第41話 好きじゃない

 ウィルジアとジェイコブしかいない地下の書庫は静かだ。いついかなる時も感情を剥き出しにしないジェイコブ室長が、一定のリズムで書物のページをめくって羽根ペンを走らせる音以外、何も聞こえない。

 数時間前にジェラールが、「今日はリリカさんとデートなんだ」と言ってウキウキしながら出て行った。ウィルジアは「頑張れよ」と言って見送った。

 リリカからは何も聞かされていないし、聞いてもいなかった。

 プライベートな時間の予定まで聞くのはそれこそ無粋だと思ったからだ。

 それでも、リリカの方から何か言ってこないかなと一抹の淡い期待を抱いていたのだが、彼女は特に何も言わず普段通りに朝の仕事をこなし、ウィルジアを図書館まで送ってくれた。

 どこに行って何をするつもりなのか知らないが、成功したならば祝福しようと思っている。

 しかし、そんなウィルジアの決意の最中に地下室の書庫の扉が開かれて入ってきた人物を見て、ウィルジアは思わず声をかけた。


「あれ、どうして戻ってきたんだジェラール。さっきリリカとデートだと、張り切って出て行ったじゃないか」

「デートだった」

「ずいぶん早く戻ってきたな……まだ数時間しか経ってない」


 ジェラールはこの問いかけに答えず、書庫内を横切ると、またしてもウィルジアの隣の席にどっかり腰を下ろした。そして机の頬杖をつき、じっとウィルジアの顔を見つめてくる。穴が開きそうなほどに見つめられ、ウィルジアはたじろいだ。


「どうしたんだ」

「リリカさんは、お前のことが大好きだな」

「えっ!?」

「さっき、リリカさんと一緒に図書館内をデートしたんだが」

「デートって図書館の中でしたのか!? それってデートって言えるのか」

「他に行き先が思い浮かばなかったんだ。リリカさんも楽しんでくれていた。まあそれでだな、一緒にいる間中ずっと、リリカさんはお前の話ばかりをしていたぞ」


 ジェラールは銀縁眼鏡の奥で遠い目をしながら、デートの回想をしているようだった。


「何かにつけてウィルジアのことを聞きたがって、話すと喜んでいた。目の前にいる俺よりも、お前のことを考えているんだろうな」

「…………」

「というわけで、俺の付け入る隙は残念ながら全くなさそうだった」

「そうか……」


 ウィルジアはあっさり失恋を認めた友人に、なんと声をかけていいかわからなかった。何せ友人が恋をしたのも、友人が失恋したのも、初めてである。

「元気出せよ」と言えばいいのか、それとも「諦めるなよ」だろうか。

 しかし心のどこかで安心している自分がいることを、認めざるを得ない。

 リリカはジェラールと一緒にいても、ウィルジアのことを考えて話題にしてくれた。もちろん使用人として職務に忠実なリリカは、「ご主人様の職場を見て、普段どのように過ごしているのかを知りたい」という欲求でジェラールにあれこれ問うたのだろう。だとしても、嬉しい。なんだかよくわからないけど、嬉しい。

 ウィルジアが密かに口元を綻ばせてニヤニヤしていると、ジェラールは胡乱げな目でウィルジアを見た。


「なんだ、お前、リリカさんのこと好きなのか」

「!?」


 突然すぎる問いかけに、ウィルジアは笑いを引っ込めた。


「は……!?」

「だって今、リリカさんがお前の話ばかりすると聞いて嬉しそうにしてたじゃないか。好きなんだろ。俺が諦めたって知って、安心したんだろ」


 恋に溺れて錯乱していた時のジェラールとは打って変わって、実に冷静な物言いだ。まるで古い文献を目にして、ウィルジアと論議を戦わせている時のようだった。

 しかし指摘されたウィルジアはしどろもどろに言い訳をする。


「違う! いや、違わないけど、確かにリリカのことはいい子だなと思っているけど、それは恋愛感情とかじゃなくって、雇用主として使用人に好かれたいと思うのは当然で……!」

「今までは使用人に好かれようが嫌われようが、どうでも良さそうだったじゃないか」

「…………!」

「好きなんだろ? いいなぁって思ってるんだろ?」

「す、好きじゃない! 思ってない! いや、好きだしいいなと思ってるけど、そうじゃない!」

「なんでそんなに頑ななんだ」


 詰問されたウィルジアは、もはや涙目だった。どうしてジェラールはこんなにもしつこく詰め寄ってくるのだ。今しがたリリカに失恋したばかりだというのに、切り替えの速さが尋常ではない。


