東の森で捕まえて

 予定通り東の森へは翌日の午後到着した。出迎えてくれた部族長の屋敷にはワクチン接種のための場所が用意されていた。


「ようこそ王都の方々。大した持て成しはできぬが、ここを我家と思って好きなように使ってくだされ」

「我々のために場所を提供していただき感謝しております。明日より予防接種を始めるつもりです」


 タカノメさんの都合もあって滞在期間は最長でも二週間までと決められていた。接種後一週間の観察期間が必要なので接種は六日目で打ち切りとなる。用意した三百のワクチン全てが初日に接種されてしまえば、滞在九日で王都に帰ってしまうことになる。糞収集がそれまでに終わらなければボクら三人は駅馬車で帰らなければならない、とのことだった。


「帰りも飛行船で帰りたいからなあ。フェイ、頑張ろう!」

「任せて!」


 その日は荷降ろしと会場設営で終わってしまった。フェイは親戚の家で、ボクらは指定された宿泊所で夜を過ごした。


 翌日からワクチン接種が始まった。住民には事前に告知していたこともあって朝から大勢のエルフたちが会場にやってきた。


「みなさーん、こちらが会場です。並んでくださーい」


 会場の入り口ではフェイが愛嬌を振りまいている。ボクも列に並びたくなった。


「ほら、あれがフェイだよ」

「コロリから助かったんだってね。きっと女神様に愛されているんだよ」


 フェイの人気は大変なものだった。どうしてタカノメさんがフェイの同行を希望したのか、その理由がやっとわかった。不死の病を克服したフェイを目の当たりにすれば予防接種への嫌悪感も薄らぐはず、そう判断したのだ。そしてその判断は見事に的中した。接種会場はふんにょー祭のように賑わっている。


「メルド君、いつまでフェイを眺めているのですか。ピーピーの下調べにいきますよ」

「あ、はい」


 フェイは最初の三日間だけ接種会場を手伝うことになっていた。訓練と糞収集は四日目からになる。それまでボクらにできることと言えば糞収集の難易度を確認し、効率よく業務を遂行できるように準備しておくことくらいだ。


「初めまして王都の方。行きましょう」


 森の案内役を引き受けてくれたのはフェイの同級生だ。獣人のミエルダさんとも普通に接してくれる。若いエルフは種族の違いをあまり気にしていないようだ。


「いました。あれがピーピーです」


 森の中を四半刻ほど歩いた距離にある湿地帯に一羽の鳥が突っ立っていた。思ったより大きい。資料には全長二十寸と書いてあったのでカラス程度かと思っていたが、二倍くらいありそうだ。


「ピーピーは個体差が激しいのです。あれはかなり大きいですね。十寸くらいの小さいヤツもいます」


 大きいほうがたくさん糞をするだろうし、できれば大きなピーピーで糞を収集したいものだ。ミエルダさんがそろそろと近づく。ピーピーは突っ立ったまま動かない。尻の下に容器を置く。逃げようともしない。催便意術を使う。派手な音をたてて脱糞した。


「これなら初心者のフェイでも楽に収集できると判断します。それにしてもこの鳥、まったく動きませんね」

「確実に魚を捕獲するために気配を消しているのではないかと言われ、あっ!」


 何かがミエルダさん目掛けて飛んできた。石だ。野生のカンで素早くかわしたが当たれば大ケガをしていただろう。案内役のエルフが大声を張り上げた。


「誰だ! どこにいる!」


 ――よそ者は出ていけ。森に来るな。


 それは森全体から響いて来るような声だった。術を使って声の出所を隠しているのかもしれない。


「この二人は我らを病から救うためにここへ来た。このような振る舞い、失礼であろう」


 ――よそ者の手は借りぬ。出ていけ。


 声はそれっきり聞こえてこなかった。案内役のエルフは唇を噛み締めた。


「お詫びします。一万才を超えるハイエルフたちの中には過激なエルフ至上主義者が多いのです。きっと彼らの仕業でしょう。同族の無礼をお許しください」

「気にしていません。らぼに入所するまでこんなことは日常茶飯事でしたから」


 ミエルダさんの言葉に胸が痛む。彼女がいつも無表情で滅多に感情を露わにしない理由が少しわかった気がした。


「石を投げられたんだって。ごめんね。族長に言い付けておくから許して」


 その夜はフェイも平謝りだった。アルピニイさんの忠告に従って、ミエルダさんは同行させないほうがよかったと思わないでもなかった。


「ところで接種はどう? 進んでる?」

「ううん、全然」


 詳しく聞いて驚いた。今日一日で五十人ほどしか接種していないと言うのだ。


「集まったのはみんなあたし目当てだったみたい。獣人の作った薬なんか打ちたくないって大部分がそのまま帰ってしまうの」


 ため息しか出ない。タカノメさんもさぞかし意気消沈していることだろう。長寿ゆえの頑固さなのだろうか。何百年にも渡って蓄積されてきた考え方を変革するのは容易ではないようだ。


