第15話 王妃の憂鬱

「はぁ……」


 アシュベル王国の王妃、エレーヌは自室でため息をついていた。

 この頃、うまくいかないことが多い。自室に飾られた白とピンクのラナンキュラスを見て、指を振った。


「わたくしは花びらが白で縁取りがピンクのラナンキュラスが好きと伝えてあったはずでしょう」

「申し訳ございません」


 一人の侍女が進み出て、慌てて花瓶を持ち上げ、そそくさと退出する。

 続いてやって来た他の侍女がティーセットを準備し始めた。


「王妃様、紅茶の準備が整いました」

「ありがとう」


 カップを持ち上げ香りを嗅ぐと、エレーヌの顔が途端に歪む。恐る恐る紅茶を口にすると、一口飲んでソーサーにカップを戻した。


「違うわっ! 一杯目の紅茶はダージリンと決めている!」

「も、申し訳ございません!」


 苛々としたエレーヌは、お皿に並んだパイを一つ摘んで齧った。咀嚼すると中にはエレーヌの嫌いなラズベリーが入っていた。


「ラズベリーパイは出さないでっていつも言っているでしょう!」

「申し訳ございません!」

「もういいわ、ティーセットを片付けてちょうだい」

「はい、ただいま」


 侍女がティーセットを片付ける音がうるさく室内に響く。エレーヌはイライラした。なぜお茶一つでこんなにもミスをするのか理解ができない。

 すると、エレーヌの機嫌の悪さを見てとった一人のエレーヌ付きの侍女がやって来て、エレーヌの座るソファの横にひざまづき、問いかけてくる。


「王妃様、大変失礼いたしました、すぐに代わりのお茶のご用意を……」

「もう要らないわ」


 エレーヌは即座に否定した。すると横にもう一人、侍女が進み出てくる。


「王妃様、散歩などはいかがでしょう」

「そんな気分ではないの」


 エレーヌは煩わしくなって左手を振った。さらにもう一人、侍女が来た。


「都から人気の宝石商をお呼び致しましょうか。美しいものを見れば、きっと気分が上がって……」

「違うのよ! もう!!」


 エレーヌはとうとう声を荒げ、横並びに跪く三人の侍女をはったと見据えた。

 さらに壁際に控えていた三人の侍女が慌ててエレーヌに近寄り、機嫌を取ろうとあれこれ提案をしてくる。


「流行りのドレスを仕立てる仕立て屋をお呼びしましょう」

「今晩の晩餐は、エレーヌ様のお好きな食材をふんだんに使います」

「髪型を変えれば気分も変わります。髪結師をつかわせましょう」

「そうじゃないの! あなたたちって、ほんっとうに役立たずね!」


 エレーヌは激怒した。


「何人も何人もいるくせに、わたくしの気持ちがまるでわからないなんて、これじゃいない方がマシだわ!」


 激昂して怒鳴り散らすエレーヌに、六人の侍女は震え上がって頭を下げ、口々に「申し訳ございません」と謝罪の言葉を口にした。

 エレーヌはやるせない気持ちになった。

 アシュベル王国の王妃として長らく務めを果たし続けているエレーヌには、くつろげる時間というのは限られている。常に社交界に君臨し、外交の場に顔を出し、親しい貴族とも親しくない貴族とも諸外国の王族ともまめに手紙のやりとりをして交流を深めて敵を作らないようにしつつ、淑女の手本となるべく振る舞い続け、息子たちの妻とも仲良くする。

 エレーヌは豪華なドレスと笑顔の仮面で武装をし、ずっと王宮内で戦い続けて来ているのだ。

 そんなエレーヌがホッとできる時間は、自室でのティータイムぐらいなものだ。

 好きな花に囲まれ、好みの紅茶を飲み、好物の菓子を頂きながらゆっくりと本を読む。

 しかし、今エレーヌに仕えている使用人たちは揃いも揃ってエレーヌの気持ちを理解できていない役立たずばかりである。

 エレーヌは居並ぶ使用人たちに心の底から失望し、大きなため息をついて両手で顔を覆った。


「あぁ……ヘレンが恋しい」


 かつてエレーヌに仕えていたたった一人の侍女ヘレンは、エレーヌの気持ちを手に取るように理解してくれた。視線一つ送るだけでエレーヌの要望に応えてくれ、何をするにも先回りして準備してくれていた。エレーヌの好みを完璧に把握していたヘレンは、季節ごとに花を替え、日々飽きないように茶菓子を替え、紅茶が無くなりそうになればおかわりを注ぎ、そこにミルクを入れるかどうかさえも理解していた。

 ヘレン一人いれば全ての用事は事足り、エレーヌは満足だった。全てがうまくいっていた。


「ヘレン……どうして辞めてしまったのかしら」


 わかっている。年老いていたヘレンをこれ以上こき使うわけにはいかなかった。長年城に仕え続けたヘレンは婚期すら逃しており、「ゆっくり王都で余生を過ごしたい」という願いを無下にはできなかった。

 それでも、エレーヌは思ってしまう。ヘレンが、ヘレンさえいれば。

 部屋の隅でガシャーンと音がした。使用人の一人が持って来たばかりの花瓶を取り落とし、部屋の中が水浸しになっていた。


「…………っ!」


 エレーヌは立ち上がった。もう我慢ならなかった。こんなダメダメな使用人に囲まれていては心が休まらない。


「出かけるわ」

「どちらへ行くつもりですか?」


 どちらへ?

 エレーヌは歩きながら考える。そしてなんとなく思い至った場所を口にした。


「ウィルジアの屋敷に行きます」

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