第6話 楽しい楽しいお庭仕事
「んーっ、いいお天気ね!」
木こりの経験を余すことなく発揮したリリカは南側の一角に日当たりの良い場所を作り上げることに成功した。おかげさまで洗濯物には心地の良い日光が当たっており、北風にそよそよとはためいている。
「さて次にやることは、庭仕事ね」
リリカは庭仕事用の手袋をはめ、右手に鎌を持ち、左手にはバケツを握っていた。バケツの中には剪定用の鋏や植物に与える肥料など様々なものが入っている。
この屋敷の庭は、無駄に広かった。
まあ通常の貴族の屋敷に比べれば狭い部類なのだろうが、屋敷の規模を考えると広い。きっと森の中にあって土地が余っていたせいだろう。ぐるりと背の高い鉄柵で囲まれた屋敷は四方を荒れ果てた芝生で覆われている。前方には澱んだ水と枯れ葉まみれの噴水が二つ、伸び放題の雑草が枯れてみるも無惨な花壇、東屋は座るべくもなく荒廃しており、裏庭は蔦が生い茂って足の踏み場もなかった。全体的な雰囲気としては、まさにお化け屋敷である。庭師が十人いても整備だけで一ヶ月はかかるであろう有様だ。
とはいえリリカは全くと言っていいほどめげておらず、むしろやる気に満ち満ちている。使用人服の袖をまくり、気合を入れた。
「腕がなるわね!」
リリカはおばあちゃんから口を酸っぱくして言われていたのだ。
「屋敷をいかに綺麗に保てるかは、使用人の腕の見せ所。屋敷が荒れていると住む人の品性を疑われる。私たちの仕事ぶりはそのままご主人様の評価に繋がるんだよ」と。
ならば、この屋敷を見違えるほど美しくして、ご主人様の評判を回復して差し上げることこそがリリカの勤め。
初めての住み込みの仕事、なんとしてでも成功させてやるとリリカは息巻いていた。
まずは生垣の剪定から始めよう。
四方は鉄柵で囲われているが、閉塞感を与えないためなのか柵を隠すように生垣が植えられており、それが凄まじい状態になっていた。
人に手入れをされずに自由奔放に育った結果、生垣は鉄柵を余裕で超えた高さにまでなり、幅も分厚くなっている。これをどうにかしないことには他にも手がつけようがない。
リリカは脚立に上って生垣の剪定を開始した。
***
燦々と降り注ぐ冬の陽光というのは、こんなにも暖かいのかとウィルジアは驚いた。
リリカが伐採したおかげで南側の一区画に日が差し込むようになり、おかげさまで万年暗かった屋敷に光が入るようになった。ウィルジアの書斎も恩恵に預かっている。
紙が焼けるので書斎に直射日光はご法度なのだが、しかし自然光の中で書物に向き合うのもなかなか乙なものだなと思ってしまった。こんなことを思うのは初めてである。
ウィルジアの職場である王立図書館の大閲覧室は天井のステンドグラスから陽光が降り注いで開放的な雰囲気に満ちているのだが、ウィルジアは広々として人がたくさんいる閲覧室が苦手で、いつも目当ての本を持ってさっさと地下の書庫に引っ込んでいた。
外は大層冷えるのだろうが、屋敷にこもっていれば空気の冷たさとは無縁だ。
リリカは寒くないのだろうかと窓の外を見てみれば、何やら本日は庭仕事をしていた。
背丈の倍ほどある脚立へと登り、生垣の剪定をしている。
その仕事ぶりは「チョキチョキ」なんていう生やさしい擬音語で済まされるものではなかった。
大きな鋏を両手で駆使し、バッサバッサと容赦無く生垣を切り揃えている。迷いのない手つきで見る間に生垣が低くなり、痩せ細っていった。さながらダイエットのようだった。
「すごいな……」
ウィルジアは腰を浮かせて窓辺に顔を寄せたまま思わずそう独りごちていた。
屋敷に帰り、リリカと会ってからというもの、どうもペースを乱され続けている。
ウィルジアは基本的に人嫌いだ。王家の四男として生まれた彼は、王族にあるまじき不器用な性格をしていた。人と話すのが億劫で社交界が憂鬱、武器を持つのも好きではないので騎士になるという道もない。政に口を挟むほど大層な思想も持ち合わせていない。
唯一、本を読み歴史を学ぶことだけが生きがいで、ずっと本と向き合い生きてきた。
結果として王家の出自でありながら、歴史編纂家などという地味で人々が見向きもしないような職業に就いている。見た目の陰気さと相まってウィルジアに寄ってくる人はいなくなった。例外として同じ歴史編纂家であり友人であるジェラールだけがウィルジアと親しい。
