1章 遮乾距離 -side.M-

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 一台の車の損失。

 それにより、あたしの心、そして家庭は大きく揺らいだ。 



 別に車自体は、なんことい、至って普通のワゴン車だ。

 オレンジ色で、8人乗り。まだ幼かった妹が、こっそり悪戯で裏側、要は左右のタイヤの間に、手製のステッカー(ライオンだろうか)を貼っただけの、なんの変哲も無い、至って普通の車である。

 別に浮遊も透明化も出来ないし、ヒーロー活動する際には変形したりもしないし、実はタイムマシンだったりもしないし、ましてや宇宙から舞い降りた機械生命体でもない。

 いや、ここまで言うのは少々、大袈裟かもしれないが、かく、別に他人に見られて困る、恥ずかしいような代物では断じてないという事は理解、留意して欲しい。



 では、そんな車(それも中古)がなぜ、あたしを内側から苦しめているのか。それに触れるには、その車が我が家に来るまでの経緯いきさつから説明しなくてはならない。



 ず最初に、私の父は所謂いわゆる、婿養子だ。つまりあたしが今、家族と共に暮らしているのは元々、母の実家でもある。

 そんなこの家には、数年前まで祖父と祖母、つまり母の両親も暮らしていた。そんな四人、そして私達の三姉妹を含め、我が家は七人家族だったのである。

 


 この祖父母だが、傍迷惑な事に、非常に仲が悪い。

 というのも、祖父は昔から気が弱く、酔っぱらって叫んでばかりだった上に、祖母もそれに対抗して大声で張り合うという、なんとも耳障りなやり取りを毎日、繰り返していたのだ。そうでなくても、祖母がいなくても祖父は、「扶養家族」だと「クビ」だとか、わけの分からない事を喚いていた。それも、声量も含めてアップ·ダウンの激しい調子で。

 そのさまさながら、パトカーが何度も往復しているのと同じくらいには騒々しかった。しかも、時間帯は大体、深夜。これは本当ほんとうに、たまった物ではない。

 


 あたしの産まれる前からそうだったらしく、父親は、そんな祖父の奇行を承知の上で、我が家に来たらしい。それくらい、母を愛していたのだろう。

 しかし、だからといって祖父との関係が良好だったかと問われれば、それは話が別。はっきり言って、祖父が酔わなければ特にうるさくしない祖母はともかく、祖父との関係は最悪だった。

 それはもう、あんまりやかましいものなら、そのまま今の窓を開け問答無用で外に放り投げるようこと初中後しょっちゅうだった。仮にもしゅうと、家主をである。

 


 そんないびつな形の家族ではあるが、アルコールさえ絡まなければ比較的、大人おとなしい祖父、そして祖母の事を、父も家族だとは思っているらしく。姉が大学生になって程なくして、ある物を買って来た。

 長くなって来たし、そろそろ話を戻そう。何を隠そう、それこそが、例のワゴン車である。

 


 あたしの父は昔から、衝動的なタイプだった。その時も、何となく見掛けたワゴン車を、母になんの相談も入れずに勝手に購入して来た。

 そのことで、母からは大目玉は食らい、三姉妹からも大顰蹙を買った父だが。

「だって義母おかあさん、言ってたじゃないか。『夢の国に行きたい』って。

 だから、それを叶えたいなって。家族全員みんなで、行きたいなって。そう思って、買って来たんだよ。

 これなら、家族がバラバラにならずに済むじゃないか」

 と、そんな父の一言、そしてすべて一括払いの自費だった背景もあり、どうにか返金の道を免れたのだった。

 

 

 だってみんな、分かりたくなくても、分かっていたから。祖父も祖母も、もう、残された時間がいくばくも無い事を。

 実際、この時点でどちらも、あたしとは4回り近くも違っていたのだから。

 いつまでも争っていたら、ともすれば明日にでも、口を利くことさえかなわなくなるかもしれないのだから。

  


 そんなわけで、それからは七人で行動する事が多くなった。

 あたしの地元は宮城県なので、一発目から夢の国に、というわけには流石さすがに行かなかったが、最初は近所のスーパー、その後は少し離れたショッピングモールと、少しずつ走行距離が伸びて行った。



