第42話 夕焼けの王立図書館

 カンカンカン、と靴音を響かせながらリリカとウィルジアは階段を上っていく。

 静かな図書館内の上階には人影はまばらだった。

 リリカの隣を歩くウィルジアが、声を殺して説明を入れてくれた。


「二階から上は書架になっていて、吹き抜けから大閲覧室を覗くことができるんだ、ほら」


 たどり着いた二階は吹き抜けを囲うように回廊が作られていて、そっと顔を覗かせると先ほどジェラールが案内してくれた十角形の閲覧室を見下ろせた。

 上から見下ろしてみると、また違った景色が見られる。俯瞰した閲覧室では人が行き交い、カウンターで司書が働いているのをよく眺められた。

 前のめりになって下を見ているリリカを見て、ウィルジアが焦ったように声をかけてきた。


「高いから落ちないように気をつけて」

「三階までの高さでしたら、安全に着地できる自信があります」

「えぇ……」

「ですが、階下の人たちにご迷惑をおかけしますね。やめておきます」


 リリカは大人しく体を引っ込め、今度は書架の方に向きを変えた。隙間なく並んだ書架には、一階同様に背の高い本棚にたくさんの本が収まっていた。圧巻だ。

 大部分の平民は文字が読めないので、図書館など無縁の存在だ。まさか自分が図書館内に入る日が来るなど想像もしていなかった。しかも本日二回目。しかもしかも今回は、ご主人様本人に案内して頂いている。得難い経験に、リリカは今舞い上がりそうなほど内心で喜んでいた。

 本棚を眺めるリリカにウィルジアが問いかけてくる。


「さっきジェラールと来た時には何か読んだ?」

「ウィルジア様が編纂に携わった本を拝読しました」

「そうか」


 ウィルジアはふと考え込んでから、リリカに問いかけてきた。


「……リリカが好きそうな本がある。おいで」


 ウィルジアについて行き、一つの書架の前で止まると、かなり分厚い本を抜き出した。落とさないように両腕で抱えた本を運んで、隅に設けられていたテーブルに置く。ウィルジアが選んだのは意外なものだった。


「植物図鑑、ですか……?」

「うん。リリカは庭仕事をしてくれるから、植物について書かれている本なら興味があるかと思って。これは図鑑だからアシュベル王国で育つ四季折々の植物について、絵付きで詳しく描かれている。なんとなく参考になるんじゃないかな」

 リリカが表紙を捲りページをめくっていくと、種類別に植物が掲載されている。かなり実物に近い絵が鮮やかな色彩で描かれ、生育地域や特徴、花が咲く時期、育て方に至るまで事細かく書かれていた。

「わぁ、すごい。こんな本もあるんですね!」

「気に入った?」

「はい、とても! ちょうど春の花が咲き始めて、手入れが欠かせない時期になって来ていたので。あの、少し読んでいってもいいですか?」

「もちろんいいよ。好きなだけどうぞ」


 ウィルジアに快諾してもらったリリカは図鑑に視線を戻す。

 リリカが庭に植えた花は、実に四十種類。花を植える際ウィルジアに「お好みの花はございますか?」と尋ねたのだが、「ないからリリカの好きにするといいよ」と言われた結果、気がつけば大量の花を庭に植えていた。初めての住み込みの仕事で張り切ったせいである。

 植えた以上は綺麗に咲かせなければならない。庭師に師事した時、剪定や肥料のあげ方や手入れは一通り教わっていたのだが、こうして図鑑を読んでいるとまた新たな発見がある。

 隣の席にウィルジアが腰掛け、本を読む気配がした。二人で静かに本を捲る。

 リリカは一字一句を読み逃すまいと、集中して図鑑を読んだ。

 全ての知識を吸収して脳みそに叩き込み、図鑑をパタリと閉じた時、リリカは充足感に満たされていた。

 隣で同じく読書をしていたウィルジアに話しかけられる。


「読み終わった?」

「はい、とても参考になりました。早速明日、試してみようかと思います」


 そしてステンドグラスから落ちる陽の光にちらりと視線を走らせる。日はだいぶ傾いており、夕方に近い。ウィルジアをいつも迎えに来る時間が近づいていた。


「そろそろ、お屋敷に帰りましょうか?」


 リリカが尋ねると、ウィルジアは顎に指を当てて少し視線を彷徨わせた。


「あー……リリカさえ良ければ、もう一つ案内したい場所があるんだ。屋敷での仕事があるなら、それは後回しにしてくれて構わないから、どうだろう」

「お屋敷での業務は、本日は全て終わらせてあるので問題ありません」


 ジェラールが図書館の案内をしてくれるというので、リリカは前日から張り切って業務をこなしていた。前倒しにできるものは夜間の間に済ませ、朝も早く夜が明けきらないうちから洗濯をし、日の出とともに洗濯物を干して一度屋敷に帰った隙に取り込んでガラス張りのサンルームに干し直してある。夕飯の仕込みもバッチリだし、特に時間にあくせくしていない。


