第9話 とある転機

「んなぁっ!?」


 それは、ある日のこと。

 リリカが読み書きをすっかりマスターしたばかりか、難解な古語すらも自在に読めるようになり、使用人兼ウィルジアの助手としてそろそろ活躍できそうだな、このまま二人で歴史書を読み解き、過去に葬り去られた重大な王国の秘密などを発見し、国家を転覆させる壮大な物語が幕を開けるのか、と思われた時分のことだ。

 リリカはウィルジアの元に寄せられた一通の手紙を見て、驚きの声を上げた。

 上質な羊皮紙の封筒に王家の封蝋が押してある手紙は、夜会への招待状であった。

 ちょうど小休憩のために書斎から出てきたウィルジアにコーヒーと茶菓子を出すと、リリカは言った。


「ウィルジアさま、大変です」

「ん……なんだい、どうしたんだ」

「こちらの封筒をご覧ください。王家からウィルジア様宛に、夜会への招待状が届いております!」

「あぁ……」


 ウィルジアは慌てふためくリリカとは対照的に、至極冷静な手つきで手紙を受け取り、封蝋をペリペリと剥がすと中身を確認した。そして手紙をポイと投げ捨て、何事もなかったかのようにコーヒーを啜る。


「!? 何をなさるんですか!?」

「いやぁ、毎年毎年来るんだけど、まあ僕はチラッと顔を見せたら後は特に何もせずに壁際で佇んでいるだけだから……どうせ僕に話しかけてくる物好きもいないし。適当に行って適当に済ませてくるよ」

「お召し物のご用意をしませんと」

「クローゼットに一着、正装が入っていただろう」


 言われてリリカは即座に思い出せなかった。正装など入っていただろうか。衣服に関して全て把握していたと思っていたが、見落としがあったのかもしれない。

 首をひねるリリカに、ウィルジアはこともなげに衝撃的な発言をした。


「一番奥に押し込められている、紺色のやつ」

「え……えぇ!? あれですか!?」

「そう。毎年あれを着てるから、今年もあれでいいよ」

「いえいえいえ、あれはちょっと……!」


 二人が「あれ」呼ばわりする服は、リリカをしてかばいようがないほどの代物である。一体いつの時代のものですか? と言いたくなるような古臭いデザイン、正装にあるまじき着古してくたっとした生地、ずっとクローゼットに仕舞い込んであった故にかび臭いそれは、本来ならば捨ててしまいたいようなものである。さすがに主人の服を勝手に捨てるわけにもいかず、「きっと思い出の詰まった服に違いない」と自分自身を納得させてそうっとクローゼットの隅に仕舞い込んでおいた。


「まさか、あれを去年までお召しになっていたなんて……」

「今年も着るよ」

「ダメですっ!!」


 ウィルジアの提案をリリカは力一杯却下した。そんなにも全否定されると思っていなかったウィルジアは、びくりとしてコーヒーを持ち上げていた手を止めた。


「え……何がダメなんだい」

「何がと言われますと、具体的に挙げることは非常に難しいのですが、とにかく全てにおいてダメです!!」

「僕が何を着ていようが、周囲の人間は気にも止めないよ」

「私が気にします!」


 とうとうリリカは机に掌を打ち付けて叫んだ。あまりの力の入りように、ウィルジアは呆然としている。


「一体どうした、何をそんなに怒っているんだい?」


 この胸の内に昂る感情を、どう言語化すれば良いものか。リリカはひとまず落ち着くために、深呼吸をした。肺に新鮮な空気を送り込み、吐き出す。徐々に落ち着いてきたところで、リリカは説明をした。


「私は、お屋敷に来てウィルジア様の素晴らしさを知りました。決して使用人を蔑ろにせず、それどころか読み書きまで教えてくださって。ウィルジア様は周囲に誤解されております。偏屈で、陰気で、変わり者だともっぱらの噂になっていますよ」

「そりゃまあ、その噂通りだと思うよ。僕を良く言ってくれるのはリリカだけだ」

「いいえ、ウィルジア様」


 リリカはキッパリと首を横に振った。


「ウィルジア様が誤解されている原因の一つは、その見た目です」

「見た目……」

「そうです。人は見た目が九割という話もあるように、まずは身なりを整えることこそが重要です。髪を整え、無精髭を剃り、流行に即しつつウィルジア様の優しい雰囲気に合う服装を身につければ、誰もご主人様を馬鹿にはしません」

「でも僕は、ずっとこの髪型で生きてきたしなぁ」


 言いながらウィルジアは鼻頭まで届く長いボサボサの金髪をいじった。


「ならばちょうどいいではありませんか。この機に切ってしまいましょう。イメージチェンジです! リリカが切って差し上げます!」


 ここがチャンスだとばかりにリリカは言った。何せウィルジアの鬱陶しい髪の毛は前々から切ってしまいたいと思っていたのだ。

 少したじろぐウィルジアはなおも言い募る。


「髪は君がなんとかするにしても、服はどうするんだ? 今から仕立て屋に行っても、夜会までに仕上がるとは思えない」

「大丈夫です、私にお任せください。採寸さえすれば、ウィルジア様にぴったりの服をお作りできます」

「服まで作れるんだ!?」

「作れます」

「そうか……」


 ウィルジアはそれ以上追及せず、黙り込んだ。

 無言を肯定と捉えたリリカはにこりと微笑む。

 ウィルジア大変身計画が始まった。

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