 そうして次第に、共に過ごす事が増えて行くに連れ、祖父が飲酒する事も減って行った。

 元々、過度なストレスにより、酒に逃げていたのだ。あたし達の一緒に出掛ける事で、それが少なからず緩和されて来たのだと思う。

 


 正直、棚ぼただった。

 最近、退職した祖父は、出不精だった事も手伝い、それはもう荒れに荒れていたのだ。

 おまけに、これまでリカーに充てていたお金が、あたし達の元に小遣いとして回って来た。本当に、ワゴン車様々である。

『このまま煙草たばことパチと宝くじもめて、その分までうちに回って来たら万々歳だね』などという妹の小生意気な発言に、あたしも心から同意した。

 


 ーー祖母が急逝したのは、『この分なら、次は仙台だね』などとあながち本気で話していた、そんな矢先でのことだった。

 


 祖母は、重度のヘビー·スモーカーだった。

 詳しい死因は聞いていない、というか聞けるような気力もタイミングも勇気も鈍感さも無かったが、なんとなく全員が、暗黙の了解で、それだと察していた。

 


 祖母はある日、居間で一服していたら、急にパタッと逝ってしまったらしい。

 そして、そのまま緊急入院。

 それから程なくして、帰らぬ人となった。

 


 別に、昔から体が弱かったとか、何かを患っていたとか、そんな事は無い(くまでも個人的な見解、印象、記憶だが)。

 むしろ、居間でお茶していた所、自宅に置いてあった自転車を盗んだ犯人を見付け、走って追いかけ捕まえるくらいには、パワフルかつエネルギッシュな人だった。

 皮膚が薄く骨が分かり易く出ていたので、あたしの小学校時代にはクラスメイトに「骸骨」だとか、酷い呼ばれ方をしていたが。

 いや、あれはどっちかと言えば、玄関から入ると祖母に『遊んでばかりいないで勉強しろ』と小言を食らうからって、ゲーム部屋に来る時に窓から入って来る、そのクラスメイト達が全面的に悪いのだが(おまけに結局、バレて怒られるし)。

 


 話が横道に逸れたので、軌道修正をかけるとしよう。

 かく、祖母は死んだ。当時まだ中学生だったあたしは、それを妹からのメールで知った。

 正確には、それより前から何度も父から着信が入っていたのだが、授業中な上に最前席、更にはテスト前の真っ只中という悪条件の連鎖、更にはなんの前兆も無かった事からまったく意に介してなかった。

 


 よもや、あんな非常事態になるなど、露程ほども思わなかった。

 青天……いや。(我が家の家庭環境からして)曇天の霹靂へきれきといった所だろうか?

 要は、それ程までにショックな、果てしなく現実離れした状況だったのだ。それこそ、「無事でいて」「頼むから、どうか無事でいて」と、病院に向かうタクシーの中でずっと祈ってたくらいには。

 「だって、まだ、夢の国、行けてないじゃん。おばあさんが言ったんじゃん」と。

 


 しかし、あたしの願いも虚しく、祖母はその後、3日と保たずに、祖父を置いて、この世を去った。

 


 ここからの流れは、想像にかたくないだろう。祖父はもう、大荒れだった。

 例えで言うなら、地震と台風と噴火と津波が一度に押し寄せて来るような凄まじさだった。

 それまで控えていた酒に再び逃げ、騒ぎまくり、何度も父親と激突した。

 当然、例のワゴンを使う機会なんて訪れなかった。

 


 しかし、そんな地獄が一週間も続いた頃、今度は急に静かになった。

 ほろ酔い程度に酒を控え、テレビも点けずに居間でボーッとしている様子ようすしか見なくなった。

 


 全員が、口にせずに察した。寂しいんだと。

 なぜ、あれ程に迷惑をかけている自分ではなく、妻を先に奪ったのか。

 そこまでして神は自分を苦しめたいのか。

 そんな風に、まるで懺悔でもするかのごとく、祖父は大人しくなった。

 正確には、もう叫ぶ気力も無くなったのかもしれない。

 


