第40話 デート②

 リリカとジェラールは閲覧室内部に進む。

 十角形の面の部分に書架が存在しており、リリカの身長の二倍ほどもある棚にびっしりと本が収められていた。

 圧倒的すぎる書物量に思わず目が眩んだ。

 ウィルジアの書斎や王都の本屋もかなり沢山の本があると思っていたが、図書館内はそれらが比較にならないほどの蔵書が収められていた。


「リリカさんはどんな本が気になる?」

「そうですね……お掃除や洗濯などの何かお屋敷での仕事に役立つものがあれば読みたいです」


 リリカの答えにジェラールは眉尻を下げて少し困った表情を作る。


「そういう本は残念ながら存在してない。読み手も書き手も、富裕層か学者が対象だから……」


 迂闊だった、とリリカは思った。平民が読み書きできないのだから、生活の知恵のような本があるはずがない。王都の貴族外に近い場所にある本屋にも、そうした本は置かれていなかった。

 自分の知識の浅さを恥ずかしく思いながら、逆に尋ねた。


「どのような本が置かれているのでしょうか?」

「哲学書、宗教、錬金術、天文学、あとは歴史書なんかが主なもので、他には……剣術指南書や歌劇の脚本、恋愛小説なんかも置いている」


 さすがは貴族や学者たちが集う場所に置かれている書物なだけあり、どれもリリカにはあまり縁のないものである。何がいいだろうかと迷ったリリカは、おずおずと問いかけてみた。


「ウィルジア様が手がけた本は、ありますか……?」

「そうだなぁ、この一冊がウィルジアも手がけたものだな」


 ジェラールが一冊の分厚い本を書架から抜き取り、閲覧室まで運んでくれる。席に座るよう促されリリカが座ると、ジェラールも隣の席に腰掛けた。

 羊皮紙に書かれた本はどっしりと厚みがあった。赤茶色の表紙には確かにウィルジアの筆跡で「ルクレシア朝時代」と書かれている。


「ルクレシア王朝の時代に関しては、俺たち三人が少し前に編纂していた。アヴェール王朝の前の王の御代で、平和な時代だったんだ。資料を集めるのに苦労した記憶がある。何せ時代によっては同じ言い回しでも意味が微妙に異なっていたりするから、文脈から意図を読み取る必要があってな」

「へぇ……ちなみにウィルジア様がお書きになったのは、どの章でしょうか?」

「……ウィルジアが関わったのは、第十五章だ」


 ページを捲ると目次があり、リリカは迷わず十五章のページを開く。細かな文字でびっしりとこの年代に起こった出来事が書かれてあった。政治経済、文化、他国の動き。時折文字に混じって挿絵が挟まれており、色鮮やかに当時の様子が描かれている。


「この絵もウィルジア様が描いたのでしょうか?」

「いや、それは過去の資料に描かれていたものを画家に依頼して模写してもらった。あいつの絵心は酷いもんだぞ、今度描いてもらったらいい」


 ジェラールは過去を思い出したのか、喉を鳴らして笑う。

 ウィルジアの筆跡で書かれた十五章は文章の合間に注釈が交えてあり、リリカが読んでも理解できるようなわかりやすさだった。


「ウィルジア様は、やっぱりすごいお方なんですね」


 しっかりと十五章を読んだリリカは、そう感想を漏らす。丁寧に書かれた内容は、ウィルジアらしさが随所に散りばめられていた。

 きっとさまざまな資料を読み解いてこの章をまとめたのだろう。知識の他に根気と忍耐が必要な作業を思い浮かべ、リリカは己の支えている主人により一層の尊敬の念を抱く。

 ジェラールは満足そうなリリカの横顔を見て、少し複雑そうな表情をした。眉根を寄せ、瞳に険しい色を宿す。だがリリカが気がつかない一瞬のうちに表情を元の朗らかな笑みに戻すと、本を持ち上げ立ち上がった。


「そろそろ昼時だ。カフェテリアに行かないか?」

「私も利用できるのですか?」

「俺と一緒だから、問題ない」

「では、是非」


 王立図書館内をくまなく見て回りたいリリカとしては、カフェテリアも是非立ち寄っておきたい。

 二人は書架に本を戻すと、広い閲覧室を出た。先ほどのホールに続く廊下を途中で折れると、カフェテリアが姿を現す。

 ホールや閲覧室同様に広々とした店内は、三人がけほどの丸いテーブルが等間隔に置かれ、食事や談笑を楽しむ人々の姿があった。

 メニューはカフェテリアなだけあって軽食が中心であり、ホットサンドやオムレツ、キッシュなどだった。

 ホットサンドを注文したリリカは、ジェラールと向かい合って座って席につく。

 食べてみると、中からハムと、温められてとろりとしたチーズが顔を覗かせた。

 さっくりした食感が絶妙であり、パン自体にほのかな甘味があって美味しい。パンに塗られているバターもいい味を出している。さすが王立図書館内に存在しているカフェテリアは、ホットサンド一つとっても王都の下町のものとはレベルが違うと思い知らされた。


「ウィルジア様は、どうしてカフェテリアを利用しないのでしょうか。こんなに便利なのに」

「……ウィルジアは一度集中しだすと、空腹も忘れて書物に向き合うから。最近はきちんと昼食もとっているみたいだけど。リリカさんが昼食も用意してあげているだろう?」

「はい」


 今日はアボカドと茹でたエビを挟んだサンドイッチを用意してあった。


「昼時になると嬉しそうに食べてる。一体どうしたんだと思って見てたよ。出会った時から身なりに気なんて使わなかったウィルジアが、急に髪を切って服もきちんとして垢抜けたし、昼食まで取るようになったなんて。リリカさんが全部面倒見ているのか?」

「僭越ながら」


 リリカが頷くと、ジェラールが少し笑った。


「君は主人思いだね」

「使用人として、当然の務めを果たしているだけです」

「……あいつにそこまで忠実に仕えている使用人を、俺は初めて見た」


 リリカはホットサンドを食べる手を止め、首を傾げる。


「出会った時から本以外に興味がないような人間だったから。それは俺も室長も同じなんだけど、あいつは加えて人間不信気味だった。人目を阻むように髪を伸ばして顔を隠し、猫背気味で俯いて歩いていたのに、最近は少し違う。本を読んでいる時以外も、楽しそうだ。きっと君が屋敷にいるからなんだろうね」


 ジェラールは眩しそうに目を細めてリリカを見つめた。


「これからもあいつを支えてやってくれないか」


 リリカは、ウィルジアの友人兼同僚にそう言われ、嬉しくなった。ずっとウィルジアと共に時間を過ごしたであろう人に認められたような気持ちになり、これからもますます頑張らねばと気合いを入れる。


「はい、全力でお仕えします!」

「そうしてやってくれ」


 ジェラールは銀縁眼鏡の奥、青い瞳を細めてリリカを見つめた。

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