第36話 友人は案外積極的だった
リリカはその日の夕方、屋敷で全ての仕事を終わらせてから嬉々としてウィルジアを迎えに行った。
馬をパカパカ走らせてのんびりと通りを行く。
やがて見えた白い石造りの王立図書館。何度見ても、大きさに驚くばかりだ。指定された時間より少し早めに着いたリリカは主人が出てくるのを待とうと考えていたが、入口から猛然と走り出てくるウィルジアの姿を見て驚いた。
「ウィ、ウィルジア様っ?」
全力疾走するウィルジアあを初めて見てびっくりするリリカに構わず、ウィルジアは馬車の扉を自分で開けるとさっさと中に乗り込んだ。
「よし、出してくれ」
「はい、かしこまりました」
デキる使用人のリリカは、主人の命令に疑問を挟まずすぐさま馬車を出発させる。
そのまま屋敷まで戻ると、何も言わないウィルジアにやはり何も聞かずにさっさと湯浴みの準備と夕飯の準備をした。
ウィルジアは夕飯の間、少し変だった。
何かを考え込むように黙り込み、黙々と食事をしていたが、何を食べているのかわかっていないようだった。
きっと、お仕事で何か難しい問題に直面したのだろうとリリカは考える。
であればリリカはご主人様の邪魔をしないように給仕に徹するだけだ。
食後の一杯にハーブティーを出したところでようやくウィルジアの思考が現実に引き戻されたようで、リリカを見た。
「コーヒーではないんだね」
「難しいお顔をしていらっしゃったので、リラックス効果のあるハーブティーにしてみました。コーヒーの方がよろしければすぐさま淹れ直します」
「いや、いいよ。ありがとう」
ウィルジアはハーブティーに口をつける。ほうと息をつくと、先ほどより緩んだ表情になった。
「ハーブティーもたまにはいいね。落ち着く味がする」
「恐れ入ります」
リリカの淹れたハーブティーはカモミールがブレンドされているもので、カフェインが入っていないので夕食後に飲むのにちょうどいい。
ティーカップを置いたウィルジアは、リリカに視線を移す。
「リリカは……」
「はい、なんでしょうか」
「いや……」
ウィルジアはなんとも歯切れの悪い返答をした。
視線はリリカの顔とティーカップとを忙しなく行きつ戻りつし、何か言おうと口を開き、しかし何も言わずにまた閉ざす。
何かを言いたそうにモゴモゴしていたが、結局言葉は出てこなかった。
やがて諦めたかのようで、立ち上がる。
「部屋に戻るよ」
「かしこまりました。おやすみなさいませ」
「うん」
食堂から出て行くウィルジアの背中は、いつもより小さく見えた。
翌日のウィルジアも変だった。
あまり寝ていないのか顔色は悪く目の下にクマができていたので本日の料理はリリカが全てをこなし、大人しく食卓についていてもらう。
出発の段階になると御者台に座ったリリカをじーっと見つめ、悲壮感に満ちた顔をしていた。リリカはそんな顔をさせてしまった原因が全く思い至らず、ひとまず思いつくことを口にしてみる。
「ウィルジア様。もしかして、馬車の乗り心地が悪かったですか?」
「いいや快適だった」
「では、もっと速度を出すか、逆にもっとゆっくりと走らせた方がよろしかったでしょうか」
「そういうわけじゃないんだ。ごめん、出してくれ」
「かしこまりました」
リリカはウィルジアが馬車に乗り込んだのを確認すると、馬を出す。
そのまま図書館にたどり着くと、馬車を止めた。
「ではウィルジア様、今日もお仕事行ってらっしゃいませ」
「あぁ、うん」
立ち止まったままリリカをじっと見つめ続けるウィルジアにリリカは尋ねる。
「いかがいたしました?」
「いや……」
ウィルジアが意を決したように、とうとう口を開いた。
「妙な奴に話しかけられたら、ちゃんと逃げるんだよ」
「? かしこまりました」
「じゃ、行ってくる」
「はい、行ってらっしゃいませ」
リリカはウィルジアを見送る。図書館内に入って行ったのを確認してから、さて帰ろうかと馬の手綱を握ったリリカに誰かが話しかけてきた。
「やあ、リリカさん」
声のした方を見ると、昨日本を落としそうになっていた青年が立っている。
「昨日はどうも。ウィルジアの屋敷の使用人なんだって?」
「はい」
「俺はジェラール・フィッツロイ。ウィルジアの同僚で、あいつとは何かと仲良くしている」
「ウィルジア様のご同僚様ですか」
「そう」
ジェラールと名乗った銀髪の青年は輝かんばかりの笑顔を浮かべる。
「そんなわけだから、これから何かとよろしく!」
「はい、よろしくお願いします」
ご主人様の仕事関係の人に失礼な態度を取っては大変なので、リリカは丁寧に頭を下げて挨拶をした。
ジェラールはリリカの返事に満足そうにし、颯爽と図書館まで去って行った。
***
「リリカさんに話しかけた」
「…………」
「いやぁ、何度見ても可愛い子だな! 『よろしくお願いします』って丁寧に挨拶を返してくれて。あんないい子、初めて見たよ」
ウィルジアの同僚であり唯一の友人であるジェラールは、やって来るなり嬉々としてそんな報告をしてきた。
せっかく昨日の夕方ジェラールがリリカに会わないようにすごい勢いで帰ったというのに、朝待ち構えられては台無しである。
たった二回会っただけだというのに、ジェラールは仕事もせずに延々とリリカの良いところを褒め称え続けた。
表情はイキイキとしており、常に口角が上がりっぱなしで、常に冷静で知性が閃く青い瞳は今、いつもと違う浮かれた感じに煌めいている。
ウィルジアは友人のあまりの変貌具合に閉口せざるを得ない。
ジェラール・フィッツロイは常に表情を崩さずに冷静・理知的・時折する指摘は手厳しいと周囲の人間は思っていた。本に向き合う様は落ち着き払っていて、滅多に笑わず、実年齢よりも歳上に見られることがしょっちゅうだ。
ジェラールは本以外全くどうでもいいウィルジアとは違いそれなりに見た目にも気を遣っていたので、割と人気があることをウィルジアは知っていた。手入れされた銀色の長い髪を括り、四角い銀縁眼鏡の奥の海のように深い青の瞳からは知性を感じさせ、物腰は落ち着いている。黒いローブをパリッと着こなし、ウィルジアのように猫背ではなく定規をあてたかのように姿勢が良い。
地味な職業に就いている男爵家の三男ということで身分が高い人々には見向きもされないが、図書館まで同行している侍女などに言い寄られている姿をウィルジアは何度か目撃したことがあった。最も本人はそういう人々に興味はなく、すげなく断っていたわけなのだが。
しかし今、目の前にいる友人は、そうした過去の人物像をぶち壊しにしてくれた。
「リリカさん、いい匂いがした。それに瑠璃色の瞳が美しい。昨日、図書館まで本を運んでくれた時といい、あんなに素晴らしい子が使用人だなんて羨ましい限りだよ。今日の帰りも話しかけよう」
ジェラールの言葉にウィルジアは少し苛立ったが、何も言わずに向き合っていた書物のページをめくった。が、内容が全く頭に入ってこない。
なおも話そうとする友人に、ウィルジアはかたい口調で言った。
「ジェラール、そろそろ仕事をしたらどうだ?」
ジェラールはこの言葉に動きを止め、肩をすくめてから、大人しく自席につく。
ジェイコブ室長は相変わらず何も言わず、粛々と自らの仕事をし続けていた。
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