 そんな祖父を見兼ねたのか父が、今度は新たにペットを買って来た(またしてもノリと勢いだったので、再び母の不興を買った)。ミニチュア·ダックスフンドである。

 八人目の家族という意味、そして当時嵌っていたハイパーエージェントの影響により、その犬は妹によって『オクト』と名付けられた。



 オクトによって、祖父の心は癒やさるはずだった。

 実際、祖父もオクトを大層、気に入っていた。誰よりも早く長くそばにいて、餌やりも散歩も率先して行うなど、確かに、その傾向は見られたのだ。

 


 だからこそ、衝撃だった。そんなオクトを、祖父が逃していたなど。

 


 あれは、中三の頃。

 あたしが学校から帰って来ると、祖父は相変わらず、電気もテレビも点けずに、薄暗い、ホラー映画みたいな景色の中で俯いていた。

 オクトがケージの中にいなかったのが引っ掛かったが、祖父に聞いても何も応えなかったので、どうせ妹と一緒にいるんだろう、なんか懐いてたしと判断し、私は部屋に休んだ。

 そして、それから二時間位くらいして、私の部屋を訪ねた母が聞いて来た。



「ねぇ。オクト、知らない?」

「は? 夏葵なつきと一緒じゃないの?」

「そんなわけいじゃない。夏葵なつき、まだ学校なのよ」

 という会話を皮切りに、あたしようやく、事態の深刻さを悟った。

 オクトが逃げた。いや、違う。祖父が、逃がしたのだと。

 


 あたし達は無論むろん、(恐らく虐めて)オクトを放ち、それでいて黙っていた祖父を糾弾した。

 特に、家族から連絡を受け急いで帰って来た妹は、玄関を潜って早々、祖父を激しく、それでいて冷たく、簡潔に罵った。

「死ね」と。

 


 その後、五人(祖父は手伝わなかった)で街を走り回った頃、捜索願いを出していた役場から連絡が入り、オクトが保護された事を知った。

 そしてオクトは、翌日には無事に我が家に戻って来た。


 

 オクトは居間に四足を着いた直後に、ソファに座る妹に飛び付き、その顔を舐め回し、更に妹さんの膝の上で「やらかす」(=我が家ではオクトがシートや散歩以外でトイレを済ませる事を、こう呼んでいた)。

 が、それでも妹は怒らずに「おー、おー。そんなにうれしかったか、我慢してたかー」と笑っていた(無論むろんぐに着替えとシャワーは済ませたが)。

 小生意気な上に(あたし以外には)反抗期な妹にしては、めずらしく穏やかなリアクションだった。



 驚いたことに、この件を通して、祖父は変わった。

 飲酒を続けているかどうかは定かではないが、それまでみたいに、生きてるのか死んでるのか分からない状態ではなくなった。オクトを、本当に大切にするようになった。喚く事も一切、しなくなった。

 まぁ、少しでも元気になって欲しくて、森絵都の『カラフル』を貸した結果、「ばっば! マーちゃんが本、貸してくれたっ!」と、祖母の遺影に見せながら言ってた辺り、完全に切り替えられたわけではないらしかったが(というか祖父は、その本を通してあたしが知って欲しかった意図を、きちんと汲み取ってくれたのだろうか?)。

 かすかに落胆したのは確かだが、そこまでは期待していないし、そもそも容易い事ではないのを熟知していたので、何も言わなかった。

 


 そんな祖父も、あたしが高校を卒業した一年後に、寝たきりになった。

 訪問してくれた数人の医者、そして定年より少し早く退職していた父の介護を受けつつ、それから約1ヶ月後ーー祖父は亡くなった。

 


 祖母を失い、祖父もあとを追い、ワゴンが本来の役目を果たせなくなった頃、今度はそのワゴンが事故に遭った。

 父が一人で運転中、三又路で止まっていた所、アトラクションと聞き紛うばかりの、けたたましいブレーキ音を耳にし、次の瞬間、いきなり車が激しく揺れ、シートベルトが首に引っ掛かった。

 要するに、後ろから突っ込まれたのだ。

 


 相手の車は、道路に物凄いタイヤの跡(ブレーキ痕というらしい)を残しながら、猛スピードで激突して来た。

 その人物は、なんでも田んぼが好きらしく、くだんの際にも「田んぼを眺めていたら、前方に注意が行かなかった」らしい。

 こっちからすれば、もう、「なんじゃそりゃあ」である。

 現に、基本的に怒ったりしない父も、駆け付けた警察官も、「あ……そうなんですか……」くらいしか言えなかったらしい。

 おまけに、警察や車検会社への電話が妙に手慣れていたらしい。

 よもや、前科者だったのだろうか?

