第4話 リリカの楽しいお屋敷生活
ウィルジア様の屋敷は掃除のしがいがある。
何せ厚く積もった埃は一度拭いただけでは綺麗になるはずもなく、ピカピカにするためには同じ場所を何度も何度もこする必要があった。
食堂や衣装部屋、浴室、厨房など生活に必要な最低限の部屋は綺麗にされていたが、それ以外の場所は何十年も全くと言っていいほど手をつけた形跡がない。
玄関ホールくらいは綺麗にしたらどうなの、と思わなくもなかったが、やってないものは仕方がない。
そんなわけでリリカの住み込み使用人生活は、このお屋敷を綺麗にするところから始まった。
まず入ってはならないという書斎以外の部屋や廊下の窓という窓を開けるところからやろう、と考えたのだが、あまりにも掃除がされていない窓辺は蓄積された汚れがサッシに詰まって窓が開かなくなっていた。リリカは急遽予定を変更し、この窓に詰まった汚れから綺麗にしていくことにした。
森に囲まれて日当たりが悪いにも関わらず、無駄に窓が多い作りの屋敷なので、窓の汚れを落とすだけでも時間がかかる。しかしそこはそれ。リリカはおばあちゃんによって様々な技術を学んでいるので、汚れを落とすなど朝飯前の仕事だった。
おまけに屋敷の主人であるウィルジア様がいらっしゃらないので、食事の支度をする手間が省ける。思う存分に掃除に打ち込めるので、作業が捗って捗って仕方がない。
リリカは屋敷中の窓のサッシにつまった汚れを落とし、ついでにガラスを拭きあげると、窓を大きく開け放った。陰鬱とした針葉樹に囲まれた森であるが、それでも新鮮な風が屋敷の中に入ってきて、淀んだ空気が霧散した。
「さて、次は床の掃除をしましょうっと」
リリカはモップで玄関ホールをこすった。廊下をこすった。未使用の部屋をこすった。一度では落ちないので、水に浸して絞ったモップで何度も何度も何度も同じところをこすった。モップでは行き届かない場所は、雑巾でゴシゴシゴシゴシ力一杯掃除した。
そんなわけでリリカは、ウィルジアが帰ってこない間ひたすら掃除に励んだ。
屋敷中のカーテンを全て外して洗濯板でじゃぶじゃぶ洗い、日当たりの良さげな場所を探して干し、暖炉の中も煤を落として綺麗にし、煙突掃除もした。
ご主人様がいつ帰ってきてもいいように、毎日食材も取り揃えて食事の支度もバッチリである。なお帰宅しない場合、もったいないのでリリカがありがたく頂いた。「役得ね!」と思った。
こうしてリリカが、陰鬱な森や荒廃した屋敷にめげずに職務に邁進した結果、屋敷は見違えるように美しくなり、まるで今しがた建てたばかりの新居のような面持ちになったのだった。
リリカがウィルジアの屋敷で働き始めてから十日経った日の出来事である。
今日も今日とて己の仕事ぶりに満足し、さてそろそろ夕飯の準備を……と思っていたところ、玄関ホールで物音がした。
慌てて向かうと、そこに立っていたのは、よれよれの衣服に身を包んだ一人の青年だった。呆然と立ち尽くすそのお方が己の主人であるに違いないと思ったリリカは、ともかく出迎えの挨拶をする。
「ウィルジア様、お出迎えが遅れまして申し訳ありません。おかえりなさいませ」
「君は誰だ」
ウィルジアは動揺が滲み出た声で尋ねた。
「新しくお屋敷で働かせていただくことになりました、リリカと申します」
そう名乗ると、ウィルジアはリリカをまじまじと見つめてきた。
しかしこのご主人様、お顔がちっとも見えないわねとリリカは心の中で思う。
ボサボサの金髪は鼻頭まで前髪が伸びているせいで、どんな顔をしているのか全くわからない。己の主人の顔形がわからないというのはちょっと問題だろう。折を見て散髪の提案をしようと密かに心に誓う。
ややあってからウィルジアは躊躇いがちに口を開いた。
「この玄関ホールは、君がやったのかい……?」
「はい。僭越ながら、掃除をさせていただきました」
「そうか……」
「よろしければ湯浴みをなさいますか?」
「あ、うん」
「ではローブをお預かりします」
リリカはボロボロのローブを受け取った。黒いローブは上質な素材で出来ているが全体的にしわくちゃで、袖口の糸がほつれていたり、刺繍が取れかけていたりと散々な状態である。これは洗濯を終えたら綺麗に繕わなければ、と意思を固くする。
「湯浴みが終わりましたら、お食事にされますか?」
「ああ」
「かしこまりました」
そうしてリリカはウィルジアの湯浴みの用意を整えた。
水を張り、外に回ると素早く薪をくべて入浴に適した温度まで温め、それから着替えを出して脱衣所へと置いておく。この服もリリカがウィルジアの留守中に洗濯し直してアイロンをかけておいたものである。
それが終わると夕食の準備を整えるべく食堂へ行き、暖炉に薪をくべて部屋を暖めてから、厨房に向かった。
食の好みがよくわからないがなんでも食べるという話だったので、兎にも角にもお貴族様の食事習慣に合わせてフルコースを用意する。
自覚はないが、リリカの料理の腕はプロ顔負けである。
ウィルジアが入浴をしているわずかな間に、目にも鮮やかな前菜を作り、朝から仕込んでいたとろける程美味しいテール・スープを仕上げ、ウィルジアが食事をしている間に魚料理を作り、肉を焼いた。デザートのタルトは旬の果物をふんだんに使い、コーヒーは豆から挽いて淹れた。完璧である。
そうして食事を終えたウィルジアにふとリリカは尋ねた。
「前任者に、ウィルジア様はお食事中も本を手放さないと伺っていたのですが、本日は読書は宜しかったのでしょうか」
「えっ、ああ、うん。あらかた仕事は片付いたからね、今日はいい」
なるほどそういうこともあるのか、とリリカは納得する。ともあれ食事には満足いただいたようで何よりだ。
前髪のせいで顔は見えないが機嫌が良さそうなウィルジアに、今ならば許可をもらえるかもしれないと思ってリリカは思い切って話しかける。
「ところでウィルジア様に一つ許可をいただきたいのですが」
「なんだ」
「表の針葉樹の一部を、切り倒してもいいでしょうか」
「…………」
ウィルジアはぴたりとコーヒーを持ち上げていた腕を止めた。
「今、なんて?」
「はい、木を切りたいと申しました。洗濯物を干すのに日当たりの良い場所が必要でして。薪にもなりますし、南側の一部でいいのでぜひお許しいただけないでしょうか」
「君が切るのかい?」
「はい。昔木こりに弟子入りしたことがあるので、伐採はお手のものです」
ウィルジアはまじまじとリリカを見た。ここで負けてはならないとリリカは笑顔を浮かべ続けた。日当たりの悪さは死活問題だ。お洗濯物が、乾かないのだ。この屋敷のカーテンは厚手のものが多く、そりゃあ乾かすのに苦労した。生乾きで変な臭いになったら嫌だ。ウィルジア様の服だってパリッと気持ちよく乾かしたい。
しばしの沈黙ののち、ウィルジアは「怪我のないように」と告げて許可を下さったので、リリカは内心で「よっしゃあ!」と叫びたい気持ちを堪えて「はい」と返事をした。
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