第18話 ウィルジアびっくりする①
ウィルジアはびっくりした。
何せ仕事を終えて家に帰ってきたら、出迎えてくれたリリカに「お母様がいらっしゃっています」と言われたからだ。
「え、なんで来てるんだ」
「なんでとおっしゃいましても、息子であるウィルジア様の顔をご覧にいらっしゃったのではないでしょうか」
ウィルジアの脱いだローブを受け取りつつ、リリカは言った。ますます困惑する。
「そんな人じゃないと思うんだけどなぁ……僕が城を出てから顔を見に来たことなんて一度だってないんだよ」
「ではやはり、この間の夜会にて鮮やかに変わったウィルジア様を見て、ちょっとお顔を見てみようかしらぁという気になったとかですかね」
「そうかな……どこにいるんだい? いつから来ているんだ」
「かれこれ二時間ほどサロンにてお待ちいただいています」
「二時間も!?」
ウィルジアはギョッとした。
ウィルジアの母エレーヌは、何かと注文が多いことで城内でも有名だった。
やれ飾る花の種類はこれがいい、紅茶の一杯目はこれで二杯目はあれで茶菓子は何とかパイで、夕飯に臭みのある青魚は出すなだの、縁起が悪いのでこの日取りに赤い野菜は使うなだの、今日は気分が変わったからやっぱり肉が食べたいだの、カーテンを取り替えろ、ベッドの位置を変えろ、なんだかんだとやかましい。
そんな母を二時間も待たせたとあっては、とんでもない事態になるのは目に見えていた。怒髪が天を衝いているのではないか。
「遅いわよっ! このバカ息子!!」と怒鳴られるのを覚悟し、額を汗がつたった。
「そんなに長々待たせたら、ものすごい腹を立てているんじゃないか」
「いえ、お寛ぎになっているご様子です」
「お寛ぎに?」
「はい。玄関を入ってすぐラナンキュラスの香りに心を安らがれ、提供した春摘みダージリン、アールグレイのストレート、アッサムの砂糖入りミルクティーを飲みながらブルーベリーパイに舌鼓を打ち、サロンの本棚に並んだ恋愛小説の中から一冊を抜き出してゆったりと読書をしながらウィルジア様のお帰りをお待ちしておりました」
「恋愛小説なんてサロンにあったっけ」
「エレーヌ様がお乗りになった馬車が窓から見えたので、即座に本棚のラインナップを変えました。エレーヌ様がお帰りになりましたら戻しておきます」
「えええ……なんで母の好みを把握している? 城の使用人ですらしばしば間違えるのに」
「僭越ながら、ウィルジア様のお屋敷で働くことが決まった際に私の師匠に仕込まれました」
「師匠に?」
「はい。『使用人たる者、お支えするご主人様だけでなく、その家族や交遊する人物についても知っていて当然。いずれおもてなしする機会もあるはずだから、好みを完璧に把握しておくべし』と」
「リリカ、文字読めなかったよね。どうやって覚えたの?」
「全て口頭で誦じられ、頭に叩き込みました」
最近ウィルジアは、リリカが普通の使用人ではないことに薄々勘付いていた。
使用人は木こりに伐採を教わったりしないし、正装を仕立てられないし、嗜好がやかましい家族の好みを把握してそれに即座に対応したりしないだろう。
リリカはにこりと微笑んだ。
「使用人たるものの務めです」
「そうか……いつもありがとう。君は気が利くね」
リリカに苦労が見えれば申し訳ない気持ちになるが、彼女は嬉々として全ての仕事をこなすので、ウィルジアは感謝するに止めた。
「じゃあすぐにサロンに行こう」
「その前に身だしなみを整えたほうがよろしいかと。エレーヌ様はまだまだ読書に没頭されているようですから、湯浴みなさっては?」
「あぁ、そうか。まあそうだな」
ウィルジアは自分の姿を見下ろした。ウィルジアが常日頃巣食っているのは図書館内でも地下に位置する、歴史編纂家以外誰も立ち入らない場所だ。束ねた書物が積み上げられた地下室は埃っぽく、最近は毎日家に帰るようになったウィルジアだが、日がな一日こもっていれば髪にも服にもカビ臭さが染み付く。エレーヌがそういうのを嫌がるのを知ってのリリカのアドバイスだった。
「もう準備が整っておりますので、どうぞ」
「うん、ありがとう」
ウィルジアはさっさと湯浴みを済ませると、リリカが用意してくれていた服に袖を通し、サロンまで走る。扉を開いて言った。
「母上っ、何しに来たんですか!?」
「あら、ウィルジア。夜会ぶりね」
母は、たいそう機嫌の良さそうな表情で本を片手にソファで寛いでいた。
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