南の島の華族様
転移門の外は別世界だった。目に入るのは海と空と砂浜だけ。他には何もない。怖ろしいくらいに何もない。こんな風景、今まで見たことがない。
「感動で言葉も出ないようね、メルドちゃん」
「はい。海を見るのは初めてなんです。世の中にはこんなに広大な景色が存在するんですね」
出張初日、ボクら三人は転移門を使って
「感動が収まったところで別荘に案内するわ。ひとまず荷物を置いて一服しましょう」
一人に一部屋ずつ割り当てられた個室は寮部屋の十倍ほどの広さ。豪勢な内装と贅沢な調度品はまるで高級ホテルのスイートルームのようだ。
荷物を置いてラウンジのような応接室に戻ると、フェイとミエルダさんが果実入りドリンクを飲みながら
「メルドちゃん、お部屋はお気に召して」
「はい。王都のお屋敷と遜色ない部屋で驚きました。別荘だけでなくこの島全体も
「そうよ。
王国の華族は二種類ある。ひとつは叙位によるもの。王族に対して多額の寄付をしたり、軍事、産業、文化などにおいて目覚ましい業績を挙げたりした者は位階に叙せられる。その中でも従五位以上の位階を授与された者が華族と呼ばれるのだ。
もうひとつは伝統ある名家だ。そのほとんどは王国が誕生する以前から存在する領主であり、
叙位による華族は一代限りだが、名家による華族は当主が変われば位階は受け継がれる。領地運営は領主に一任されており基本的に王族は口出しできない。領地の経済、治安、開発、商業などは全て領主の仕事だ。
「この島も昔は
「あ、はい」
部屋に戻り水着に着替えて砂浜に降りる。黒服を着た
「やっぱり海はいいなあ」
広大な景色を眺めていると心まで広々としてくる。規則正しい波の音を聞いていると気持ちが落ち着いてくる。何事も
「メルド、お待たせ」
ようやく二人がやって来た。フェイはセパレートの水着だ。色は桃色。花柄のタンクトップとフリルのスカートがかわいい。五十才と言っても体形は子どもだもんな。よく似合っている。
「メルド君、せっかくの海ですし本日は水泳の修練をしませんか」
「ミ、ミエルダさん!」
驚いた。こんな風光明媚な場所に来てもなおボクを鍛錬させようとする、その心意気に驚いたのではない。水着姿に驚いたのだ。ビキニがはち切れそうなほどの豊満なボディは予想通りなので別段驚きはしないが、尻から生えているモノは驚嘆に値した。
「ミエルダさん、尻尾があるんですか!」
「はい。獣人族ですから」
「今まで一度も見たことがなかったんですけど」
「それはそうでしょう。隠していましたから」
こんな尻尾をどうやって隠していたんだろうと思うくらいフサフサしている。凝視していると左右にパタパタと揺れた。ミエルダさんが動かしているようだ。
「さっきからずっと見ていますけど、私の尻尾に何か付いていますか」
「いいえ。あのう、触ってもいいですか」
「えっ!」
常に沈着冷静で無表情なミエルダさんからは滅多に聞けない戸惑いの「えっ!」だ。尻尾は弱点なのだろうか。そうなると余計に触りたくなる。
「メルド、ミエルダの尻尾は気を付けた方がいいよ」
フェイが訳知り顔でこちらを見ている。別に尻尾を触るくらい悪いことじゃないと思うんだけどな。
「何に気を付けろって言うんだい」
「女子寮の大浴場に入っていた時、意地の悪そうな女の子がミエルダの尻尾に触ったの。そしたらその子、一瞬で吹っ飛ばされちゃったのよ。幸い湯船の中だったので大事に至らず済んだけど、この砂浜で一撃食らったら大ケガしちゃうかも」
「あの時は驚いてつい力が入ってしまっただけです。尻尾の動きは感情に左右されることが多いので」
「あ、ごめんなさい。尻尾に触るのやめます」
ボクは丁重にお断りした。そんな話を聞かされても触ろうとするヤツなんかいないだろう。しかしさすが獣人族だな。尻尾の筋肉まで鍛えているとは。
「あらあら砂浜に来てもまだお喋りしているの。早く海に入りましょう」
「う、
本日二度目の驚天動地だ。タマタマがはみ出しそうなブーメランパンツに驚いたのではない。
「とんでもないガチムチじゃないですか。どうやってそんな体を手に入れたんですか」
「
ということで長い話が始まった。
毎日が筋トレのような日々を過ごし、十五才を迎えたら王立武士団ブートキャンプに送り込まれてさらに鍛えられる。キャンプ終了後は単独無寄港世界一周航海を成功させることにより、ようやく次期当主の資格を得るのだ。
「つまり
「そうよ。こう見えてあたし結構強いのよ。冒険者階級は可だけど『海限定で良』の認定を得ているんだから」
