第17話 母、突然の来訪②

 たどり着いたウィルジアの屋敷は、小綺麗な邸宅だった。

 周囲には鬱蒼とした針葉樹がわさわさと生えているが、少なくとも屋敷には陽光が入るよう工夫されている。南側の一角の木が切り倒され、さんさんと日差しが降り注ぎ、日光を浴びた色とりどりの花が花壇で今が盛りと咲き誇っていた。

 屋敷の前面の芝は綺麗に刈られており、屋敷を囲う生垣は定規でも当てたかのように均一に揃っている。

 窓ガラスが日光を反射して眩く輝いているのを見て、まあウィルジアったら随分たくさんの使用人を雇っているのねえと感心した。

 見た目だけでなくお屋敷もこれほど綺麗に保っているとは、書物以外に全く興味のなかったあの子が随分と成長したものだ。


 さて中はどうなっているのかしらと、外門を開くべくベルを鳴らそうと紐に手をかけた時、中から一人の使用人が現れた。

 紺色の裾長の使用人服をきっちり着ている娘は、亜麻色の髪を邪魔にならないよう結い上げ、薄い化粧を施している。主張しすぎず、かといって野暮ったくもない姿はまさに「デキる使用人」といった風であり、あらウィルジアったらいい使用人を雇っているじゃないのと感心した。

 娘は鉄扉を開けると、エレーヌに対し、たいそう丁寧なお辞儀をする。


「お初お目にかかります、我が主人ウィルジア・ルクレール様のお母上様と見受けられますが、お間違いないでしょうか」

「その通りよ」


 エレーヌの顔は肖像画などで出回っているため、この使用人はきっと顔を覚えていたに違いない。

 ここで「どちら様でしょうか?」などと聞かれたら、見た目に反して大したことのない使用人ですことと評価を下方修正していたところだがそうならずに済んだ。

 使用人は瑠璃色の美しい瞳をにこりとさせると、優雅な手つきで玄関を指し示す。


「主人のウィルジア様はただ今仕事に行っておりまして不在ですが、あと二時間ほどで戻る予定となっております。よろしければ中でお待ちくださいませ」

「ではそうさせてもらうわぁ」


 エレーヌは玄関までの真っ直ぐ伸びている綺麗に掃き清められた小道を通り、使用人の開けた扉をくぐって屋敷内に入った。

 清潔で明るい玄関ホールは明るく、正面の台座に飾られたラナンキュラスの芳しい香りに満ち満ちていた。白色の花びらを何枚も重ねたゴージャスながらも可憐さを持ち合わせた花、ラナンキュラス。縁取りがピンク色で、品の良い美しさを醸し出している。エレーヌの好みの種類のラナンキュラスだった。


「こちらへどうぞ」


 奥へと誘導され、エレーヌは歩みを進める。玄関同様掃除が行き届いた廊下を通り、招き入れられたのはサロンだった。明かり取りのための窓は大きく、曇りひとつない窓からは日差しが降り注いでいる。そこから見える庭は美しく整えられており、センス良く植えられた花や木々が見る者を癒してくれた。

 きっといい庭師がいるのねえとエレーヌは感心しながらソファに腰を下ろす。


「お飲み物をお持ちいたしますが、エレーヌ様のお好みの紅茶は、一杯目はダージリン。二杯目はアールグレイをストレートで、以降はアッサムを砂糖を入れてミルクティー、でお間違いありませんでしたでしょうか」

 エレーヌは目を見張った。


「ええ、そうよ」

「お茶菓子は、きゅうりのサンドイッチにクロテッドクリームを添えたスコーン、それからチーズケーキとブルーベリーパイでよろしいでしょうか」


 エレーヌは首を縦に振る。


「承知しました、それでは用意いたしますので少々お待ちくださいませ」


 言って部屋を静々と退出する使用人。

 エレーヌは目で使用人のいなくなった扉を見つめた。

 なぜウィルジアの屋敷で働く使用人が、エレーヌの好みを把握しているのだろうか? 不思議だった。

 部屋には誰もおらず、しばしの静寂が訪れる。

 エレーヌは、窓の外から聞こえる風が葉を揺らすささやかな音に耳を傾けつつくつろいだ。

 誰もそばにいないというのは久しぶりだわ。

 王妃であるエレーヌは外に出ればたくさんの人々に囲まれるし、部屋の中にはエレーヌの要望を満たそうとおびただしい数の使用人が控えていた。たくさんいたってエレーヌが満足する給仕一つできないのだから全く意味なんてないのだけれど、ヘレンが城から去って以降不機嫌なエレーヌをなんとかしようと、機嫌取りのために大量に人員が派遣されてくる。役立たずばかりを雇い入れる侍女長をいっそクビにしてやろうかしらとエレーヌは考えた。

