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「よぉ。やっと起きたか。

 随分ずいぶん、遅いお目覚めだな。もう1時だぞ?

 おかげでこっちは、温め直し中だ」

 


 あたしが、二日酔いでもないのに頭を抱えつつダイニングに降りると、すでにそこには、幼馴染おさななじみのいつもの姿が有った。

 相変わらず、タフだなぁ。羨ましい……。



「ていっ」



 その、なんとも自然な様子ようすが癇に触り、 あたしやつの脛を軽く蹴った。

 軽く声を掛けてから背を向けていた風月かづきは、「っぇ!」とだけ返し、振り向く。



だよ。随分ずいぶん、ご挨拶だなぁ。

 そんなに下手ヘタだったのかぁ?」

「……別に。ただ、もう少し気を遣って欲しいだけ」

「そういうのは、その時、直接、本人に言え。

 少なくとも、俺には無関係だろうが」



 ……んにゃろう。しらばっくれおってからに。

 まぁ、変に反論しても面倒なだけだし、この辺にしとこう。

 あたしがそう思ったのを察したのか、風月かづきも黙り、温めていたシチューを小皿に掬い、味見する。



「その、大好きな大好きな先生と、もう少しで会うんだろ?

 だったら、そろそろ、そのボサボサ通り越してボサノバな髪、整えて来たらどうだ?」

「相変わらず、詰まらないギャグ。

 それでも、シナリオ·ライターですか〜?」

「俺の持論では、物書きは大きく二種類に分けられる。アドリブが上手い人間と、そうでないやつ生憎あいにく、俺は後者だ。

 分ぁったら、とっとと顔洗って出直して来い」

「いつあたし風月かづきごときに負けた」

「お前こそ、いつ俺に勝ったんだよ。

 舞桜まおの分際で」



 そんな調子で軽くジャブを食らわせ合ったあとあたしは渋々、風月かづきに言われた通り、洗面台へと向かう。

 その際に、何となく浴室を覗くと、まるで年越しの大掃除でもしたかのように綺麗になっていて益々ますます、昨日の相手に腹が立った。

 が、攻撃すべき相手は今、目の前にないようなので、仕方しかた風月かづきで我慢した。





「お前さぁ。もう少し、俺にありがたみとか、感じたらどうなの?」

 テーブルを挟み座って向かい合っていると、唐突に風月かづきが切り出した。意味が分からなかったので、あたしは少し考えてから答えた。



「……何が?」

「『何が』、じゃねぇよ。

 こっちは仕事の合間を縫って、高校も卒業して本来なら疎遠になってもおかしくないってのに、未だに寝ぼすけの面倒、見てんだぜ?」

「しゃしゃんな、在宅が。てか、別に頼んでない。

 そもそも、そのシチュー作ったの、あたし

 あんたこそ、タダ飯位くらいも良い所」

「温めたのは?

 具材、買って来たのは?

