第7話 楽しい楽しい書斎整理
「書斎の整理、ですか?」
「うん。手伝って欲しいんだ」
湯浴みを終えたウィルジアに言われてリリカは目をパチクリとさせた。
庭仕事をしていたら書斎で凄まじい物音がしたので何事なのかとすっ飛んで行ったら、インクを頭から被ったウィルジアが現れた。あまりの出来事に驚きながらもとにかく湯浴みをしてもらい、出てきたと思ったらそう頼まれた。
「ですが書斎には、入ってはいけないと……」
「今まではね。でも君の働きぶりを見ていたら考えが変わった。ぜひ、お願いしたい」
ウィルジアの表情は前髪のせいで相変わらず見えないのだが、その声音は真剣である。
書斎に入る許可を与えるくらいには、仕事ぶりを買ってくれたということだろうか。
だとすれば一生懸命に屋敷を磨いた甲斐があるというものだ。おばあちゃんの言葉が胸の中に蘇る。
「使用人というのはね、ご主人様に頼られてナンボだよ。普段は誰も立ち入らせない部屋の掃除を頼まれたり、人には言えない秘密を共有したり。そうしたら使用人冥利に尽きるというものだ」
おばあちゃんは昔お城に勤めていたらしいので、きっと王族の方々に頼りにされ、秘密を共有していたのだろう。
自分もウィルジアにとって、少しは心を開ける相手になれたのかなと思うととても嬉しい。リリカはにこりと笑って返事をした。
「はい、喜んで」
ウィルジアの書斎はとんでもない有様だった。
インクが机の下で飛び散って黒いシミを作っており、大量の書物や紙が雑然と床にも椅子にも机の上にも置かれていて、ほぼ足の踏み場がない。
長年掃除されていなかったこの場所は、それでもウィルジアがずっと使い込んでいただけあって人の気配がし、そのせいでどの部屋よりも紙屑やら埃やらが落ちて散らかっていた。
部屋に佇みリリカが呆然とするのを見てとったのか、ウィルジアが言い訳をする。
「掃除しようしようと思っていたんだけどね、なかなか時間が取れなくて……」
「ひとまず書物を全部別の場所に運んで、部屋を綺麗にしましょう」
「うん、そうしよう」
本棚からどんどん書物を抜き出し、抱えて隣の部屋へと運び込む。二人でせっせと本を運び出し、隣の空き部屋に運び込んだ。部屋が空っぽになったらリリカの本領発揮である。ウィルジアに掃除をさせるわけにはいかないので、別室で書物整理をしてもらっている間に素早く清掃に取り掛かる。
天井の埃を払い、絨毯のインクを拭い落とし、汚れを集めてカーテンを洗い窓を拭き上げる。部屋自体は小さいので屋敷全体を綺麗にするのと比べれば軽いものだった。
「ウィルジア様、書斎の清掃が完了しました」
「ありがとう。そうしたら次は書物整理を手伝ってくれないか」
言ってウィルジアは書物を手にどんどんと指示を出してくる。
「年代順に並べているんだ。創世歴から始まって、各王朝ごとに並べている。王朝はここに一覧表があるから見ながら並べて欲しい。今はまだアヴェール王朝時代について編纂しているから、この時代に差し掛かってくると製本されていないんだけど、まあとりあえずその前の時代を並べてくれないか」
「………………」
矢継ぎ早に出される指示にリリカは硬直した。
どうしよう、と思った。
使用人たるものご主人様の指示には迅速に、かつ的確に動かねばならず、そしてご主人様が期待している以上の成果を出さねばならない。しかし今この瞬間、リリカはご主人様の命令に二つ返事で取り掛かることができない。だからと言って断るなどもってのほかだ。ピンチ。リリカの住み込み使用人生活の最大のピンチが訪れた。
全身からダラダラと冷や汗を流しながら、リリカは「はい」とも「いいえ」とも言えずに立ち尽くしていた。流石に変だと思ったウィルジアが問いかけてくる。
「どうしたんだい?」
もはやこれまでだ。誤魔化しようがないだろう。
リリカはその場に膝をつき、がバリと頭を下げ、勢いよく謝罪の言葉を口にした。
「……申し訳ありません、ウィルジア様! 実は私……読み書きができないんです!!」
「え……」
ウィルジアは持っていた本を思わず取り落とした。
***
読み書きが出来ない、と言われた時、ちょっと理解が追いつかなかった。
もちろん市井に暮らす人々の大部分はまともに文字を読めないという話は耳にしたことがある。しかし結局のところ、王位継承権を放棄させられたとはいえ王族であり、幼少期より上流階級の人々に囲まれて暮らしていた自分にとってそれは「噂」レベルにしか過ぎず、どこか別世界の話のように聞いていた。
だからリリカがこんな自分のところに仕事にやってきた、おそらく訳ありであるに違いない使用人であるにもかかわらず、当然文字が読めると思い込んでいた。疑いもしなかった。
まさか、リリカが読み書きできないとは。
これまでの数々の仕事ぶりを見るにつけ、全てをそつなく、いやこちらの想定をはるかに上回って天元突破する勢いでやってのけたこの使用人が、読み書きが出来ない。
突きつけられた事実にウィルジアは戸惑いを禁じ得なかった。
ウィルジアの無言に何を思ったのか、リリカは平伏した顔を上げた。
「本当に申し訳ありません……歴史編纂家のウィルジア様のもとで住み込みで働くのですから、そうした技能が求められるのは至極当然で、むしろ必須事項。気が付かなかったのは、私の怠慢です。クビになっても言い訳できません」
「いやいやいや、そんなことはないと思うけど」
そもそもウィルジアは使用人の雇用条件に「読み書き必須」とは書いていない。そんなものを求めるはずはなかったので当然である。
どうしたものかとウィルジアは思い、ふと一つの解決策に思い至る。
「なら、僕が君に読み書きを教えるというのはどうだろう」
「え……」
「君は覚えが早そうだから、教え甲斐がありそうだし」
「ですが、私なんかのためにご主人様のお手を煩わせるわけには……三日頂ければ、王都でマスターして帰ってきます」
その提案を受け入れるのは、何だか嫌だった。
リリカは優秀なのできっと言った通りに三日でマスターして戻ってくるかもしれない。
しかし、どうせ教えるのであれば自分で教えたい、と思ったのはなぜだろう。
「いいよ、僕が教えるから」
「しかし……」
「都に行くよりその方が早いだろう。それに……」
それに。リリカが屋敷からいなくなると、なんだか寂しくなる。
言おうとして気恥ずかしくなり口をつぐんだ。
結局言葉は口からは出ず、モゴモゴとした挙句に胃の中に飲み下された。
リリカは首を傾げてウィルジアの言葉を待ったが、納得したように手をポンと打った。
「あぁ、私がいなくなると、お屋敷の身の回りのお世話が滞りますものね」
そうじゃないけど。そうじゃないけど、そうじゃない理由を言うのは勇気がいる。
ウィルジアが小さく頷くと、リリカは立ち上がり頭を下げた。
「では、不祥者ではございますが、何卒ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします」
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