第12話 お化け屋敷・アゲイン

 公爵令嬢エリザベスは、馬車の中でソワソワとしていた。

 本日はウィルジアに呼ばれて彼の屋敷へとお邪魔する日である。

 エリザベスは婚活戦士である。数々の夜会やパーティに出かけては素敵な殿方がいないかしらと目を光らせ、あら素敵な方ねと思えば、相手から話しかけてもらえるようさりげなくアピールする。

 しかしエリザベスのお眼鏡に敵うような人物は、なかなか現れない。

 

そんなに高望みはしていないと思う。

 エリザベスはただ、自分と同等かそれ以上の爵位を持つ、三十歳未満で、見目が整っており、賢く、将来有望な殿方を探していただけだ。幸せな結婚を望む女性からすれば、これって普通のことだろう。

 だが悲しいかな、エリザベスは公爵令嬢。

 彼女と同等もしくはそれ以上の爵位を持つ人物というのは非常に限られており、加えてエリザベスが挙げる婚活絶対条件をクリアする人物など、片手の指で数えられるほどしか存在しない。

 エリザベスは舞踏会に出席するたびに、落胆する気持ちを抑えられずにいた。


 あぁ、私の理想とする方は、一体どこにいらっしゃるのかしら。


 両親だって、エリザベスのわがままにそんなに付き合ってはくれない。タイムリミットは後半年、それまでに運命の人を見つけない限り、親の用意した相手と結婚することになる。

 エリザベスは焦っていた。

 そんな時出会ったのが、先日開かれた王宮での夜会にいた、美貌の青年である。

 短く切られた金髪の下から覗く、美しい緑色の瞳。

 仕立ての良い黒い服は青年のよさを五百パーセント引き立てており、立ち居振る舞いには育ちの良い者特有の優雅さが感じられる。

 時折前髪をしきりに引っ張り、情けない顔を見せるのが気になるといえば気になるが、まあそれを差し引いても十分あまりある魅力的な青年だった。

 なんとか彼とダンスをしようと頑張ったが、名前を聞き出すだけで終わってしまった。彼は非常に居心地が悪そうに人に囲まれ、質問攻めにされ続けていたが、ほぼ喋っていなかった。

 エリザベスは、早速彼が何者なのかを家の者に調べさせた。

 

すると、なんということでしょう。

 まさかの、王子様であるではありませんか!

 今となっては王位継承権を放棄して公爵位に落ちているということであるが、そんなことは些細な違いだ。

 兎にも角にもエリザベスは、舞踏会に参加すること三百回目にして、ようやく理想とする男性に出会えたのだ!

 エリザベスは盛り上がった。

 そりゃあもう、俄然張り切った。これは運命だと勝手に決め、彼と自分は結ばれるべきなのだと思い込んだ。公爵令嬢エリザベスは、深窓のお嬢様のため、思い込んだら一直線となる傾向がある。

 家の力を存分に使ったエリザベスは、ウィルジアとの縁談まで話を進めたのだ。

 そして今日のこの、屋敷への招待。 

 エリザベスの胸は高鳴った。


(きっとウィルジア様も、わたくしとゆっくり喋りたいと思っていたのだわ。そうに違いないわ!)


 あの舞踏会でエリザベスの美しさに目を奪われ、しかし人の多さゆえになかなか話もできず、煩悶としていたに違いない。

 そこにきての縁談話、ウィルジアとしても願ったり叶ったりなのだろう。

 エリザベスの心は浮き足立っていて、もはや一足飛びに新婚生活を夢見ていた。


(噂では随分と変わった方で、屋敷もおぞましいものだという話ですけど、きっと誤解ですわ。あんなに素敵な殿方なんですもの、素敵な住まいに決まっている)


 エリザベスはもはや、自分の都合のいいように噂話のあれこれを超解釈していた。

 ウィルジアが、かつて自分がこっそりと陰で「まあ、大きなコウモリみたいな方ね」と呼ばわっていた張本人だということすら、綺麗さっぱりと忘れ去っていた。ちなみにこの時のエリザベスに悪気があったのかといえば、そうではない。彼女は思ったことをそのまま口にしてしまっていただけだし、本人に聞かれていたなど思ってもいない。

 あの時のウィルジアは本当に誰がどう贔屓目に見ても、「大きなコウモリ」そのものだったのだ。ウィルジアの外見を良く言う者など、それこそリリカ以外に存在していなかった。

 そんなわけで、期待に胸を膨らませまくるエリザベスを乗せた馬車がウィルジアの住まうルクレール邸の前で停まった。馬車を降りるエリザベス。そして前を見るや否やーー短く「ひっ」と息を呑んだ。

 屋敷は、見るも無惨に荒れ果てていた。

 前庭は噴水が横倒しに倒され、生垣がめちゃくちゃに切られて歪んでいる。屋敷を囲む背の高い針葉樹が、陽の光を通さずに屋敷に不気味な影を落としていた。窓は曇っており、一部割れている部分さえもあった。


「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」

「ひっ!_」


 エリザベスが呆然と屋敷の外観を眺めていると、鉄の扉がギィギィ錆びた音を立てて開き、一人の使用人が出てきた。

 ボサボサの髪に薄汚れたメイド服を着た彼女は、この屋敷にぴったりの陰鬱な雰囲気を撒き散らしながら、ニタリと不気味な笑みを浮かべる。


「ご主人様がお待ちです、どうぞ」


 鉄扉の向こうに誘導するメイドに従い、なんとか足を動かすエリザベス。


(まだ、まだわからないわ。もしかしたらお屋敷の中は、とっても素敵かもしれないもの!)


 ことここに及んで、エリザベスはポジティブ思考であった。

 そしてたどり着いた玄関の扉が開かれる。

 玄関ホールは、昼とも思えぬほどに薄暗かった。

 どことなくすえたような、カビ臭さが漂う玄関ホールに足を踏み入れたエリザベスを待ち構えていたのはーーウィルジア・ルクレールその人である。

 今日のウィルジアは、くたびれてボロボロのローブを身にまとい、その手に一本の蝋燭を握っている。

 その蝋燭が薄暗い玄関の唯一の光源となり、ウィルジアの顔を不気味に照らし出す。


「やあ、エリザベス嬢。お待ちしていました」


 ウィルジアは抑揚のない声でそう言うと、ニタリと笑った。屋敷の陰鬱な雰囲気にぴったりの、陰気な笑顔だった。

 エリザベスはもう、我慢がならなかった。


「ひっ、ひ、ひいいい……! お、お化け屋敷! お化け屋敷ですわ!!」


 一分たりともこの場に留まっていることが耐えられず、くるっと踵を返し、脱兎の如くに走り去った。慌てて馬車に乗り込んだエリザベスは、扉をバンっと閉めて、早く馬車を出すように御者に命じる。


「まさか、噂は本当だったのですね、あのようなお屋敷に住んでいらっしゃったなんて、信じられませんわ」


 あの舞踏会で見せたウィルジアの姿は、夢幻だったのだろうか。

 エリザベスは一目散に自邸に向かって馬車を走らせ、両親にいかにウィルジアの屋敷が恐ろしい場所であったのかを涙ながらに訴えた。

 娘に甘すぎる両親は、エリザベスのただならぬ様子に慄き、縁談を考え直すべきだと言う結論に至った。

 後日、この縁談を取り下げたい旨が使者からルクレール邸へと届けられ、その願いは即座に聞き届けられ、エリザベスの一家はほっと胸を撫で下ろしたのだった。

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