 さらに、費用を捻出したのは?」

「じゃあ、一時間位くらいかけて作ったのは?」

「……」

「……」



 あたしのモットーは、「時は金なり」。

 まぁ、そんな事を考えてられるのも、あたしかろうじて、生活に困らない程度のお金が安定して確保出来る収入源に就けたからだ。

 って言っても、それを初めて早数年、未だに他者に胸を張って自慢することおろか、そもそも詳細を明かすことさえ敵わないのが口惜しいが。

 そして何より、そのお金が、使う事も躊躇ちゅうちょするくらいには、どうにも正規ルートから外れている気がするのが、恥ずかしいというか、なんというか……。



 と、あたしの現状はさておき、だ。そんな感じで、あたし風月かづきは、金銭絡みで度々たびたび、衝突する。

 まぁ、ともすればのうのうと惰性、慢性的に生きている私と、今を必死に生き抜こうとしがみついている風月かづきとでは、こんなことになっても不思議ではない。

 むしろ、自然なくらいだ。



 それから数分、あたし達はさながら冷戦状態の渦中にいるかのごとく一言も交わさずに、無心で食事を済ませた。

 テレビも点けていないので、車の音だけが、あたし達の間に流れ、この部屋を包み、支配した。



 やがて、あたしが(風月かづきの分も含めて)洗い物を開始し、そこに数秒、水の音が加わったあとあたし風月かづきげた。

 決して、表情を見ずに、そして見せずに。



「一応これでも、感謝はしてる。

 風月かづきがいなかったら今頃、どうにかなってた。謙遜とか盛りぎとかでもなく、ガチで」

 手を拭き、横目で盗み見ていると、風月かづきあたしの方を見詰めたあと、向こうもあたしに背中を向け、返した。



「……んなん、俺も一緒だよ。お前がいなけりゃ今頃、食いっぱぐれてた」

風月かづきなら、何だかんだ息繋いでたでしょ? あたしが居なくても。

 あんた、処世術に長けてるって意味では器用だし。

 あたしは違う。まぐれで運良く、どうにかこなせる仕事に有り付けただけ。

 本当にやりたいこととは、似て非なる仕事に、ね」

「それでも、お前は、文句を言いつつも、何だかんだで、まだこなせてる。

 与えられた千載一遇のチャンスを、ちゃんと物にしてる。

 すげぇよ。正直、憧れる。現状維持で精一杯な俺には到底、出来そうもない。

 本気で好きでもないことに打ち込んで、あまつさえ更に出来る事増やして稼ぐなんて」

「違う。あたしはただ便利に、良いように使われてるだけ。

 七光りみたいな物でしょ?

 代わりなんていくでもいるし、なんならぐに見付かる」

「だからぁっ! そういうんじゃ、なくって!」



 ……追加。あたし達は金絡みだけじゃなく、仕事の事でも最近、こんな感じで、いざこざが絶えない。

 そして高確率で、風月かづきが早く折れる(さっきみたいに、あたしからしゃべるケースも有る)。

 風月かづきは、不器用だけど優しいから。



「……悪い。熱くなっちまった。

 本当ホント……どこまでガキなんだかなぁ。

 もう、良い年した社会人だってのに」

 風月かづきが自嘲している内に、あたしは二人分のレモン·ティーを準備し移動、「ん」と、片方のカップを風月かづきに手渡した。



「良んじゃん? あたし風月かづきみたいなタイプの方が好印象だけど?

 扱い易くて」

「上げてからドン底に突き落とすスタイル、嫌いだわぁ……」

「ん。褒め言葉、ありがと」

「うーわ。な女……。

 こりゃ、出身地は風○で確定だな」

 などと互いに抜かしつつ、風月かづきは笑顔を見せながら飲み始めた。私も続いた。

 あたしは基本的に喧嘩けんかは嫌いだが、風月かづきとの場合は、そんなでもないらしい。



「なぁ? 今日、だよな? 決行日」

 やがて飲み干した頃、風月かづき躊躇ためらいがちに、こっちを見た。


 

 余談だが風月かづきの、取っ手ではなくカップ自体を持つワイルドな癖は、あたしの中では存外、ポイント高い。

 どうせ付け上がるだけだから、絶対ぜったいに言わないけど。



「……ん。

 向こうも丁度、フラれたらしいし」

「……早過ぎじゃね?

 確か、付き合い始めたの、3日前だよな?」

「ん。大丈夫。

 いまだに一時間さいそくは塗り替えてない」

「いや……あんなん更新されても、困るんだが……。

 で、それなのに帰って来てお前に泣き付いたりしてないのを見ると……」

「ん。まーた別の男に乗り換えた、って線が濃厚、てか特濃。

 いや、ひょっとしたら元カレかもね。

 もっとも、本人はまったく記憶に無いだろうけど」

「で、相手も諸々承知で、面倒を避けるべく、初対面のていで接して来ると。

 相変わらず、興味の薄いことはとことん忘れるなぁ、紅羽いろはさんは」

「ん。そもそも、覚えようとすらしてない。あと、今に始まった事じゃない。

 てか、恋人の名前なんて真面まともに覚えてたためしが無いし。

 うちの車のデザインさえ、あやふやだった人だよ?

 買い物に行ったら、社会人にもなって勝手に行動しまくった挙げ句、駐車場で迷子になるような人だよ?

