第24話 リリカの風邪①

 予兆はあった。

 一日の業務が終わり、さあそろそろ寝ようかなという段階で、「あれ、ちょっと喉がイガイガするかも」と思った。

 朝起きると、全身がだるく寒気がして、喉は焼け付くような痛みに変わっていた。唾を飲み込むだけでヒリヒリする。

 しかしリリカはウィルジアの屋敷に唯一存在する使用人である。休んでしまうと業務に支障が出てしまい、主人であるウィルジアに迷惑がかかってしまう。

 リリカは自分の体調不良に気がつかないふりをして、いつも通りの一日を始めた。

 フラフラしながら照明に火を灯し、暖炉に火を入れ、朝食の用意をしてからウィルジアの寝室に向かった。

 視界がぼーっと霞む中、ウィルジアの寝室の扉を前にして己の頬を両手で叩いて喝を入れる。

 使用人たるもの、体調管理も仕事のうち。主人に具合が悪いのを見抜かれるわけにいかない。

 リリカはいつも通りの自分を完璧に装った。咳払いを少しして喉の調子を整え、扉をノックする。


「失礼致します、ウィルジア様」


 扉を開けてベッドで眠るウィルジアに近づき、そっと声をかける。


「ウィルジア様、朝です。そろそろ起きてくださいませ」

「うーん」


 相変わらず朝に弱いウィルジアが、ぼんやりしながら身を起こす。半分寝ぼけ眼でリリカを見つめる。リリカはいつもと全く変わらない自分を演じつつ、ウィルジアに言った。


「朝のお支度の手伝いをいたしますのでどうぞ」

「うん……あれ」


 ウィルジアはベッドから降り、洗面所に向かおうとして、リリカを二度見した。


「いかがしましたか?」


 ウィルジアはじーっとリリカを見つめ、唐突にリリカに近づいた。かつてない至近距離にリリカが一歩下がろうとしたが、ふらついて足がもつれる。あっと思う間も無く後ろに倒れそうになったが、ウィルジアが背中を支えた。そのままおでこに反対の手のひらを当てられ、リリカは目を瞑る。


「…………熱い。リリカ、熱があるね?」

「いえ、ちょっと朝からランニングをしたので、体が火照っているだけです」


 咄嗟に嘘をついてみたが、ウィルジアは胡乱な顔でこちらをみている。


「嘘をついたらダメだよ。今日は一日寝ていよう」

「いえ。大丈夫です」

「大丈夫なものか。ものすごい具合悪そうじゃないか」

「ですが、ウィルジア様のお支度が……」

「自分で出来るよ」


 リリカは潤んだ瞳でウィルジアを見上げた。なんだか視界が霞んでいるし、ウィルジアの顔も天井もグルグル回って見えるのだが、それでもリリカは言い募った。


「大丈夫です、あの、全部終わってから休ませていただくので、とりあえず朝のご用意を」

「リリカ」


 ウィルジアはいつになくかたい声を出した。いつも情けなく下がっている眉が、今は少し吊り上がっている。怒らせてしまったかな、と思った。自分が体調を崩したばかりにウィルジアの一日に支障が出ては大変だ。ここはどうにかいつも通りに仕事をこなさなければ。


「命令だ。今日は一日ベッドで大人しくしていること」

「はい……ふぇ」

「いいから、寝ててくれ」


 ウィルジアは今度は眉尻を下げ、リリカに言い聞かせてくる。心配してくれているのがわかり、今度は申し訳ない気持ちになった。


「ふぇふが……」

「いよいよ呂律も怪しいぞ。ほら、部屋に戻ろう」

 

リリカはとうとう抵抗する力が尽き、ウィルジアに背中を支えられ手を引かれるがまま大人しく自室に戻った。


「僕は水を持ってくるから、君は着替えて大人しくベッドに入ること。戻ってくるまでに言うことを聞いていなかったら怒るから、いいね」

「ふぁい……」


 扉が閉まると、リリカは言われるがままに夜着に着替えてベッドに入った。

 ウィルジアに体調不良がバレてしまったせいなのか、それともベッドに入って気が抜けたせいなのか、結構しんどいなぁと思う。

 風邪を引いたのっていつぶりだろう。

 ベッドに入っても視界がぐるぐるしていて、気持ちが悪い。目を閉じて何も見ないようにする。

 しばらくすると扉が開いて、ウィルジアが戻ってくるのがわかったので、薄目を開けた。水差しとコップと洗面器とタオルを持っている。


「水、飲むかい?」


 こくりと頷くと、水を注いだコップを差し出してくれた。上半身を少し起こしてからコップを受け取り、水を飲む。きんと冷えた水は少し柑橘類の味がして、痛む喉に心地よい。リリカのいつもより数倍動きが鈍い脳裏に疑問がよぎった。


「…………これ、私がウィルジア様のために用意したお水では……?」

「ちょうど厨房にあったから」

「ご主人様のものを頂くなんて……すみましぇん……」


 情けなくなって謝ると、ウィルジアは視線を右往左往させて「気にしないでいいよ」と言ってくれた。

 優しい。

 ご主人様、優しい。

 リリカは己の主人の優しさに感謝しながらも再びベッドに横になる。

 額にひんやりしたものが載せられた。


「確か、熱があるときはおでこを冷やすといいんだろう。子供の時に熱を出すと、必ずおでこを冷やされた」

「ウィルジア様……ありがとうごじゃいます」


 まさかウィルジアに病人を看病する知識があるとは思わず、リリカは感動した。

 ウィルジアはかがみ込んでリリカの顔を見つめてから、「おやすみ」と言った。

 お言葉に甘えてそっと目を閉じる。

 眠気は、すぐに訪れた。

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