3部

第31話 ウィルジアとジェラールの出会い①

 出会いは互いに十一歳の時だった。

 王子であるが故にしきたりや行儀作法、各種の勉強や剣術などを強制され王宮での生活が苦しくてたまらなかったウィルジアは、十歳の時から王宮にほど近い王立図書館に入り浸るようになった。

 五階建ての広大な図書館内にはさまざまな書物が収蔵されており、ここで見つからない本はないと言われているアシュベル王国随一の大図書館だ。

 王宮の図書室にいるとすぐに家庭教師に見つかって勉強に引きずり戻されてしまうので、ウィルジアはこっそり王宮を抜け出しては王立図書館に一人、やって来るようになっていた。

 きっとそんなウィルジアの行動を大人たちは見抜いていただろうが、王子としての勉強にやる気を見せずに逃げ出すウィルジアに呆れて、放っておいていたに違いない。

 兎にも角にも王立図書館はウィルジアを拒否せず、受け入れてくれた。

 入館するには証明書が必要なのだが、ウィルジアは王族の証明である王家の紋章入り指輪を見せることであっさりと証明書を発行してもらえた。


 以降、ウィルジアはほぼ一日中ずっと王立図書館で過ごすことになり、この頃からウィルジアの王位継承権を放棄させる算段が両親の間で交わされるようになっていた。

 平民の識字率が低いので、王立図書館の利用者はほぼ、貴族だ。

 しかし貴族の中でも十歳の子供が来るというのは珍しく、ウィルジアは結構目立っていた。

 図書館一階にある、五階まで吹き抜けの大閲覧室で本を読んでいると奇異の目で見られるので、ウィルジアはわざわざ最上階の五階まで行き、隅っこの目立たない場所で本を読んだ。五階は書架の数も閲覧テーブルも少ないために人が少ない。


 それに、間近に見える天井のステンドグラスがとても綺麗だ。王宮の華美な装飾とは似て非なる模様に、ウィルジアは心奪われていた。

 ウィルジアが好き好んで読んでいたのは、歴史書である。

 普通、十歳の男の子であれば、剣術や兵器の本、あるいや昆虫図鑑などを好むのであろうが、ウィルジアはそうした類の本が好きではない。

 遥かなる国の歴史が書かれている、歴史の本に興味を惹かれた。

 アシュベル王国の成り立ちや各時代の出来事が仔細に書かれた歴史書は面白く、年代によって変わっていく国の姿を文字で追っていくのは楽しい。ウィルジアは時間を忘れて読書に没頭し、一年ほど図書館通いを続け、思った。


(……僕も、歴史書を作る仕事をしたい)


 それは、ウィルジアが生まれて初めて自ら「やりたい」と思えることを見つけた瞬間だった。

 ウィルジアは一階の大閲覧室のカウンター内にいる司書の一人に近づき、意を決して尋ねる。


「あのう……僕も、ここで働きたいんですけど」


 明らかに子供のウィルジアに問われて、真紅のローブを着た司書は困った顔をした。


「ここは子供の働ける場所じゃないから、あと五年経って、それでもまだ気持ちが変わっていなかったら来てちょうだい」


 にべもなく断られてウィルジアは肩を落とした。

 司書たちは忙しそうに仕事をしている。本の貸し出しや返却対応、戻ってきた本を書架に戻す作業。

 しかしそれらはウィルジアのやりたい仕事ではない。ウィルジアは本を作る方の仕事がしたい。

 そうか、とウィルジアは思った。

 声を掛ける人物を間違えたのだ。ウィルジアは、歴史書を作っている人に会って、話をするべきだった。

 しかし、一体どこにいるんだろう?

 ウィルジアは考える。

 王立図書館は広く、一般に開放されていない区画がたくさんある。

 きっとその一つに本を作る人たちが集まる場所があるに違いない。

 よし、探そう。とりあえず地下だ。王立図書館に入るとまず広いホールがあり、そこから上下に大きな階段が伸びているのだが地下は関係者以外立ち入り禁止となっている。だからそこにいる可能性が高い。

 ウィルジアは早速地下への階段を下ろうとして、そして声をかけられた。


「何をしている? 地下は関係者以外立ち入り禁止だぞ」


 鋭い声に足を止めて全身をこわばらせた。


「い、いやっ、あのっ、ちょっと歴史書を作っている人に会いたくて……!」


 言い訳をしながら振り向くと、立っているのは自分とさほど変わらない歳の頃の少年だった。滑らかな銀髪を束ね、四角い銀縁眼鏡をかけ、深い海の底のような青い瞳には知性が閃いている。一見すると冷たい印象すら抱くような少年は、膝下まで届くだぶついた黒いローブを袖を折って羽織っていた。 

 少年は首を傾げ、ウィルジアに問い詰める。


「どうして歴史編纂家に会いたい?」

「えーっと、僕も同じ仕事をしたくて……」


 ウィルジアは俯いてもごもご言う。


「その年で珍しいな」

「き、君も僕とそう変わらない年齢に見えるけど」


 ウィルジアがちらちら少年を見ながら言うと、少年は笑った。


「確かに。俺はジェラール・フィッツロイ。こう見えて歴史編纂家をやっている」

「え、え? ええ……? 君、いくつ?」

「今、十一歳だ」

「じゃあ、僕と同い年だ。歴史編纂家って、十一歳でなれるものなの?」

「室長の許可が下りれば、なれる」

「許可下りたんだ」


 ジェラールと名乗った少年は頷いた。


「じゃあ、僕もなれるかな……?」

 ジェラールは眼鏡の奥の瞳を細め、試すようにウィルジアを見つめる。それからおもむろに口を開いた。

「アロング王朝の始まりと終わりは?」

「754年から821年。飢饉と王室の贅沢とで貧しさに喘ぐ国民が反乱を起こし、ルイ・エドモンド・カロイングによって王朝を倒されて終わりを迎える。以降はカロイング王朝が始まった」

 即座にウィルジアが答えると、ジェラールは口の端を持ち上げて笑う。

「よく勉強してるんだな」

「歴史の勉強は好きだから」


 ウィルジアが唯一王宮の家庭教師に叱られなかった分野である。ジェラールはウィルジアの横を通り過ぎると、地下への階段を二、三歩下り、それから立ち止まって振り向いた。


「室長に紹介するから、行こう」


 ウィルジアは顔を輝かせて頷き、ジェラールの後について行った。

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