 しかも、スマホまで忘れたもんだから、迷子のアナウンスで呼ばれるような人だよ?

 極め付けに、合流した時には、道案内してくれた素知らぬ相手を彼氏として紹介するような人だよ?」

「……さっきの言葉、訂正するわ。

 俺より余程ガキな人が、すげぇ身近にいたわ」



 今話してるのはあたしの姉、花鳥かとり 紅羽いろはことだ。

 熱し易くて冷め易い彼女は、恋愛方面でも苦労している。

 具体的には、出会い→交際→同棲→破綻という一連のプロセスを、物の一時間で通過した事も有るほどの、百戦錬磨ならぬ百戦恋磨ひゃくせんれんまな強者だ。

 おまけに飽きっぽくサボり症で、家事も不得手なもんだから、家でぐうたら悠々自適に過ごしていた結果、母親の怒りを買い追い出され締め出され。

 絶縁にまでは至っていないものの、「家に居るのを許すのは、戻って来てから1ヶ月間だけ。なお、次に戻って来るまでに1ヶ月、クッションを置くこと」と定められた、典型的な駄目ダメ人間である。


 おまけに、そんなんのくせしてお金ばかり持っていて、構いたくなる、貢ぎたくなるタイプがストライク。

 と来たもんだから、所謂いわゆるヒモにばかり好かれ、それはもうズブズブにハマり、同居先を転々としつつ、自宅にも実家にも滅多めったに帰って来ない、我が姉ながらなんとも残念な恋愛歴の持ち主だ。

 おかげで、姉とのシェアハウスのはずだったこの部屋は、なかあたし風月かづきの物となっている。

 話は変わるけど、森 絵都さんの短編集に、そんなパティシエなかったっけ?



「まぁ、それは置いといてだ。

 お前……本気なんだよな?」

 それがどういう意味なのか、風月かづきの真顔が何を含んでるのか。

 察せられないほど、私は鈍感じゃないし、風月かづきとの仲も浅くない。

 

「……ん。

 そろそろ、ケリ付けないとね。い加減」

 震える手を、私《あたし)はテーブルの下に潜めた。

 その原因が、恐怖か、喜びか、悲しみか、絶望か、興奮か。

 それが読み取れない、見当も付かないくらいには、あたしの心は麻痺していた。 



「……そっか。

 まぁ、なんだ。

 ……頑張れよ、舞桜まお

 中々に引っ張った割には、風月かづきから出て来た励ましの言葉は、あまりにもテンプレだった。

 急に空気が台無しになったのを理解し、あたしは堪らず吹き出した。

 


本当ホント……アドリブ弱いわねぇ、あんた。

 もうちょっと気の利いた、エモい一言位、言えないん?

 しかも、何? その、謎の上から目線」

「……っぇな!

 こっちゃ、これでも全力だっての!」

「はいはい、分かってる、分かってる。

 おー、よしよし。

 エライネー、ガンバタネー」

舞桜まお手前てめえ!!」 

 テーブルの上から身を乗り出し撫でると、キレた風月かづきあたしを組み敷いてきた。

 そんな事をしても色気がまるで無いのは、あたし達達個人、もしくは関係に、なんらかの欠陥が有るからかもしれない。



えず、その、なんだ……ほれ」

「……ん。サンキュ」

 数分間じゃれ合ったあと、服を正していると風月かづきが、今度は炭酸を入れたグラスを持って来た。

 気の早い事に、祝勝会をするもりらしい。

 一体、あたしは何に、誰に勝ったと言うのだろう。そもそも、肝心な決勝戦、最終決戦が、まだ行われていないというに。



 ……でも、まぁ、これも悪くない。

 だって、こんなあたしと関係を未だに断たず、そればかりか健闘を称えてくれる相手がいる事の貴重さを噛み締めるくらいには、あたしは今、喜んでいるから。

 


 そんなことを思いつつ、飽きもせずに罵り合いつつ、あたし達はカップを合わせ。



「「乾杯」」

 と、最後だけは真っ直ぐに、言葉を届け合った。

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