本当の目的

 何もかもが取り越し苦労だった。タカノメさんの話を聞いてボクもミエルダさんもようやく安心できた。だがそれも仕方のないことだろう。一度悪いことが起きると二度目もあるのではないかと危惧し、思考は悪い方へ引っ張られる。フェイの通院、半年早い仮採用、故郷である東の森への同行依頼、無期限の任務期間。これらの事実を前にしたボクとミエルダさんが最悪の事態を想像してしまうのは無理からぬことだ。


「えっ、もしかしてあたしの病気が再発して今度は助からないから故郷で最期を過ごさせてあげるために出張命令が出たとか、そんなこと思っていたの? 二人とも考えすぎよ、ふふふ」

「笑うことないだろ。本当に心配したんだから」

「でもただの取り越し苦労で安心しました。これで心置きなく本気で訓練を開始できます」


 本気モードのミエルダさんの訓練か。フェイにとっては心配させたままのほうがよかっただろうなあ。


「君たちには要らぬ気遣いをさせてしまったようだな。しかしこれで不安は解消できただろう」


 タカノメさんはフェイがらぼの病棟に入院している段階で予防法について検討を始めていたらしい。ワクチンの開発だ。


「弱毒化した病原体を接種して免疫を作り重篤化を防ぐ、それがワクチン療法だ」


 病原体が細菌である場合のワクチンはすでに開発されていた。しかしウイルスのワクチン開発は未だ成功していなかった。そこで着目したのがフェイのコロリウイルスだ。完全に死滅したと思っていたがそうではなかった。不活性化したままで体内に残っていたのだ。この残留ウイルスは非常に扱いやすく、これを使えば容易にワクチンが開発できると判明するまでにさほど時間はかからなかった。


「アルピニイに頼んで十月かららぼに仮採用させたのも、週に一度の通院をフェイに命じたのも、全てはワクチン開発のためだった。そのおかげで先月ようやく完成した。これに関してはフェイにもアルピニイにも教えてはいない。ウイルス自体が極秘事項だしワクチンとなればなおさらだからな。しかしその結果、君たちに余計な憶測をさせてしまったようだ。すまなかった」

「いえ、ボクらが先走りしすぎただけですから。でもアルピニイさんにまで秘密にすることはなかったんじゃないですか」

「彼女は口が軽い。教えられるはずがない」


 言われてみればその通りだ。さすが長く付き合っているだけのことはある。


「でもそんなお薬ができたのなら、もう東の森のみんなはあの病気を恐れなくてもよくなるのね。嬉しいなあ」

「そうだな。今回は三百人分ほどしか用意できなかったが量産体制が整えば来年中に全員の接種が完了するだろう」


 笑顔のフェイとタカノメさん。ミエルダさんは無表情だが心の顔は笑っているはずだ。でもボクにはもうひとつ、気掛かりがあった。


「タカノメさん、フェイは本当に再発しないんですか」


 タカノメさんの鋭い目がこちらに向けられた。尻穴が緊張する。


「なぜそんなことを訊く」

うんこ小路うじさんが言っていたんです。フェイには再発の恐れがあるらしいって」

「やれやれ。またあの華族様か」


 ウンザリだと言わんばかりに顔をしかめるタカノメさん。うんこ小路うじさんのお騒がせは一度や二度ではないようだ。


「誰もそんなことは言っていない。恐らく研究所の極秘ファイルに無断アクセスしたのだろう。王族と従二位以上の華族には全てのファイルを閲覧する権限がある。興味本位で覗き見たのだろうな」

「でもその文書に再発の恐れがあるって書いてあったのは事実なんでしょう」

「一部だけ読めば確かにそうだ。だが全体を読めばそんな意味ではないことがわかるはずだ。考えてみたまえ。不活性化しているとはいってもウイルスが残留しているのだ。再発の恐れが絶対ないとは言えぬだろう。この飛行船だって空を飛んでいる以上、絶対墜落しないとは言えぬ。それと同じだ」

「じゃあフェイの再発の恐れは」

「ないと言っていい。少なくともこの飛行船が墜落する確率より遥かに低い。実際、フェイの体内残留ウイルスは徐々に減少しつつある。今年中には消滅するだろう」


 胸を撫でおろした。うんこ小路うじさんの言葉は無闇に信じちゃいけないな。


「少し長話をしすぎたな。私はこれで失礼する」


 タカノメさんはキャビンを出て行った。

 それからは各自思い思いの時を過ごした。無料の飲料やお菓子を楽しんだり、お喋りしたり、窓の外を眺めたり。そして昼が過ぎ、夕食を終え、そろそろ眠ろうかという時にタカノメさんから声を掛けられた。


「メルド、話がある。一人で私の部屋に来てくれ」


 再び尻穴が緊張する。ボクだけを呼び出すなんて何の用事だろう。ビクビクしながら部屋に入ると前置きもなしに話が始まった。


「フェイの再発についてだが正確さを欠く話をしてしまった。フェイとミエルダには教えたくなかったのでね」

「どういう意味ですか」

「再発の確率は条件によって変わるのだ。その条件とは君だよ、メルド。君次第で再発の確率は飛躍的に上昇する」


 言っている意味が全然わからなかった。フェイの病気とボクがどう関係するというのだろう。わからないから何も言えない。沈黙しているとタカノメさんが再び話し始めた。


「君はウイルスを不活性化させた。そのおかげでフェイを死の淵から連れ戻すことができた。その原理はわからないしなぜそんな術が使えたのかも不明だが、君にウイルスを操る能力があるのは間違いない。それはつまり逆も可能ということだ。君がその気になればウイルスを再活性化させることも可能なはずだ。フェイを死の淵から救ったのなら再びフェイを死の淵に落とすことも君には可能なのだ」