「さあ、今日から頑張るわよ」


 四日目からフェイの訓練と糞収集が始まった。糞収集は思ったよりも簡単なので最初の三日間は一日中訓練に当て、四日目から午前訓練、午後糞収集と振り分けることにした。接種状況を考えれば二週間滞在はほぼ確実だし、糞収集もその気になれば二日ほどで終わりそうなので、かなり余裕のある日程だ。ただ特化戦闘術は専任の講師が必要なので、これはらぼに戻ってから訓練することになった。


「ボクでも訓練修了までに十日かかったんだ。体力のないフェイはどれくらいかかることやら」


 ほくそ笑みながら二人の訓練を眺めていたボクは直ちに自分の考えを改めなくてはならなくなった。フェイはミエルダさんの特別プログラムを余裕でクリアしていくのだ。そして驚くべきことにたった二日で修了試験までクリアしてしまった。


「一月から特訓した甲斐がありましたね」


 どうやら本採用になる前から密かに訓練を開始していたらしい。ふんにょー祭の特別イベントで足を引っ張ったのがよほど悔しかったと見える。


「これならわざわざ東の森で訓練する必要はなかったんじゃないですか」

「はい。同行する理由付けのために訓練を持ち出しただけです。どうしてもメルド君とフェイを二人っきりにさせたくなかったので」


 少しも悪びれることなくこんな言葉を吐くミエルダさん。獣人心はよくわからないな。


「それでは本日より任務を開始します」


 次の日からピーピーの糞収集が始まった。フェイの防御服もボクと同じ革製だが外見はミエルダさんの防御服によく似ていてカッコいい。女性用はこのタイプなのだろう。


 フェイがいるので案内人は付けず三人で森の中を進む。ほどなく湿地帯に到着した。今日は大小さまざまのピーピーが十羽ほど突っ立っている。


「あの鳥の腸内細菌から美味しい飲み物ができるなんて、王都に行くまでは想像もできなかったなあ」


 容器を持って近づくフェイ。すでに催便意術を習得しそのレベルも高い。簡単に収集できるだろう。


「楽勝楽勝!」


 収集は順調に進んでいるようだ。これなら今日中に二斤集めてしまうかもしれないな。


「メルドー、容器がいっぱいになったから新しいの持って来てー」

「わかった」


 立ち上がろうとしたボクをミエルダさんが制した。


「私が持って行きます。メルド君とフェイを二人っきりにさせたくないので」


 やはり獣人心はよくわからない。まあ教育係はミエルダさんだし任せるのが筋だろう。


「一番大きな容器を持っていきますね」


 フェイに向かって歩いていくミエルダさん。その後姿が突然くの字に折れた。


「えっ!」


 何が起きたのかわからなかった。よく見るとミエルダさんの右腕に何かが刺さっている。


「あれは……矢だ」

「ミエルダ!」


 フェイと僕が走り出したのは同時だった。だがミエルダさんの声がそれを制した。


「来ないでください。狙いは私です。あなたたちでは避け切れない。近づかないで」


 二の矢が知らぬ間に足元の地面に突き刺さっていた。今度はかろうじて避けられたようだ。見えない。音も聞こえない。なんという射出速度。これがエルフの弓術か。


 ――帰れ。森の生き物に手を出すな。よそ者は帰れ。


 数日前と同じ声が湿地帯に響く。今度は本気で命を奪うつもりかもしれない。


「やめてください。ミエルダはあたしの友人です。エルフの友人です!」


 フェイが泣き声で叫んでいる。ボクは何もできなかった。悔しいが見守ることしかできない。

 ミエルダさんは沼地の中心部へ移動していく。矢によって足場の悪い方向へ追いやられているのだ。今でさえ避けるのはギリギリなのにこれ以上深みに足を踏み入れればただの標的になってしまう。ダメだ、もう我慢できない。