「そうか。なら、行こう」


 ウィルジアは立ち上がり、本を元の書架に戻してから回廊を歩く。

 階段をひたすら上に上って行くウィルジアにリリカは大人しくついていった。

 やがて上に続く階段がなくなると、ウィルジアは回廊に出る。リリカも続くと、見える光景に声を漏らした。


「わぁ、素敵……!」


 王立図書館最上部、五階から眺める景色は先ほどの二階とはまるで異なっていた。

 地上よりも円形の天井に程近く、夕暮れ時のオレンジ色の光を受けたステンドグラスが神秘的に輝いている。ステンドグラスや天井画の精緻なデザインがはっきりと視認でき、一階で見上げていた時よりも細部が確認できた。階下では蝋燭の照明がポツポツと灯され、まるで夜空に浮かんだ星のように煌めいている。

「僕は落ち着かないから上階にはあまり来ないんだけど、五階だけは特別でたまに来るんだ。特に夕暮れ時の時間帯は建物全体が西日に照らされて、綺麗に見える。書架が少なくて人もほとんど来ないから、穴場なんだよ」


「本当に……綺麗です」


 リリカは同意しながらウィルジアを見る。するとウィルジアは何故だか顔を赤くして俯いてしまった。


「顔が赤いようですが、どうかしましたか?」

「…………っ、なんでもない」


 ウィルジアは短くなった前髪を引っ張って表情を隠そうと奮闘しているようだったが、徒労に終わっている。リリカによって常にベストな状態に保たれているウィルジアの今の髪型では、もはや顔を隠すことは不可能だ。

 唐突に赤くなったウィルジアを心配して、リリカは顔を覗き込む。


「具合が悪くなりましたか? 少しお休みします?」

「いや本当になんでもないんだ」


 早口で言いながらウィルジアは視線をリリカから逸らしてしまった。


「でしたら、いいのですが……」



 西日を受けるリリカを見て、綺麗だ、と思ってしまったのは仕方のないことだろう。

 何せ図書館にいるリリカは、ウィルジアの目に非常に新鮮に見えた。

 五階にリリカを案内したのは、自分が好きな場所をリリカにも共有したいと思ったからで、気に入ってもらえたらいいなと思ったからだ。

 結果リリカはとても喜んでくれ、一階で見るより遥かに間近で眺められるステンドグラスを興味深そうに眺めていた。


ーーけれど。予想外のことも起こった。


 夕暮れの茜色に染まったステンドグラス越しの光を浴びる、リリカの長い亜麻色の髪は美しく輝いていたし、瑠璃色の大きな瞳は光を反射して幻想的に煌めいていた。

 華奢なリリカが身に纏っているのはいつもの使用人服ではなく、小花柄の色合いが明るい可愛らしいドレスで、まるで彼女がいつもとは違う人物のように見えた。

 こんなに綺麗に見えるなんて予想だにしておらず、ウィルジアは動揺を隠せなくなる。顔中に熱が集まるのを感じ、リリカにまで訝しまれ、なんとか顔を見られないようにできないかと前髪を引っ張ってみたけど無駄な努力に終わった。

 ウィルジアは気持ちを鎮めようと心の中でブツブツと自己暗示をかける。


(確かにリリカは綺麗だ。けど、僕はリリカを好きじゃない。いや好きだけど、好きじゃない。絶対に好きじゃない)


「ウィルジア様?」

「あっ、ごめん。なんでもない。か、帰ろうか」


 黙り込んだウィルジアを心配して声をかけてくれたリリカにそう言うと、ウィルジアはなんとかリリカに視線を戻した。

 心配そうな表情までもが可愛くて、綺麗で、視線が釘付けになる。

 好きじゃない、好きじゃない。

 いくら自分に言い聞かせたところで、胸の高鳴りが抑えられない。

 舌が痺れるような甘い感覚と、締め付けられるような苦しさの正体を考えないようにして、ウィルジアは「行こうか」と言うと、足早に階段を降りた。

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