「そ、そんなこと……」


 できるはずがない、とは言えなかった。ボクの尻穴はタカノメさんの言葉を肯定していた。


「これは恐るべき能力だ。隷属の呪符を知っているだろう。逆らえば相手に苦痛を与える呪符。君の能力はこれと同じ、いや、これを遥かに上回る。相手の脳全体にウイルスを仕込んだと考えてみたまえ。脳のどの部位がどのような役割を担っているか、それが解明できれば君は相手の行動や思考を意のままにできる。怒りの部位に仕込んだウイルスを活性化させて怒りの反応を奪い取れば、相手は決して怒らなくなる。恐怖の部位に仕込んだウイルスを活性化させれば、相手は恐怖を忘れて死地に突撃するだろう。細胞より微小なウイルスを認識できる能力を持った君なら造作もないことだ」

「可能性だけで物事を判断するのはどうかと思います。相手を意のままに操るなんて非現実的すぎますよ。脳の働きが解明されたとしてもそれを細胞レベルで記憶するのは無理でしょう」

「そうだな。寿命の短い人族では到底覚えきれるものではない。君が長寿のエルフ族でなくて安心したよ」


 言葉とは裏腹にタカノメさんの目は少しも安心していなかった。まるで化け物を見ているかのような目付きだ。


「タカノメさんはボクを買い被りすぎています。催便意術を覚えるのですら大変だったんですよ。ウイルス不活性化術は偶然覚えてしまいましたが、その逆の活性化術なんて一生かかっても覚えられないと思います」

「君はまだ自分の本当の力がわかっていないようだね。病気から回復したフェイに突然治癒能力が備わったのはどうしてだと思う」


 無言で首を横に振る。見当も付かない。


「君が与えたんだ。フェイの治癒能力はウイルス不活性化の余波とでも言うものだろう。他者の能力を引き出す能力まで持っているんだよ、君は」


 タカノメさんがテーブルにグラスを置いた。琥珀色の液体は果実酒だろうか。


「細菌視認術を使ってみたまえ」


 言われるままに液体を視認する。見えてくる輝点。ありふれた細胞ばかりだ。


「特に有害な細菌は含まれていないようですが」

「よろしい。ではウイルスを見てみたまえ」


 尻穴に力を込める。ウイルス視認術は尻穴を燃やさなければ発動しないのだ。


「うおおお」


 見えてきた輝点は少ない。ほとんどが不活性化したウイルスだ。


「特に問題はないようですが」

「ありがとう。やはり私の仮説は正しかったようだ。メルド、君の術を発動させているのは魔力でも神力でもない。腸内細菌だ」

「なぜそんなことがわかるんですか」

「術を発動している間、君の腸内を視認させてもらったのだ。そして術の発動とともに腸内細菌が変化することを確認した。同じ細菌でありながら発色や輝度が不規則に変調する。このような現象は通常の腸内細菌には決して起こらない。アルピニイから聞いている。君はこれまで多くの術を身に着けてきたのだろう。微生物視認術、ウイルス不活性化術、催便意術、怪力剣技術。それらの術を会得する時には必ず尻穴が熱を帯びていたはずだ」


 無言でうなずく。


「らぼに提出された君の肛紋を見せてもらった。尻穴教のシンボルである菊の御門と完全に一致していた。君の尻穴は祝福されている。女神シリアナの力を宿した尻穴ならば腸内細菌を自らの意思で操作できても不思議ではない」

「それならいっそのことボクのウンコを調べてみればどうですか。特殊な腸内細菌かどうかすぐわかるでしょう」

「調べたさ。らぼに依頼して厠棟で回収された君のウンコはほぼ毎日調査されている。だが特殊な腸内細菌は今のところ発見されていない。排出された瞬間に死滅するのか、あるいは何の変哲もない細菌が尻穴の力によって特殊能力を発揮するのか、その理由はまだ解明されていない」

「ボクが特殊だなんて、そんな、ありえない……」


 頭の中が混乱してきた。タカノメさんから与えられる情報量が多すぎて処理しきれない。もうこれ以上何も見たくない聞きたくない。目を閉じ耳をふさいでしゃがみこんでしまった。


「すまない。一度にたくさんのことを話しすぎてしまったようだ。こうして君と二人だけで話せる機会は滅多にないのでね。今の話は忘れてもらって構わない。どのような能力を持っていようと君はこれまで通り生きていくしかないのだから。ただひとつだけ覚えておいてほしい。君の中に潜在する能力は全ての種族を超越している。神の領域に到達していると言ってもいいほどだ。忘れないでくれ」

「はい」

「ではもうおやすみ。明日の午後には東の森へ着く。ゆっくり休んでおきたまえ」


 タカノメさんの部屋を出た。とにかく今は眠ろう。あれこれ思い悩んだところで状況は何も変わらない。ボクがボクであることに変わりはないのだから。


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