第19話 ウィルジアびっくりする②

「夜会であなたが別人みたいになっていたから気になって様子を見に来てみたのだけれど、お屋敷もとても素敵なところじゃないの。先ほどからあれこれ世話を焼いてくれる使用人も、とても気が利くわぁ」


 食堂に移動し、母はウィルジアの向かいで夕飯を食べていた。ウィルジアとしては非常に落ち着かない。一日の終わりにゆっくりしたいのに、なぜよりによって母と夕食を共にする羽目になったのか、皆目見当がつかなかった。

 リリカはウィルジアとエレーヌの間を行ったり来たりして給仕に勤しんでいる。


「このお料理もとっても美味しいわね。食材も味付けも彩りも、全てがわたくしの好みに合っているわ。素晴らしい料理人を雇っているのね」

「雇ってないよ」

「え?」

「料理人は雇ってない。料理をしているのは、今ここで給仕をしてくれているリリカだ」

「……え?」


 エレーヌはウィルジアの言っていることがうまく理解できていないようだった。笑顔のままにリリカを見つめる。リリカはエレーヌのワイングラスにワインを注ぎ入れると、ボトルの口をきゅっと持ち上げ、ニコッと笑った。

「僭越ながら、お食事の支度をさせていただいております。お口にあったようで何よりです」


「あら、まあ、よく出来る使用人なのねぇ」


 母は今度はワイングラスを持ち上げつつ、部屋の中を見回す。


「先ほどのサロンもですけど、よく掃除の行き届いた部屋。城の掃除夫たちにも見習わせたいわ。一体誰が掃除を?」

「リリカ」

「え?」

「リリカがやってくれている」


 エレーヌは、空いた皿を下げるリリカを見つめた。リリカはにっこり微笑むと、お辞儀をしてから食堂を去っていった。次の料理を持ってくるために厨房に行ったのだろう。

 エレーヌは、こほんと咳払いをしてから、今度は窓の方を見つめた。


「お庭も素晴らしい手入れじゃないの。有名な庭師を雇い入れたの?」

「庭仕事もリリカがやってくれている」


 ウィルジアはさっさと母に帰ってほしい一心で、必要最低限の受け答えをしていた。今度こそエレーヌの動きがぴたりと止まった。


「ねえ、ウィル。あなた一体この屋敷に、何人の使用人を雇っているの?」

「リリカだけだよ」

「なんですって?」

「この屋敷には僕とリリカしかいない。掃除も洗濯も料理も給仕も庭仕事も僕のスケジュール管理も全て彼女がやってくれている」

「……なんですって!?」

 エレーヌは三十秒ほど固まってから、力一杯叫んだ。

「このお屋敷の全てを、彼女一人で!? たった一人で、全部!?」

「そう」


 ウィルジアは、リリカが持ってきたステーキを力一杯ナイフで切り裂きながら答えた。早く帰ってほしいと思っていた。

 エレーヌは心底驚いているようで、胸に手を当て、目を見開き動きを停止していた。

 ウィルジアは頃合いに焼けたステーキを頬張り、咀嚼し、飲み下してから母に言う。


「そんなわけだから、僕はうまくやっている。特に心配させるようなことは何もない。わかったら早く帰って……」

「……なんて素晴らしい使用人なの!!」


 母はウィルジアの言葉を遮り、感極まった様子で言った。


「えっ」

「サロンで給仕をしていた時から、わたくしにはわかっていたわ。ここにいるリリカは、きっととてつもなく気が利く使用人なのだろうって。そう、まるで、ヘレンのように!!」


 その時、滑らかに動き続けていたリリカの動作が一瞬止まった。食堂を出て厨房に向かっていた足が動きを止め、ピクリと肩が跳ねる。しかし二人に気づかれるより早く、リリカは再び歩き出した。


「……ヘレン?」


 ウィルジアはびっくりした。


「わたくしに長年仕えていた使用人よ。あなたも会ったことがあるでしょう。いつもひっそりと後ろに控え、けれども抜群に気が利いて、わたくしが求めているものを先回りして用意してくれていた素晴らしい使用人」

「あぁ、あの老婆の」

「そうよ。残念ながら年を重ねてしまってねぇ、使用人を辞めてしまったのだけれど。でもわたくしは、ついにヘレンの代わりとなる使用人を見つけたわ!」

「まさか」


 ウィルジアは嫌な予感がした。母は頬を紅潮させたまま喋り続ける。


「そうよ、リリカこそがわたくしにふさわしい使用人だわ!」

「いやいやいやいや」


 ウィルジアは持ち上げていたナイフとフォークをテーブルに置き、即座に待ったをかけた。


「リリカは僕が雇っている使用人だ。勝手に母上の使用人にしないでくれ」

「いいじゃない、ケチねぇ。ねえリリカ、わたくしに仕える気はないかしら。お給金なら今の十倍支払うわよ」


 エレーヌは再び戻ってきたリリカにそんな提案をした。ウィルジアはびっくりした。


「じゅっ、十倍!? なら僕は十五倍払う!」

「ならわたくしは二十倍払うわ」

「ならこっちは、三十倍だ!」


 完全に売り言葉に買い言葉である。リリカを巡る戦いはヒートアップし、二人とも一向に譲る気配を見せない。テーブルを挟んで向かい合う親子は、さながら威嚇しあう猛獣同士のようであった。


「こうなったらリリカに決めてもらいましょう」


 言われてウィルジアは一瞬怯んだ。もしリリカに聞いて、「エレーヌ様のところへ行きます」と言われたら、どうしようか。

 ウィルジアは自分がいい主人でないことを自覚している。

 口下手だし、書斎で気絶するように寝落ちしていてリリカに迷惑をかけているし、この広大な屋敷の維持管理とウィルジアのスケジュール管理まで任せている。どう考えても業務過多だ。リリカが有能でありついつい任せてしまっているが、本当は嫌気が差していたらどうしよう。

 怯んだのをいいことに、エレーヌが攻勢に出た。唇の端を持ち上げ、ふふんと微笑む。


「あぁら、どうやら自分が選ばれる自信がないみたいね?」

「そっ、そんなことはない」

「なら堂々とリリカに尋ねればいいじゃないの」


 頭に血が上ったウィルジアは、隅に控えて成り行きを見守っているリリカを見た。彼女の瑠璃色の瞳からは何の感情も読み取れない。

 ついつい自信を無くしたウィルジアは、若干情けない声ですがるように尋ねた。


「リリカ、僕のところにいてくれる?」

「まぁ、情けない聞き方のご主人ですこと。リリカ、こんな息子のところにいないでわたくしの元にいらっしゃいな」


 リリカは少し黙って考えをまとめている様子だった。そしておもむろに口を開く。


「私がお仕えしているご主人様は、ウィルジア様です。エレーヌ様のお申し出は大変嬉しいのですが……」

「…………そう」


 エレーヌはリリカの遠回しなお断りの言葉に大変落胆し、肩を落とした。

 その後口数の減ったエレーヌはしょげきった様子で夕食を終えると、馬車に乗って帰って行った。

 見送ったウィルジアはやれやれと息をついた。


「いやぁ、びっくりした。リリカ、色々と気を回してくれてありがとう」

「いえ、ウィルジア様のご家族に粗相をしては大変ですから」

「にしてもあの母をよくぞあそこまで虜にしたね」

「お気に召していただいて、何よりです」


 にこりと笑うリリカに、ウィルジアはへらっとした笑みを返した。

 しかし事件はまだこれで終わりではない。

 むしろこれはーー始まりに過ぎない。

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