まあそれでいいかな、とウィルジアは思っていた。
貴族についてまわる結婚問題も回避できているし、余計な気遣いもしなくていい。
このまま誰も寄り付かない屋敷の中で、本に埋もれて生涯を終えるのも悪くはないだろう。二十歳にしてすでに人生の終わりまで考えているウィルジアは、八十過ぎの老人のようである。
しかしリリカの出現はウィルジアにちょっとした衝撃をもたらしていた。
彼女は何事にも全力投球しており、屋敷をどうにかするべく一人で奮闘し続けている。
「それが使用人の役目ですから!」
と明るく言う彼女は、使用人としての己の職務を全うしようとしているらしい。
いい子だなぁと思った。仕事をきちんとこなす子は好印象だ。今までの使用人が悪いとは言わないが、彼女の能力はどう考えても他を圧倒している。何せ日当たりを確保するために木まで切り倒すような使用人はなかなかいないだろう。伐採を申し出た使用人もいるにはいたが、木こりを手配するという方法を提案されたので却下していた。余計な人間を屋敷の敷地に入れたくなかったからだ。
リリカの手によって庭がどう変わっていくのだろう、とウィルジアは少し楽しみになった。これまで庭がどれほど荒れていようが気にもならなかったのに、不思議なものだ。
「いけない、僕も自分の仕事をしないと……っと」
作業に戻ろうと椅子に座った拍子に山積みになった紙束がバサバサと机から落ちて行く。
「おわっ、マズイ、あっっ!!」
慌てて落ちた紙の束を拾おうと机の下に潜ったら、机に頭をぶつけ、衝撃で乗っていたインク壺がぐらりと揺れて落ちる。
マズイ、インクがこぼれたら、せっかく二十日も篭りきりで翻訳したものたちが台無しになる。ウィルジアは咄嗟に書類を胸に抱え込み背中を丸めた。冷たい感覚がして頭からインクが滴り落ちる。ポタポタと真っ黒な液体が視界を染め上げるも、とにかく翻訳書を守ったという事実に安堵した。
「ふぅ……」
息をついたのも束の間、部屋は直視できないような惨状であった。散らかった紙の山、ぶちまけられたインク、割れたインク壺。屋敷の他の部屋が綺麗になっている今、この部屋の酷さが際立つ。書斎には入らないように言ってあったので、今まで一度たりとも使用人が掃除をしにきたことはない。部屋の埃が舞い上がり、ウィルジアは咽せた。
「ゲホッ、ゲホッ」
と、咽せ込んでいると部屋の扉がノックされ、扉の向こうで控えめな声がかけられる。
「ウィルジア様、すごい音がしましたけど、大丈夫でしょうか……?」
「ゲホ……あぁ、大丈夫、だ!」
そうして扉を開けると、リリカはウィルジアの姿を見るなり大きな瞳をこれでもかと開いて仰天した。
「ウィルジア様、その姿は一体!?」
「ちょっとインクをこぼしてしまったんだ」
「準備しますのですぐに湯浴みをしましょう!」
有無を言わさずにリリカはウィルジアを浴室に引っ張っていき、すごい速さで湯浴みの準備を整えるとウィルジアを浴槽へと押し込んだ。
頭を洗ってインクを流すと熱すぎず冷たすぎず、ちょうど良い温度の湯船に浸かる。
天井を見上げながらウィルジアはぼうっと考えた。
「大丈夫……な訳はないよな」
書斎は誰がどう贔屓目に見たって凄惨たる有様である。泥棒が入ったと言われても納得するだろう。
ウィルジアにとって書斎はどこよりも大切で神聖な場所だ。勝手に使用人に立ち入られるのが嫌で、誰にも入室許可を与えたことはない。なので掃除がされたことは一度もない。
今までであれば、インクは自分で拭き取って、作業を再開していたはずだ。
しかしリリカなら、彼女にならば立ち入り許可を与えてもいいかな、と思っていた。
リリカの腕にかかれば書斎も見違えるように綺麗になるに違いない。
「……書き溜めた翻訳を綴って、本棚に年代順に並べて……うん、その方がいいだろう」
ウィルジアの心は決まった。
書斎整理をリリカに手伝ってもらおう。
きっとリリカは能力を遺憾なく発揮して、あの小さな部屋をピカピカにしてくれるだろう。
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