第44話 友人の心配と塗りつぶされた名前
「なあウィルジア、お前がリリカさんを好きだとしてだな」
「藪から棒になんなんだよ……好きじゃないって言ってるだろ」
ジェラールがリリカに失恋してからはや数日。すっかり元通りになったと思われたジェラールが、唐突にそんな話題を切り出してきた。
ウィルジアは今現在、凄まじく読みづらい文献と格闘している最中であり、もはや色恋沙汰の話などに触れて欲しくなかった。何せ今取り組んでいるアヴェール王朝は動乱の時代で、残っている文書は各地方ごとに独特の方言を交えて書かれていて意味が読み取りづらいのだ。
もう仕事に集中させてほしい。
リリカに図書館を案内した日から、ウィルジアは己を律するのに非常に苦労した。気がつくとリリカのことを考えてしまうし、一挙手一投足を目で追いかけてしまうし、ウィルジアがいない日中に何をしているのか気になってしまう。
こんなことでは良くないと、難解さゆえに後回しにしていた文献に手をつけた。
おかげさまで目論見は功を奏し、ウィルジアは余計な雑念を吹き飛ばして仕事に没頭できていたと言うのに、なぜジェラールは話を蒸し返してくるのだ。
「まあ聞けよ。お前がリリカさんを好きだとして、それは叶わない恋だなと思ったわけだ」
「好きじゃないし、仮に好きだったとしても叶わない恋ってことは僕が一番よくわかってる」
「なぜ叶わないと思う?」
「だってリリカがこんな何の取り柄もなくて、どうしようもない僕を好きになるなんて、ありえないだろ」
ウィルジアは文章に目を走らせながら答えた。
アヴェール王朝は国の中枢がほぼ機能していなかったため、各地の領主たちが施策を打ち出して地域を収めていた。各領主たちによる、独立国家のような様相を呈していたのだ。
その中の一つの領地がかなり複雑な歴史を辿っており、これを読み解くのが難しい。どうやら天候災害により作物の収穫量が激減し、さらに疫病が流行して領地経営の危機に瀕したところ隣の領地に軍事侵略されたらしく、結果として領主一家は処刑され家は没落したと書いてあるのだが、この肝心の領主名が読み取れないのだ。
没落の汚名を被るのが嫌だったのか、領主名が全て黒く塗りつぶされている。かろうじて頭文字が「アー」だと読み取れたが、それ以外は全くわからなかった。
アヴェール王朝時代の貴族の一覧表を以前に作ったので、それを見て照合するしかないだろうとウィルジアが考えているとジェラールがしつこく話しかけてきた。
「俺が言いたいのはそういうことじゃなくてだな、お前は曲がりなりにも王族の血を引いている公爵で、リリカさんは平民だから身分制度上難しいという話だ」
ウィルジアは真っ黒に塗りつぶされている領主名から目を離し、ジェラールを見た。
「……考えたこともなかった……けど、それを言うならジェラールだってリリカと結ばれるのは難しかったじゃないか」
「俺はしがない男爵家の三男で、爵位だって継がないから平民と変わらない。けど、お前はそうもいかないだろ」
言葉を詰まらせる。
ジェラールの言う通りだ。
ウィルジア自身は身分に固執するつもりなんてサラサラないから爵位を返上したって構わないが、周囲はそう思うまい。王族の一員が平民に身を落とすなど、王家の人間からすれば汚名以外のなんでもなく、王室の評判や品位を落とす行為になる。
(なんだ、じゃあやっぱりリリカを好きになってどうこうなるなんて不可能な話だったんじゃないか)
散々心の中で好きじゃない好きじゃないと唱えていた行為は無駄ではなかったということだ。
ウィルジアが納得していると、ジェラールはウィルジアの丸まっている背中を叩いた。
「身分違いの恋だったとして、婚姻は難しくとも一緒にいることは出来るだろうから、俺はお前を応援してるぞ」
「一体君は何が言いたいんだ……」
「つまり、俺はお前の味方だってことだ!」
