24.

 目が覚めて、あたりを見回した。部屋は真っ暗だ。まだ朝にはなっていないらしい。わたしはベッドに横たわっていて、床にはカナメさんがこちらを向いて眠っているようだった。わたしはなんだか心細くなって、カナメさんの体を揺すった。

「あれ……」

 カナメさんは目を覚ましてわたしを見ると、びっくりしたような顔をした。

「すみません、どなたですか……? なんだか記憶が……。もしかして僕、あなたになにか……」

 ああ……。頭が真っ白になり、それなのにわたしの口は勝手に動いた。

「いえ……、泥酔していたわたしを介抱してくださったんです。わたしにベッドを貸してくれて、自分は床で寝るから、って。ご迷惑をおかけしてすみません。ありがとうございました」

 真っ白になった頭の中に、自分がついている嘘が流れこんでくる。カナメさんは不安そうな顔のまま、口を開いた。

「そうだったんですか……。僕も酔ってたんでしょうね、まったく記憶がなくて……」

「ええ、酔ってはいたみたいです。とにかく、なにもありませんでしたから」

「それなら、良かったんですが……」

 カナメさんはそう言って体を起こし、部屋の電気をつけた。

「お邪魔してすみませんでした。わたし、帰りますね」

 わたしは鞄を手に取って、玄関へ向かう。

「待ってください」

 カナメさんの声に、思わず振りかえった。

「泣いているんですか……? やっぱり僕……」

「違うんです、昨日はいろいろあって……。親と喧嘩して実家を追いだされて、それで、ヤケ酒を飲んで……」

 お酒なんて、飲んだことないのに。嘘を重ねれば重ねるほど、涙が重くなる。

「こっちに来ませんか。もう少し休んだほうがいいですよ」

 一刻もはやくこの部屋から出ていかなければならない、そう思いながらも、わたしの足はふらふらと、カナメさんの傍まで歩く。

「なんだか、不思議なんです」

 わたしは薄い青色のクッションの上に腰をおろした。カナメさんはベッドに腰かけて、わたしを見下ろしながら優しい声で呟く。わたしは、なにが不思議なんですか、と訊ねた。

「あなたのことは知らない、昨日のことも思いだせない、それなのに……、初めて会った気がしなくて。ずっと昔から知っているような、そんな気がして……」

「カナメさん……」

 わたしは思わず、そう呟いていた。

「どうして僕の名前を……?」

「あ、えっと……、昨日、教えてくれたから……」

 回らない頭でとっさに、また嘘をつく。

「そうでしたか。あなたのお名前も、訊いていいですか? 昨日聞いてるかもしれないけど、思いだせなくて」

「わたしの名前は……」

 ……思いだせない。

「どうかしましたか?」

 カナメさんは首を傾げてこちらを見ている。この人が何度も呼んでくれたはずの名前が、思いだせない。

「えっと……、わたし、あんまり自分の名前が好きじゃなくて……。昨日も教えてないんです。だから、秘密です。ごめんなさい」

 どうしてわたしは、カナメさんに向かって、こんなにいくつも嘘を重ねているのだろう。

「そうだったんですね」

 カナメさんは寂しそうに微笑んで、大丈夫ですよ、と頷いてくれた。

「たとえ世界が君を忘れても、僕はずっと君の傍にいるから……」

 わたしはつい先日カナメさんが教えてくれた歌詞を、呟いた。カナメさんがびっくりしたようにわたしを見る。

「知ってますか、この歌詞」

「ええ、僕の好きな曲に、そんな歌詞があります。あなたもあの曲を、知っているんですか?」

「いえ……、ある人がその歌詞だけ、教えてくれたんです」

「たとえ世界が君を忘れても、僕はずっと君の傍にいるから」

 カナメさんは少し間を置いて、言葉を続ける。

「たとえ僕が君を忘れても、それでも僕はずっと君の傍にいるから……」

「えっ?」

 わたしは思わず裏返った声をあげる。

「もしかして、前半しか教えてもらえませんでした? この歌詞、サビの部分なんですけど、最後のサビでは今のが続くんですよ」

 ——たとえ僕が君を忘れても、それでも僕はずっと君の傍にいるから。

「知らなかったです……。前半しか、教えてくれなかったなあ……」

 カナメさんが、ふふ、と小さく笑った。

「その人にとって、きっとあなたは大切な存在なんでしょうね」

「どうしてですか?」

「だって……、大切な人に向かって『たとえ僕が君を忘れても』なんて、言いたくないじゃないですか。少なくとも、僕は、ちょっと言えないかなあ、って」

 わたしは思わず俯いて、また溢れそうになる涙を堪えた。

「あ、ごめんなさい……。気を悪くしましたか?」

「いえ……、なんだか、その……、じーんとしちゃって……」

「そうだ、その人を頼ることはできないんですか?」

「そうですね……」

 次はどんな嘘をつけばいいのだろうか、と頭を働かせながら、わたしは答える。結局、まともな嘘は思いつかなかった。カナメさんは少し不安そうに首を傾げる。

「あの、大丈夫ですか?」

「はい……。すみません、コーヒーもらえませんか?」

「いいですよ、淹れましょうか」

 カナメさんは立ちあがって、キッチンに立った。

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