 そうそう時間が経っていなかったが、扉がノックされ先ほどの使用人が戻ってきた。ワゴンにはティーセットが載せられている。


「お待たせいたしました。準備させていただきます」


 お辞儀をしてからの準備。ワゴンから茶器を下ろし、エレーヌの前へと並べていく。的確かつ迅速、音も立てずに次々にテーブルに紅茶の準備がされていく。

 とぽとぽと注がれたのは、非常に芳醇な香りのダージリンだった。


「今年の春摘みダージリンでございます」

「まぁ……!」


 春摘みのダージリンはファーストフラッシュと呼ばれており、通常のダージリンよりも香りがよく味も豊かだ。

 エレーヌが愛してやまないファーストフラッシュダージリンの入ったティーカップを持ち上げ、香りを吸い込む。それから一口。

 温度も茶葉の蒸らし具合も絶妙な、至高の一杯だった。


「あぁ、美味しい……!」

「恐れ入ります」


 使用人は茶菓子をどんどん並べていた。

 品よく盛り付けられる、三段に重なったティーセット。

 下からサンドイッチ、スコーン、そしてケーキとパイの皿が彩よく並べられている。


「では、何かありましたらお呼びくださいませ」


 使用人は優雅な礼をしてから部屋の隅に控える。途端に気配が消えた。

 エレーヌは紅茶をゆっくりと味わい、茶菓子に手を伸ばした。

 どれもこれもがとても美味しい。城の使用人はよくラズベリーパイとブルーベリーパイを間違えるのだが、ここではちゃんとブルーベリーパイが提供されていた。しかも非常に美味しいパイだった。

 サクサク食べながら、紅茶を飲む。木々の梢が擦れる音に耳を澄ませ、時折聞こえる鳥の鳴き声に耳を傾けていると、なんだか心が洗われるようだった。


「あら」


 ふと部屋の隅にある本棚に目が留まった。

 ウィルジアは本が好きだから、本棚があること自体は不思議ではない。

 気になるのは並べられている本のタイトルだ。

 おおよそウィルジアが読むとは思えない恋愛小説の類が並べられている。

 しかしその本の系統は、エレーヌが好むものである。

 エレーヌは立ち上がり、いくつかの本を見繕い、気になるものを手にとってソファに戻った。

 戻ってみると空になったティーカップには二杯目の紅茶が注がれていた。きちんとアールグレイがストレートで淹れられている。

 少し口角を上げたエレーヌは、壁際へと戻ってゆく使用人にちらりと視線を送った。使用人が別段誇る風でもなく、ただただ彫像のように直立不動で控えている。

 それからエレーヌはウィルジアが帰ってくるまでの時間を読書とティータイムに費やした。非常に充実した時間だった。

 使用人は二杯目の紅茶が無くなった後、きちんと砂糖を入れたアッサムのミルクティーを淹れてくれた。それからミルクティーの入ったポットに保温のためのカバーをかけると、「何かあったらお呼びください」とベルを机の上に置き、一礼して部屋を退出した。

 本棚の本は実にエレーヌ好みする内容で、エレーヌは久々に何ものにも煩わされることなく読書とティータイムを楽しんだ。

 陽が沈みかけた時、こんこんと扉がノックされ、エレーヌは本の世界から現実に引き戻される。


「失礼いたします、ウィルジア様がお戻りになりました」

「あら」


 そういえばウィルジアに会いにきたんだったわと、名残惜しく思いつつも本をパタリと閉じる直前、使用人はすっと玄関に飾ってあったものと同じラナンキュラスの押し花を押した栞を差し出してきた。


「よろしければ、本をお持ち帰りくださいませ」

「あら、けれどこの本はウィルジアのものでしょう」

「ウィルジア様は恋愛小説を嗜みません。今回の本棚のラインナップは、エレーヌ様のためにご用意したものでございます。ですのでどうぞお持ち帰りくださいませ」


 エレーヌは面食らった。


「わたくしのために本を?」

「はい。ウィルジア様がおかえりになるまでの間快適にお寛ぎいただけるよう、僭越ながらご用意いたしました」

「まあ。どうりであの子が読まなさそうな本ばかりが並んでいたわけね」


 エレーヌは納得し、栞をすっと受け取った。


「そういうことなら、遠慮なく持って帰ることにするわ」


 エレーヌが本に栞を挟んでパタリと閉じたその瞬間、屋敷の廊下をバタバタ慌ただしく走る音がして、扉がバァンと開け放たれた。


「母上っ、何しに来たんですか!?」

 そこには、すっかり見目麗しくなったエレーヌの末息子ウィルジアが立っていた。

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