 


 何はともあれ、この一件により、家族を繋げるはずだったワゴンは、オシャカにこそなってはいなかったが、完全にお荷物である。

 


 この頃には、両親とあたし、そして姉の四人が車を持っていて、それでいて我が家の駐車スペースは限り限りギリギリだった。

 加えて言えば修理代は馬鹿にならないし、かといって必要性、実用性も無く、正直有っても邪魔なだけだった。

 そして何より、誰もえて口にはしなかったが、あれは私達の大敗、退廃のシンボル、祖父母を夢の国に連れて行けなかったという揺るぎない、苦々しく忌々しい証拠であり、黒歴史。

 と、こういった理由により、満場一致で手放すこととなった。

 


 いや……厳密には、少し違う。五人の内、あたしだけが、反対だった。

 なぜなら、あのワゴンはあたしにとって、あたし達を家族たらしめてくれるスイッチ。

 放任主義を重んじた結果、食事も起きる時間も休日もバラバラで、いつ親から「離婚するから」って言われても「あ、そ」とか「へー」とか「だよねー」とか、理由も聞かないまま二つ返事で受け入れるくらいにガタガタ。

 そんな我が家をかろうじて繋ぎ止めて続けてくれている、唯一の、最後の希望だったのだ。出来できれば、失いたくない。



 そう主張したかったが、そのことひどく幼く、恥ずかしく、みっともなく、身勝手に思えた。

 ゆえあたしは「……何となく。ほら、その……色、とか?」としか、真面まともに弁明が出来できなかった。

 そんなあたしの申請は、当然ながら却下、というかかったことにされ、ワゴンは私の前から消えた。

 


 こうして家には、車一台分のスペースがいた。

 そして、これもまた自然な流れだが、あたし達の車は、その分、それまでより離れた所に駐車されるようになった。

 当たり前だ。夫婦間、親子間の仲が冷め切りつつある上ただでさえ、交通事故が自分達の間でも起こり得る事を、我が身をもって知らされたのだ。恐怖を抱かないわけい。

 しかも、もしそんなことが、今度は身内間で起こったとなればいよいようちは終わりかもしれない。となれば、少しでも余裕を持つに決まっている。

 


 分かっている。これが正しいのだと。あたしの考えは、間違っているのだと、単なる理想論でしか無いのだと。

 あるいは、祖父母がなくなったのが起因してセンチになっているだけかもしれないと。

 ただ……それでもあたしは、このわずか数十センチの幅の所為せいで、どうにも心がザワザワした。

 この間隔が、実際に今の家族あたしたちの精神的、そして物理的な距離に思えてならなかったのだ。



 そう。言うなれば、『者間しゃかん距離きょり』。

 我が家は、車間距離を誤った一人の人間により、者間しゃかん距離きょりまで脅かされつつあったのだ。

 


 事実、この頃から目に見えて悪い兆候が表れ始めた。

 勝気な妹は、ネガティブで過干渉な父に反発しており、何かと口煩うるさい母を、だらしのない姉は鬱陶しがっていた。

 昨今では熟年離婚なんてザラにあるという社会状況も後押しし、恐れていた家庭崩壊が、もう目前に迫りつつあった。



 大分、長くなってしまったし、上手く、すべてを伝えられたかは定かではないがが、ここまで説明すれば少しは分かってもらえただろうか。

 我が家の現状、そしてワゴンの大切さを。



 そんな波瀾万丈な人生を送るあたしが、これから語るは、家族。

 そして、どこにでもありふれた、けれど特別な、恋の話である。

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