腸内細菌は本体ですか
目が覚めたらもう夕方になっていた。ずっと付き添っていてくれたらしいフェイとミエルダさんは大喜びした後で、
「それからメルド、あたし何も見てないから気にしないで」
「それは正しくない表現ですねフェイ。少し見てしまったけどマジマジとは見ていないので気にしないで、と言うべきです」
「そ、そうかな。あっ、もうすぐ夕食だよ。テラスでバーベキューをするんだって。食べられそうだったら来てね」
という謎の会話を残して部屋を出て行った。
肌触りのよい寝巻の上から胸を撫でる。痛みはまったくない。きっとフェイが治癒術を使ってくれたんだろう。胸に巻かれている包帯は念のためということかな。
「メルドちゃーん、起きたのねえ」
フェイたちが出ていくとすぐ
「はい。おかげさまでぐっすり眠れました」
「よかったあ。でも残念。夕食までに目が覚めなかったらあたしのキスで起こしてあげようと思っていたのに」
女神シリアナ様、夕食前に深い眠りから呼び覚ましていただいたことに深く感謝いたします。
「
「大丈夫、と言いたいけどウソ。ホントはかなり重傷だったの。でもフェイちゃんに治してもらっちゃった。ミエルダちゃんもあたしを救助艇まで運んでくれたし、三人には大きな借りができちゃったわ」
「借りだなんてとんでもありませよ。ボクらの業務は
「そうだったわね。でもメルドちゃんは解任されているからやっぱり借りよ。この借りはいつか必ず返すから待っててね」
その気持ちは嬉しいんだけどろくな形で返って来ないからなあ。今回の件だってイベントで優勝しなければなかったわけだし。
「それと、見られたからって減るものでもないから気にしないでね」
「見られた? 何のことですか」
「あら、気づいてなかったの。メルドちゃん、海に落ちた時、スッポンポンだったのよ」
「ええ!」
「フェイちゃんやミエルダちゃんだけでなく、あたしもしっかり観察させてもらっちゃった。あ・り・が・と」
そうか。ボクらが空に飛び出せたのは爆発的な放屁のおかげだ。二人の体をあの高度にまで上昇させるほどのガスが尻穴から噴出したのだ。海水パンツが無事で済むわけがない。ズタボロに千切れてしまったのだろう。うう、恥ずかしい。まさかあの二人に丸出しの下半身を見られてしまうとは。
「これからテラスで『無事でおめでとう祝賀大宴会』を開催するの。よかったら顔だけでも出して」
「はい」
いや待てよ。修了試験で催尿意術を使った時、容器越しとはいえミエルダさんに見られているじゃないか。だとすれば二回目だし別に恥ずかしがることもないか。
フェイだって子どもみたいな外見だけど年齢は五十才。母親か祖母に見られたと思えばなんてことはない。よし、今夜は宴会で腹がはち切れるまで食べてやる。
「来たねメルド。こっちはもうやってるよ」
テラスには食材の焼ける香ばしい匂いが充満していた。そしてアルピニイさんはいつものように酒の匂いをまとっていた。今回ばかりは素直にお礼を言おう。
「アルピニイさん、本当にありがとうございました。もう少し遅かったら間違いなく食べられていたでしょう。命の恩人です」
「あんたの口からそんな殊勝な言葉が聞けるとは驚いたね。あまり自分を卑下しないほうがいいよ。あたしが来なくても死にゃしなかったさ」
「いや、それはないですよ」
「あるさ。あんたどうやって海中から空中に飛び出したと思ってるのさ」
「それは放屁で、」
「違うね。あれは腸内細菌の持つ特殊能力、プラズマ・エクスプロージョンだよ。東の森でフワフウを見たんだろう。あの亀の腸内細菌は水素からヘリウムを生成する。つまり水素をプラズマ状態にして核融合させているんだ。あんたの腸内細菌はそれを感知して自分のモノにしちまったんだろうね。太陽と化したあんたの尻穴によって目覚めた腸内細菌がプラズマ状態を作り出し、尻穴周辺を流れる血液中に含まれる赤血球の鉄分を磁化することで閉じ込め磁場を作り出し、ローソン条件を満たしたプラズマが核融合反応を起こして莫大な量のエネルギーが発生。そのエネルギーを尻穴から放出してあんたらは空に飛び出したのさ」
何を言っているのか全然わからなかった。とにかくただの屁でないことだけはわかった。
「どうしてそこまで詳しく解明されているんですか」
「同じ技を使う魔獣がいるんだ。魔王城の最初の番人、雷鳴のドラゴン。そいつを生け捕りにして生物科学研究所で徹底的に調べたのさ。そしてもっと昔、同じ技を使う人族がいた。北部出身でじゃがたら豆ばかり食っていたよ。きっとあんたのご先祖様だね」