だったらボクらの護衛なんて必要ないよな。と言うかむしろボクらが護衛してもらう立場じゃないか。ミエルダさんも海ではどれくらい実力を発揮できるかわからないし。
「
「いいわよミエルダちゃん。どちらが早くあの岬の突端まで行けるかでどう」
「承知しま、」
「スタート!」
話の途中で走り出す
「これは、やっぱり
二人は並んで泳いでいるが、ミエルダさんがクロールなのに対し
「ねえ、あたしたちも泳ぎましょう」
フェイが手を引っ張る。六月とはいっても日差しは強烈だ。汗で濡れ始めた肌を冷やしたいのだろう。それはボクも同感なのだが、
「あ、いや、ボクはここで休んでいるよ」
断った。海には入りたくないのだ。
「どうして。せっかく海に来たんだから泳ぎましょう」
「それが、実は泳げないんだ」
「ええー!」
言いたくなかったが仕方がない。そもそもボクは北国生まれの北国育ち。川はあったが渓流で、泳ぐには流れが速すぎた。沼はあったが下草が多く危険なので、近づくことさえ禁止されていた。泳ぎを覚える機会がまったくなかったのだ。
「ボクのことは気にしなくていいからフェイは泳いできなよ。こうして海を眺めているだけでも結構楽しいんだ」
「いいわ。じゃああたしが泳ぎを教えてあげる」
「えっ、でもフェイに悪いよ」
「いいから、早く」
「わ、わかったよ。よろしくお願いします」
図らずもフェイに泳ぎを習うことになってしまった。さらに戻ってきたミエルダさんと
「メルドちゃん、こんなにもの覚えが悪い子だったのね。さすがのあたしもビックリよ」
「十日かけても催便意術を満足に習得できなかったのです。当然の結果と言えましょう」
「人には誰しも得手不得手があるもの。気を落とさないでねメルド。この浮輪を使って泳ぎましょう」
まったく泳げるようにならなかった。フェイの優しい言葉が身に染みる。やっぱりいい子だな。
「午後はヨットクルーズを楽しみましょう」
豪華海鮮料理の昼食で腹を膨らませて、しばしの昼寝を楽しんだ後はヨットに乗せてもらうことになった。外洋はちょっと怖いけど救命胴衣を着けているからひとまず安心。操縦はもちろん
「どう、気持ちいいでしょ」
「はい。カモメになって海を飛んでいるような気分です」
馬車では味わえない解放感と疾走感にすっかり酔いしれてしまった。ボクらの後を追って来る
「前方に何か見えますね」
ミエルダさんが遠くを見つめている。ボクには何も見えない。
「あら、本当ね。何かしら」
「まるで噴水のように見えます。何でしょうか」
「ま、まさか……ううん、間違いないわ!」
「緊急事態『甲』発生! 直ちにふんにょーらぼへ連絡。屋敷と別荘の転移門始動準備。急いで!」
「何かあったんですか?
「島へ戻るわよ。みんな、救命胴衣を膨らませて」
「ですからどうしたんですか。なぜ戻るんですか」
「あの噴水は警戒放屁よ。ヤツは水面に浮上する前に尻を上に向けて屁をするの。海上の安全を確認するためにね」
「え、それってまさか」
「そのまさかよ。階級『優』の化け物、モグリ海豚ちゃんが出たのよ。あり得ない。五年前に出たばかりなのに」
「出現しました!」
ミエルダさんの大声とともに大瀑布のような爆音が響き渡った。水しぶきの収まった海面には黒い物体が浮いている。
「あ、あれがモグリ海豚」
巨大すぎて距離感がつかめない。ヨットは向きを変えて走り出した。護衛官を乗せた手漕ぎ船とともに島へ向かう。
「追ってきます」
近づくにつれてモグリ海豚の姿はますます大きくなる。時々海上に姿を現す尾びれの幅はこのヨットの全長とほぼ同じだ。
「ダメ、逃げられない。覚悟を決めて!」
「みんな、無事!」
ヨットも手漕ぎ船も横倒しになっている。モグリ海豚の起こした大波で転覆してしまったのだ。
「私は大丈夫です」
「あーびっくりした。死ぬかと思った」
「ボクも何ともありません。救命胴衣のおかげで溺れずにすみました」
「よかった。ここからは泳いで島まで帰りましょう。ひとつに固まるよりバラバラのほうがいいわ。海豚ちゃん、姿が見えないから潜っちゃったみたいだけど何をしてくるかわからないから要注意よ」
「はい」
午前中の水泳教習を思い出して手足を動かす。遅いながらもなんとか進んでいる。護衛官の三人は
「メルド君、注意してください! 下から何か来ます!」
ミエルダさんの声は最後まで聞こえなかった。再び轟いた爆音とともにボクの体は空高く突き上げられていた。
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