「き、今日はもう、帰る!」


 これ以上ジェラールと喋っていると変になりそうだったので、ウィルジアはそう言うなり立ち上がり、急いで荷物をかき集めると脱兎の如く書庫を出た。

 階段を上りながらウィルジアは混乱する己の気持ちを鎮めようと努力した。

 ウィルジアは基本的に人間不信でネガティブだ。誰かに好かれたことなんてないし、誰かを好きになったこともない。

 だから、「リリカさんのこと好きなのか」と問われても、答えられるはずがない。

 そりゃあ好きか嫌いかと聞かれれば好きだ。

 あんなにも明るくて気さくで前向きで可愛くて、ウィルジアの存在を丸ごと全肯定してくれるリリカを嫌いなはずがない。

 しかし、その感情を明確に自覚するのが恐ろしい。

 というか、雇用主であるウィルジアが使用人のリリカに恋愛感情を向けるというのは大問題だろう。

 もしもそんなことになってみろ。リリカに蔑みの目で見られて、

「そんな目で私を見ていたんですね、私、お仕事辞めさせていただきます」

 と言われるに決まっている。


「だから僕は、リリカのことは好きじゃない。いや、好きだけど、好きじゃない。断じて恋愛感情は持ってない」

「ウィルジア様」

「おわっ!?」


 ウィルジアがブツブツと自己暗示をかけながら階段を上り切り、ホールを横切り正面入り口から外に出たところで、今しがた考えていたリリカ本人が声をかけてきた。心臓に悪い。


「リ、リリカ。僕の今の独り言聞いてた?」

「いいえ。何かおっしゃっているな、とは思いましたが……」

「そうか、ならよかった」


 そうしてウィルジアは、気がついた。

 リリカがいつもと違う。地味な使用人服ではなく、明るい色合いの可愛らしいドレスを着て、髪型も服に合わせて下ろしていた。

 いつもの状態でも十二分に可愛いリリカだが、これは反則だろうとウィルジアは思った。


「えっ、リリカ可愛い」


 突然目にしたおめかし状態のリリカに、先ほどまでの混乱も相まってウィルジアは思わず本音が口からこぼれ出た。リリカはスカートの裾を少し持ち上げると、はにかむ。


「実は本日、ジェラール様に図書館内を案内していただいたんですが、流石にいつもの服だと良くないかなと思いまして……ウィルジア様に褒めていただけて、嬉しいです」

 ウィルジアはローブの上から左胸を押さえ、背中を丸めて俯く。自分の顔が真っ赤になっている気がして、今はリリカに表情を見られたくなかった。

「と、図書館はどうだった?」

「はい、ずっとウィルジア様が働いていらっしゃる場所がどんなところか見てみたいなと思っていたので、とても嬉しかったです」


 ちらりとリリカを伺い見ると、非常に満足そうな顔をしていた。

 そんな顔されると、リリカも実はウィルジアに好感を抱いているのではないかと勘違いしそうになる。

 いやいや、調子に乗ってはいけない。リリカはあくまで職務に忠実なだけだ。使用人として、主人であるウィルジアのことを知っておきたいと考えているだけだ。リリカがウィルジアを好きになる要素などどこにもないと、肝に銘じておくべきだろう。

 ウィルジアは左右に頭を振ってから、とりあえず会話を繋いだ。


「全部見て回ったのかな」

「閲覧室とカフェテリアだけです」

「地下は来なかったんだね」

「お仕事のお邪魔になってはいけないと思い……」

「そうか。二階から上は?」

「行きませんでした」

「なら、今から僕が案内しようか?」


 言ってから、自分で自分に驚いて思わず口元を片手で覆った。何を言っているんだろう。考えなしに、しかしリリカに会ったら言おうと決めていたように、言葉が口から自然に溢れ出た。


「……よろしいんですか? ご迷惑じゃありませんか?」


 リリカがおずおずと問い返してくる。ウィルジアは口元を覆った手をおろして拳を握ると、頷いた。


「全然迷惑じゃない。リリカさえよければ、案内したい」

「では、お願いします」


 リリカは控えめだが嬉しそうに笑みを浮かべつつ返答した。


「うん」


 ウィルジアははにかむリリカを直視できずに視線を右斜め下に固定したまま、もう一度頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る