第32話 ウィルジアとジェラールの出会い②

「ジェイコブさん、ここで働くことを希望している人を連れてきました」


 ジェラールはウィルジアを連れて地下の書庫の一つに入っていく。

 窓のない薄暗い地下の書庫は、全体的に埃っぽかった。書架にも机にもうずたかく紙の束や朽ちかけの本が積まれており、上階の明るく開放的で整然とした空間とまるで異なっている。

 僅かな蝋燭の照明を頼りに机に向かっている老人がいた。禿げた頭と皺々の顔、小さな体で姿勢をピシリとただして黙々と羽根ペンを動かしている。

 ジェラールはウィルジアに耳打ちした。


「ジェイコブさんは俺が来るまで一人でここで働いていたらしい。耳が遠いから、近づいて大声を出さないと聞こえない」


 ジェラールはジェイコブの机の前にまわり込むと、顔を近づけ、息を吸い込み声を張った。


「ジェイコブさん! 新人を連れてきました!!」

「ん? あぁ……」


 ようやく気がついたジェイコブは、羽根ペンを置くとウィルジアの顔を見た。


「名前は」

「ウィルジアです」

「んああ?」

「ウィルジアです!!」


 ジェイコブが耳に手を当てて聞き返したので、ウィルジアは大声を出した。


「あぁ……第四王子様と同じ名前じゃのう」


 ぎくりとしたが、ジェイコブはウィルジアの素性にさして興味なさそうだった。


「まあ、いい。さて、わしは今年で九十一歳になるんじゃがのう。そろそろ後継者が欲しいと思っていたんじゃ。ジェラールともども、わしの仕事を継いでもらえるとありがたい」

「え……いいんですか!?」

「良い良い。やりたいと思ってくれた人間にやってもらうのが、一番じゃ」

「ありがとうございます!」


 ウィルジアは隣にいるジェラールを見る。


「僕、ここにいていいって」

「よかったな。……ところでお前、第四王子なのか?」

「え……いや……」


 ウィルジアは答えづらくなって、前髪を引っ張りつつしどろもどろになった。

 王子が歴史編纂家になるなんて変だ、王宮に帰れなどと言われたら嫌だ。

 しかしジェラールはこの曖昧な態度を肯定と取ったらしい。


「ふーん。まあ、どうでもいいけど。俺は男爵家の三男だから本来なら、王子様相手には敬語を使って下手に出ないといけない。が、この場所では僕の方が一年先輩だ。だから対等に接する」

「あ、うん。それでいいよ」


 ウィルジアは首を上下に振って頷いた。


「なら、これからよろしく」


 ジェラールはウィルジアに右手を差し出してきた。何を求められているんだろうかとウィルジアは思い、ぼんやりと差し出された右手を見つめていると、ジェラールは片眉を上げた。


「握手だよ。これから一緒に働く仲間としての挨拶だ」

「あ、ああ、うん。……よろしく」


 ウィルジアはおずおずと左手を出す。ジェラールの右手に触れると、ぎゅっと握られた。



 対等に接するという言葉通りに、ジェラールは全くウィルジアを特別扱いしなかった。歴史編纂家としての仕事内容を教えてくれ、共に作業に勤しむ。室長のジェイコブは聞くより筆記の方が早いと言うことがわかり、時々筆談を交えながら三人で働き出した。

 もはやウィルジアの家族はウィルジアに王子教育を施すのを完全に諦め、ウィルジアが十五歳になる時に正式に王位継承権を剥奪する旨が言い渡された。王位を継ぐ気のないウィルジアとしても願ったり叶ったりである。

「アシュベル王国第四王子」ではなく「ルクレール公爵」と名乗るようになり、王都近郊の森にある屋敷を貰い受け、王立図書館に通う日々は楽しい。

 帰るのが面倒くさくなりしばしば図書館に泊まり込むウィルジアを見て、ジェラールは顔を顰めた。


「ウィルジア、変な臭いがする」

「もう三日くらい帰ってないから」

「帰って風呂に入って来い!」


 と言われたり、


「ウィルジア、お前、最後に食事したのいつだ?」

「いつだろう……今、何月何日の何時だ?」

「春初月の十五日、午前十時三十二分」

「あれ、おかしいな。僕がここにきた時は、春初月の三日だった」

「まさかずっと篭ってるのか!? 餓死するぞ、何か食って来い! ていうか臭い!」


と言われたりした。

 リリカがやってくるまでの間ウィルジアが生きていたのは、ジェラールが気にかけてくれていたからに他ならない。室長のジェイコブは質問すれば返してくれるが、特にウィルジアの動向に気を配っているわけではないので、きっと書物に向き合ったままウィルジアが餓死していても気がつかないだろう。

 ウィルジアはジェラールという同僚にして友人を得て嬉しかった。

 今までウィルジアを対等に扱ってくれた人間なんていなかった。

 厳しく叱る家庭教師か、不出来なウィルジアを困ったように見つめる家族か、王子という身分ゆえにすり寄ってくる貴族ばかりだった。

 ジェラールはウィルジアをそんな風に見ないし、会話は楽しいし、一緒にいて居心地がいい。

 書物にしか興味のないウィルジアより遥かに人間ができているジェラールに、ある日ウィルジアは前々から気になっていたことを尋ねた。


「どうしてジェラールは歴史編纂家になろうと思ったんだい? 君ほどの教養と常識があって身なりも見た目も良ければ、上の大閲覧室で司書としても働けるだろうに」


 するとジェラールは書物をめくっていた手をぴたりと止め、羽根ペンを置くと、ウィルジアに向き合った。


「お前と一緒だよ」

「僕と?」

「本が好きで歴史が好きだった。俺は貧乏男爵家の三男で、貴族と言ってもほぼ平民と変わらない。かろうじて教わった読み書きだけが取り柄で、誇りだった。だからそれを活かせる仕事に就きたいと思って、歴史編纂家になった。上の仕事よりも書物に向き合って没頭できる」


 だから気が合うのか、とウィルジアは思った。

 無表情で口調はきびきびしており、指摘が鋭いジェラールは一見冷たい印象を与えるが、話してみると誰よりもウィルジアを気遣って理解してくれている。


「……僕は、いい仕事仲間を持ったよ」

「そうか。だがせめて二日に一回は家に帰って風呂に入りまともな食事を取れ」

「うん、努力する」


 しかし悲しいかな、リリカがやってくるまでウィルジアの図書館泊まりの日々は続き、おまけに年を重ねるごとにそれは酷くなっていき、リリカが屋敷にやって来た時にはとうとう二十日間連続宿泊という大記録を樹立してジェラールにキレられたり呆れられたりしたのだが、それは別の話である。

 兎にも角にもウィルジアは、生真面目な同僚のジェラールを好ましく思った。

 これまで家族を含めて誰かに好感を抱いたことのないウィルジアにとって、初めての経験だった。

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