4.

「新しくこのサークルに入ってくれる人がいるから、軽く自己紹介してもらおうかなと思います」

 美術サークルの部室の四方に部員たちが散らばっていて、部屋の中央の机の前で晴野さんがそう言った。それから部屋の隅にいたわたしのほうを見て、手招きをする。わたしはそろそろと晴野さんの近くへ歩いていった。

「理学部の一回生、東雲アリカと言います。えっと……、白崎ホツエさんとシズエさんに誘われて、サークルに入ることにしました。なんというかその、ちゃんとした絵、みたいなのは美術の授業でしか描いたことのない初心者ですが、よろしくお願いします」

 机の近くにいた人が拍手をした。わたしはなんだか恥ずかしくなって、思わず俯く。晴野さんが口を開いた。

「前にも言ったけど、僕が副部長。部長は四回生の甲斐ケントさんっていう人なんだけど、甲斐さんは基本的に夜しかここには来ないんだ。東雲さんが入部することはもう伝えてあるけど、顔を合わせるのはまだしばらく先になるかも」

 わたしは、はい、と頷く。

「そっちにいるのが林ユウ。僕と同じ三回生で、工学部」

 晴野さんが指さしたのは、部屋の隅にいる赤い髪を肩まで伸ばした人だった。

「どうも」

 林さんは低い声で呟くようにそれだけ言った。目つきが少しきつくて、とっつきにくそうな印象を受ける。

「それからこっちが佐々木カンナ。この人も三回生で……」

「文学部だよ。アリカちゃん、わからないことあったらなんでも訊いてね」

 さっき拍手をしてくれた佐々木さんが明るい声でそう言って、わたしににっこりと笑いかける。この人は親しみやすそうだな、と思って少し安心する。

「それから、そこにいるのは一回生の川口ヤエさん」

「法学部です。よろしくお願いします」

 窓際にいる川口さんは無表情でそう言った。敬語を使われて、わたしも同じ一回生なのになあ、とぼんやり考えた。とはいえ初対面だしなあ、と思いなおす。

 部室にいるのは晴野さん、林さん、佐々木さん、川口さんと、あとはホツエとシズエだけだった。

「そういえば、白崎さんたちとの付きあいは長いの?」

「長いですよ、私たち三人、小学校からずっと一緒なんですから」

 晴野さんの問いかけに、わたしよりはやくホツエが答える。そのすぐ隣ではシズエもにこにことしながら頷いていた。

「今日来てない部員はまたおいおい紹介するよ。まあ、もしも会うことがあれば、の話だけどね」

「ありがとうございます。えっと……、すみません、なんか中途半端な時期に入部しちゃって」

 わたしは少し気がかりに思っていたことを口にする。

「いやあ、気にしなくていいよ? そういう人も結構いるし」

 晴野さんは微笑みながら優しくそう言ってくれた。

「えっと、みなさん、どうぞよろしくお願いします」

「よろしくね!」

 佐々木さんが明るい声で言いながらわたしに笑いかけてくれる。それから林さんが、ああ、とどこか気のなさそうな相槌を打つ。川口さんは変わらず無表情でわたしのほうを見ていた。

「それじゃあ、ここで使う道具の説明とか軽くするよ。みんなは絵描くなり帰るなり好きにして。今日は集まってくれてありがとう」

「じゃあ俺は帰るわ」

 林さんが低い声でそう言って、すたすたと扉のほうへ歩いていく。

「お疲れ」

 晴野さんがその背中に声をかけるが、林さんは返事をすることなく扉を開けて部屋を出ていった。

「私も用事があるので帰ります」

 川口さんがそう言って、晴野さんのほうへと軽く頭を下げる。

「うん、お疲れさま」

「お疲れさまです。お先に失礼します」

 そう答えると、川口さんもすたすたと部屋を出ていった。部屋には晴野さんと佐々木さん、それからホツエとシズエ、そしてわたしの五人が残った。

「そういえば、このサークルって部員は全部で何人いるんですか?」

 ふと気になったことを、晴野さんに訊いてみる。

「うーん、所属してるけどなにもしてない人とかもいるからなあ……、そういうのもあわせたら十五人……、とかかなあ」

「まあでも基本は部長と今日いた林にヤエちゃん、それから残ったここの五人で、あわせて八人が主要メンバーだよね。アリカちゃんも今カウントしたからね、幽霊部員にならないでよー、そしたら私悲しいから」

 晴野さんの言葉を引きつぐようにして佐々木さんが言って、笑う。

「プレッシャーかけちゃダメだよ」

 晴野さんが苦笑いしながらそう言った。

「あ、そうだ、忘れてた。この部屋は朝の九時から、夜も一応九時まで使えるから。事務に申請出せば真夜中まで使えないこともないけど、まああんまりおすすめはしないかなあ……、結構手続きが面倒だから。まあでも、どうしてもってときは僕か佐々木さんに言ってくれればいいよ」

「え、夜中まで使う人いるんですか……?」

 わたしは晴野さんの説明にびっくりして、思わずそう訊ねた。

「まあ、甲斐さんとかはたまにやってるみたい。あとコンテストの締め切り間近になるとユウとかも使ってたりするね」

 そう言いながら晴野さんは部屋の後ろのほうへ歩いていって、棚から箱を取りだした。

「この箱の中にいろいろ画材とか入ってて、この箱は今誰も使ってないやつだから、東雲さんが使っていいよ。最初はここにあるの使って、感覚が掴めてきたら自分で好みのものを探して買うのがいいと思う」

 言いながら晴野さんは、箱を持って机のほうへと戻ってきた。

「わかりました。ありがとうございます」

 晴野さんが箱を開けたので、わたしは少し身を乗りだしてその中を覗いてみた。絵の具のチューブが入っているのであろう箱が二つ、パレット、それから水を入れる黄色い容器、油彩に使うオイルの瓶、他にもいろいろとわたしには用途のわからないものが入っていた。

「絵の具とパレットはわかるよね。こっちが水彩で、こっちは油彩」

 そう言いながら晴野さんは絵の具のチューブの入った箱を二つ取りだして机の上に置いた。

「それから、これはまあ水入れるやつ。そうだ、これの名前、知ってる?」

 黄色い容器を持ちあげて、晴野さんが訊ねる。

「いや、知らないです……」

「筆洗器って言うんだよ。筆を洗う器だから、筆洗器」

「私もこのサークル入ってから知ったよその名前」

 へえ、と相槌を打ったわたしの横で、シズエがそう言った。

「で、これが見学のときにも見せたけど、油彩に使うオイル。ペンチングオイルって言うんだ」

 言いながら晴野さんは、黄色がかったオイルの入った瓶を机の上に置く。

「それからこれは水張りに使うテープ」

「水張り……?」

 聞きなれない言葉に、わたしは首を傾げた。

「えっとね、紙に普通に水彩絵の具で描くと紙が歪んじゃうから、いったん紙全体を水で濡らして乾かすんだけど、それをするとき木の板に貼りつけてやるんだ。それに使うテープだよ。今度やり方教えるよ」

 わたしは晴野さんの説明に、ありがとうございます、と答える。

「とりあえずはこんなところかなあ。まあ、他にわからないものがあったら、そのとき訊いてね」

晴野さんはそう言って、机の上に並べた画材を丁寧に箱の中へ戻していく。

「晴野じゃなくてこの佐々木カンナ様に訊いてもいいのよ!」

 佐々木さんがおどけるようにそう言って、笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る