれるお弁当は毎日全てのおかずが違う。一体どれほどのレパートリーがあるのだろうと、ウィルジアはリリカの料理の腕前に感嘆しつつも一日一回の食事をありがたく頂く。


「……リリカさん、料理上手だな」


 不意に上から声がして頭上を見上げると、ジェラールが心底羨ましそうな表情でバスケットの中身を凝視していた。


「書斎に籠るようになってから、お弁当の中身が格段に豪華になってるじゃないか。栄養状態を心配されてるぞ」


 確かに、毎日帰宅していた時のお弁当はもっと簡単で手軽に食べられるサンドイッチが中心だった。


「お前がリリカさんの料理以外のものを口にしていないことがバレているな。お前の性格をよく理解している。……あぁーいいなぁ。俺もリリカさんのような素敵な人に好かれたい」

「諦めたんじゃなかったのか」

「諦めたさ」


 ジェラールは肩をすくめ、それから自分の仕事に取り掛かるべく少し離れた机に座り、書物を引っ張り出して読み始めた。



 ウィルジアの研究はかつてない勢いで進んだ。

 歴史編纂家としての知的好奇心と、リリカに関することならなんでも知りたいという個人的欲求が合わさって、それはもう凄まじい集中力を発揮していた。

 普段ならば匙を投げるような文章にぶち当たっても決して諦めず、執念で読み解いていく。

 十日も経つ頃にはアヴェール王朝時代のあらかたの文献を読み終え、そうして一つの結論に行き着いた。


「……やっぱり没落した領主名はアシュバートンだったか……」


 ウィルジアは真っ黒に塗りつぶされた領主の名字を暴き出し、ため息をついた。

 ジョルジュ・アシュバートン侯爵。

 凶作・疫病・軍事侵略の三重苦に見舞われて追放された公爵家の当主名を導き出したウィルジアは、複雑な気持ちになる。

 アシュバートン家はアヴェール王朝時代初期に頭角を表し、長らく善政を敷いており領民にも慕われていたようだが、時代の末期に不幸に見舞われ没落した。

 当主一家は処刑されたと書いてあるが、逃げ延びた一族がいたのだろう。そうして市政に紛れて細々と血をつなぎ、現代まで受け継がれていた。

 動乱の時代にはありがちな話だが、それがリリカの先祖であったかもしれないと思うとやるせない気持ちになる。

 世が世ならリリカは侯爵令嬢だったかもしれないのだ。それが今や、ウィルジアの世話をする一介の使用人である。


「…………」


 ここ十日で得た知識を書き連ねた羊皮紙の束を整え、ウィルジアは立ち上がる。

 帰り支度を始めたウィルジアにジェラールが問いかけてきた。


「終わったのか?」

「うん。帰るよ」

「そうか」


 ジェラールとジェイコブに挨拶をし、十日ぶりの我が家に帰るべく図書館を出る。

 外に出ると、夕暮れ時だった。

 地下書庫には窓がない。

 ジェイコブ室長とジェラールが出勤してくる時にもう朝なんだなぁと思い、リリカがやってくる時間のみを気にして、二人が帰る時にもう夜なんだなぁと思う生活をしていたので、体内時計が狂いまくっている。

 ウィルジアは図書館前に停まっている辻馬車を拾ってルクレール公爵邸まで帰ることにした。

 道すがらの馬車の中、十日間でたどり着いた事実についてずっと考えていた。


(リリカには何て話そうか。話さない方がいいかな。でもリリカに関することだし、話しておいた方がいいよな)


 遠い昔のことだとしても、リリカの祖先の話であることには違いない。ならば話しておいた方がいいだろう。

 リリカは、どう反応するだろうか。 

 自分が貴族家の一員だと知って喜ぶ? 

 没落したと聞いて悲しむかもしれない。

 もしかしたら、余計なお節介だとウィルジアを怒るかもしれない。

 しかしウィルジアとしては、ひとつ、喜ぶべき事実があった。


(リリカが侯爵家の末裔だとしたら、つまり貴族ということになる。平民じゃない。ってことは僕とリリカを隔てる身分差はないということで……例えば僕がリリカを好きになったとしても、何も問題ないんじゃあ)


 そこまで考えたウィルジアは、我に返って頭を左右に振った。

 いやいや、問題大ありだ。

 身分の問題がなくともリリカの気持ちがウィルジアに全く向いてないのだから、好きになってはいけない。ウィルジアがリリカを好きになったら最後、今の居心地のいい関係が崩壊してしまう。それだけは絶対に避けたい。


(リリカには、ご先祖様に関する事実をそれとなく伝えてみよう)


 そう考えながら、ウィルジアは早く屋敷に着かないかなとはやる気持ちを抑えつつ、馬車の窓から流れる王都の街並みを見るともなく眺めていた。

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