「今行くよ。待ってて」

「いけません。来ないでください。あっ!」


 ミエルダさんの体が傾いた。右半身が沼の中へ消えた。深みに足を取られたようだ。矢が突き刺さる。


「ミエルダさん!」


 ボクが叫ぶのとほぼ同時に大きな水しぶきがあがった。爆音とともに沼の中から出現した何かがミエルダさんの体に覆いかぶさっている。


「あれは、亀の甲羅か」


 矢は亀の甲羅に当たり全て跳ね返されている。しばらく後に再びあの声が聞こえた。


 ――命が惜しくば森から去れ。よそ者は要らぬ。


 矢の攻撃が止んだ。ボクとフェイは沼の中に入りミエルダさんの体を草地まで運んだ。


「ひどい」


 初撃の右腕の矢は貫通していた。左肩にも刺さっていたがこちらは防御服の肩当てのおかげで浅かった。


「油断しました。教育係、失格ですね」

「無駄口はやめて。メルド、救急箱を持って来て」

「うん、わかった」


 荷物の中から救急箱を取り出して戻ってくるとフェイが治癒術を使っていた。


「待っててね。すぐ治してあげるから」

「ありがとう、フェイ」


 後はフェイに任せるしかない。手持ち無沙汰になったボクは沼地を見た。亀の甲羅が浮かんでいる。


「あいつ、ミエルダさんをかばってくれたのか」


 気になったボクは沼の中に入って持ち上げてみた。異常に軽い。直径一尺もある大亀の重さとは思えない。これなら指一本で運べそうだ。


「さっきはありがとな。おまえのおかげで助かったよ」


 亀を抱えて戻るとフェイが包帯を巻いていた。


「どうだい」

「消毒と止血は完了したわ。傷口もふさがったし、もう大丈夫だと思う。ところでその亀、何?」

「見ていなかったのかい。ミエルダさんの命の恩人だよ。何かお礼をしなくちゃ……ちょっと待て、これは」


 いつの間にか右手が真っ赤に染まっている。慌てて亀を地面に下ろした。なんてことだ、頭が潰れている。甲羅に引っ込める余裕もなく射抜かれたのだろう。


「フェイ、頼む」

「やってみる」


 両手を亀の頭にかざし詠唱を開始するフェイ。両手の中に灯る淡い光。しかしその輝きは弱々しい。ミエルダさんのために力のほとんどを使ってしまったのだろう。


「ダメ。今のあたしには治せない。ごめんね亀さん」


 嘆きながら閉じてしまったフェイの両手を握り締めた。


「メルド?」

「この亀はミエルダさんの命の恩人だ。絶対に助けなくちゃ」

「でも、あたしにはもう力が」

「ボクも手伝うよ。二人でやってみよう」

「うん」


 フェイが再び両手を開いた。尻穴に力を入れる。思い出せ。ウイルスに打ち勝ってフェイを救ったあの時の自分を。あれが治癒術の一種ならこの亀のケガを治すくらい容易たやすいはずだ。


「うおおお」


 尻穴が燃え始めた。そうだ、これだ。これこそが祝福された尻穴の力。熱い、尻穴が焼けるように熱い。


「傷病即滅、苦痛即消、治癒祈願」


 両手の中に輝きが生まれた。フェイの作る輝きとひとつになって亀の頭を包み込む。


「やったわ。治せた」


 輝きが消えた時、亀の頭は完全に治癒していた。できたんだ。女神シリアナ様、我にこのような尻穴を与えてくれたことを心より感謝します。


「見て、メルド」


 亀の甲羅が光り始めた。まばゆいばかりのウンコ色だ。と同時に亀の体が浮かび始めた。ふわふわと空に舞い上がっていく。


「あの亀、フワフウだったのね」


 ウンコ色の光を放ちながら昇天していく楕円形の輝き。神々しさすら感じさせる光景だ。その姿はまさしく空飛ぶウンコ。尻穴教の神獣と呼ぶに相応ふさわしい。ハイエルフたちが攻撃を止めたのは亀がフワフウであることに気づいたからなのだろう。


「そうだ、お願い事をしなくっちゃ」


 フワフウは吸い込まれるように青空の中へ消えていく。ボクらは見えなくなるまで空を見上げていた。


「ねえメルドは何をお願いしたの」

「それは……フェイと同じ願いだよ」

「えー、ずるい。じゃあミエルダは?」

「フェイと同じです」

「二人ともずるい!」

「そう言うフェイはどんな願いをしたんだい」

「もちろんメルドとミエルダと同じ願い!」


 ボクらは顔を見合わせて笑った。ミエルダさんを救ってくれた神獣への願い、それはひとつしかない。ミエルダさんがつらい思いをせずに済むような世の中はいつか必ずやってくるはずだ。

 フワフウが消えていった青空をボクはもう一度見上げた。いつも見ているらぼの青空と少しも変わらなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る