「ボクの、先祖……」
「メルドー、何を話しているの。ほら、いい具合に焼けたよ。食べて」
フェイが食材をてんこ盛りにした皿を持って来た。食べてみる。絶句するほど美味しい。これは何だろう。
「相当美味しいみたいね。それはモグリ海豚のヒレ。王国十大珍味のひとつなんだって。あたしも食べたくなっちゃった」
そうか。東の森のエルフは菜食主義だもんな。こんな美味を楽しめないとは気の毒としか言いようがない。でも平気でステーキを食べているエルフを王都の食道で見かけたことがあるし、あまり因習に囚われないフェイならそのうち食べ始めるかもしれないな。
「困難な糞収集を成し遂げただけでなく、このような戦利品を持ち帰るとは、さすが収集課の課長殿であります」
続いてやって来たミエルダさんがアルピニイさんの活躍を話してくれた。王都から島までは
「ヒレの半分は
らぼにも送ったのか。鳥豚牛ステーキに並ぶ新たな名物料理の誕生だな。中央本部食堂の予約合戦が白熱しそうだ。
「生きたまま逃がしたんですか。アルピニイさんらしくないですね」
「今回の依頼に討伐は含まれていないからね。それにあいつの糞は入手困難で利用価値が高いんだ。一頭でも多く生かしておいて糞を収集したほうがらぼにとっても有益なのさ」
「メルドちゃーん、食べてるぅ~、遠慮しちゃダメよ」
「食べてますよ。それ、全部
「そうよ。これでお代わり五皿目。今日は疲れたから二十皿はいけそう」
「そんなに食べてよくその体型を維持できますね」
「うふふ。
そこから
「消化器官ってのはおバカで、何でもかんでも吸収しちゃうでしょ。体が『もう糖質は要らない』とか『脂肪多すぎ』とか『水分タプタプだよ』とか悲鳴を上げても一切無視して吸収しちゃう。その結果、太り過ぎたり具合が悪くなったり病気に罹ったり、最悪の場合は命を落としちゃうこともある。でも
つまり体が必要としているかしていないかを腸内細菌が判断し、不要と思われる物質は吸収させないようにしているのだ。これは食物に限らない。毒薬、有害な化学物質、毒性のある金属などの吸収も阻害している。従って食中毒とは一切無縁。毒殺の心配もないから毒見役も不要。何をどれだけ食べても適性体重と最適な体型を維持できるのである。ただし判定可能な対象は無生物だけなので細菌やウイルスなどは有害かそうでないかを選別できないらしい。
「珍しい細菌ですね。聞いたことがありません」
「でしょう。モグリ海豚ちゃんがこの海域に出現するのは
「メルドもあんたに負けないくらい珍しい腸内細菌を持っている、ってことなんじゃないのかい」
何でもないようにそう言ったアルピニイさんの目は鋭かった。飛行船で聞いたタカノメさんの話を思い出す。アルピニイさんも同じ考えを持っているのかもしれない。
「腸内細菌は大切だと思うのよ。動物の体は消化器官から吸収された物質だけで作られていると言っても過言ではないでしょう。そのほとんどは食物だけど、腸内細菌が生成する物質だって含まれているわけじゃない。優秀な腸内細菌がいれば優秀な物質が吸収されて優秀な体ができあがるし、アホな腸内細菌がいればアホな物質が吸収されてアホな体ができあがる。体だけじゃないわ。ヤル気のなくなる物質を生成して脳に送り込めば怠惰になるし、怒りを誘発しやすい物質を生成して脳に送り込めば怒りん坊さんになる。腸内細菌はあたしたちを支配しているのよ。と言うか、腸内細菌こそがあたしたちの本体なのよ。アルピニイちゃん、そう思わない?」
「その考え方はちょっと極端すぎるんじゃないのかい。だけど『その者を知らざればその糞尿を見よ』なんて格言もあるし一概に否定はできないねえ」
「もう、食事時に糞尿の話はやめてください。メルド、あっちで食べましょう」
「うん」
それからは鉄板で食材を焼きながら大いに食べて飲んで笑った。食べ過ぎはよくないんだけど、最初の一日くらいは楽しんでも女神シリアナ様は許してくれるだろう。それにモグリ海豚のヒレは煮てよし焼いてよし揚げてよしで箸が止まらなかった。こんなご馳走を食べたのだから立派なウンコを捻り出せるはずだ。女神シリアナ様もきっと喜んでくださるに違いない。
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