励ますつもりだったのか。よくわからないがウィルジアの応援をしてくれているらしいジェラールに、余計なお節介だと思い「でも好きじゃないから」と言ってジェラールに変な顔をされた。
***
「おかえりなさいませ、ウィルジア様。本日は早かったんですね」
「うん、資料が屋敷にあるから戻ってきた。……ところでリリカは何をやっていたんだい」
参考にしたいアヴェール王朝の貴族一覧表が屋敷にあることを思い出したウィルジアは、図書館での仕事を切り上げてさっさと屋敷へ戻ってきた。のだが、庭にいたリリカに思わず声をかけた。
リリカは荷車に石を積み上げ、庭の一部を掘り返し、すごい勢いでせっせと石を運び込んでいた。
「お庭の模様替えです! 植物図鑑を読んで大変参考になったため、ウィルジア様の嗜好を反映しつつより生育に適した環境に作り替えようかなと。あとは噴水を池に変えて水を引いて庭に小川を作り、より自然豊かで書斎から見たときに癒される庭にしようと思っております」
それはもう、庭仕事というより土木工事に近いのでは。
ウィルジアは嬉々として庭を掘っているリリカに「無理のないように」と言うと、屋敷の中に入り書斎へと向かう。
リリカの手によってすっきりと綺麗になり秩序を手に入れた書斎は、探し物が捗る。以前の状態だったら、まずどこに必要な資料があるのか、紙の束の中から掘り出すところから始めなければならないところだった。今ならば本棚に綺麗に並んだ中から探すだけだから非常に簡単だ。
「アヴェール王朝の貴族一覧表……あった、これだ」
びっしりと細かな字で書かれた貴族の一覧表。最初のページを捲ったウィルジアは、探し始めて一秒で大声を出した。
「あぁっ!? 『アシュバートン』ってこれか!!」
リリカの部屋を変えた時に聞いた名字。最近どこかで見たことのある名字にすんなりと綴りが出てきたのだが、肝心のどこで見たかが思い出せなかった。が、ここにあったのか。
そして、先ほどまで向き合っていた文献を思い出し嫌な想像が頭を駆け抜ける。
凶作、疫病、他家の軍事侵攻により没落した貴族の名字はアシュバートンと同じ頭文字だった。
まさか、まさかまさか。いやまさか。
ウィルジアは書斎にあった関連資料もろもろ全てを引っ掴むと、部屋を駆け出し玄関から外に飛び出した。
「リリカッ、悪いんだけどもう一度図書館まで送ってくれないかっ!? それから、もしかしたらしばらく帰らないかもしれない」
「はい、かしこまりました」
リリカは庭仕事という名の土木作業を即座に中断して、馬車を出す準備をする。
「作業途中にごめん」
「いえ、ウィルジア様のご命令が一番ですから」
リリカは嫌な顔ひとつせずに慣れた手つきで馬車に馬を繋ぐと、ウィルジアと共に馬車に本や資料を積み込むのを手伝い、御者台に座って馬を走らせた。
やがて図書館に着くと、ウィルジアは馬車から資料を持って降りる。
「ありがとう、助かった」
そして図書館内に向かうウィルジアの背後から、思いもよらない声がかけられた。
「ウィルジア様! 明日からお着替えとお食事をお届けしてもよろしいでしょうか?」
振り向くと、眉尻を下げてこちらを見るリリカがいる。
一度図書館に篭り出すと十日も二十日もろくな食事を取らず、着替えもしなかった過去を知っているリリカからすると心配でたまらないのだろう。
リリカに気にかけてもらえているという事実が、心の底から嬉しい。口元を綻ばせ、ウィルジアは言った。
「……うん、そうしてもらえると、助かる。聖堂の午前の鐘が鳴る頃に頼めるかい」
「かしこまりました!」
ウィルジアの返事に安心した様子のリリカは、「行ってらっしゃいませ」と見送ってくれる。
「行ってくる」と言ってからウィルジアは先ほど出てきたばかりの王立図書館地下の書庫へと入って行った。
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