東の森の神獣

 飛行船が浮かび上がった。初めての体験だ。

 まるで高級ホテルのように豪華な飛行船のキャビンに招かれたボクたち三人は窓にかじりついた。見えている地面はどんどん遠ざかり、それにつれて何もかもがどんどん小さくなり、その代わりに遠景はどんどん広がっていく。フェイとミエルダさんも窓にへばりついて景色を眺めている。


「飛行船の感想はどうかね」


 タカノメさんの声は優しいが目付きは鷹のように鋭い。王国で唯一人のウイルス判別能力を持つ男。その眼光は何もかも見透かすような輝きを放っている。今日から始まった東の森への出張業務。タカノメさんほど心強い同行者はいないだろう。


「素晴らしいです。科学研究所ではこんな乗り物まで開発しているんですね」

「現国王は魔力や神力に頼らない技術に関心があるようでね、人も予算も大盤振る舞いしてくれる。すでに二百五十才の高齢だがまだまだ長生きしてほしいね」


 今の国王はハーフエルフだ。人族に比べれば段違いに長寿だがそれでも三百才程度の寿命しかない。ふんにょーらぼ創立の立役者だし、ボクが生きている間は国王であり続けてほしいなあ。


「じゃあこの飛行船も魔力を使わずに飛んでいるんですね」

「そうだ、と言いたいが推進機関の一部に魔力を使っている。浮力は純粋に自然界の力だ。北西部で採掘される天然ガスから分離精製したヘリウムガスを使っている」


 ふんにょーらぼに負けず劣らずの技術力だな。ボクらも頑張らなくちゃ。


「まるで自分がフワフウになったみたい」


 フェイは相変わらず窓の外を眺めている。空からの景色がよっぽど気に入ったのだろう。


「フワフウって何だい、フェイ」

「東の森に住んでいる神獣。亀なのに短命で五百年くらいしか生きられないの」


 五百年生きれば相当な長寿だと思うけどな。エルフ族の感覚では短命なのか。人族の寿命なんて泡みたいなものなんだろうな。


「フワフウは自分の死が近づくと空に浮かび上がるの。そして尻穴教の聖地コウモン山の頂上へと帰っていくの。空を飛ぶフワフウは幸運の象徴。見つけることができればひとつだけ願いを叶えてくれるのよ」

「へえ~、面白い昔話だね」


 フェイがこちらを向いた。あからさまに不機嫌な表情をしている。


「メルド、ひょっとしてフワフウのこと、童話や伝説と同じ類の話だと思ってない?」

「えっ、違うの。だって空を飛ぶ亀なんて聞いたことも見たこともないし」

「滅多に見られないから有難いのよ。あたしも見たことはないけどお年寄りの中には実際に見た人もいるのよ」

「鳥を見間違えたんじゃないのかな」

「そんなことあるはずない! フワフウは東の森の守り神なんだから」

「メルド、自分の常識だけで判断してはいけないよ」


 タカノメさんの声は先ほどと違って厳しさが感じられる。間違っているのはボクのほうなのか。ちょっと意地になりすぎたかもしれない。


「フワフウって、もしかしたら飛び亀のことではないですか」

「ミエルダさん、知っているの?」

「はい。図書館の古文書で読んだことがあります。コウモン山の山頂近くでは極まれに空を飛ぶ亀に出会うことがある。そのほとんどはすでに息絶えており、神官たちは女神シリアナ様の使徒として手厚く葬っている、そう書かれていました」


 何てことだ。知らなかったとは言えフェイに失礼なことを言ってしまった。


「ごめんフェイ。悪気はなかったんだ。ただ信じられなくて」

「わかってくれたのなら許してあげる」


 にっこり笑うフェイ。やっぱりいい子だな。


「私も古文書を読んだ時は半信半疑でした。まさか実在していたとは驚きです。それにしても不思議な亀ですね。やはり神獣なのでしょうか」

「いや、飛び亀の謎についてはすでに解明されている。夢を壊してしまうかもしれないが、話そうか」


 ボクとミエルダさんは二つ返事で了承した。フェイは少し迷っていたが好奇心は抑えられなかったようで結局タカノメさんの話を聞くことになった。


「ふんにょーらぼの開発事業部が発足して間もない頃だ。東の森出身の職員が飛行術で移動中に偶然飛び亀に遭遇したんだ」


 それが東の森の守り神フワフウであることは職員にもわかっていた。神聖な生物に触れることなど以ての外だ。だが科学的興味が信仰の力に勝ってしまった。職員は飛び亀をらぼに持ち帰り詳しく調査した。その結果、空を飛ぶ理由は腸内細菌にあることが判明したのだ。


「飛び亀の腸内細菌は水を分解して水素を発生させ、その水素を融合してヘリウムガスを生成する能力を持っていたんだ。生成されたヘリウムガスは甲羅の裏にある空気袋に貯蔵される。その量は年月の経過とともに増えていき浮力もまた増大していく。特に瀕死の重傷を負ったり、老衰によって自ら死を悟ったりした時には、生成される量が一気に増えるのではないかと考えられている。そして浮力が体重を超えた時、飛び亀は浮き上がり、南東の風に乗ってコウモン山へと流されていく。わかってしまえば実に単純な話だったというわけだ。エルフ族の神獣をおとしめる気はなかったのだが、気分を害したのなら謝るよ、フェイ」

「いいえ気になさらないでください。一番大切なのは真実を知ることですから。それにその程度のことでフワフウへの畏敬の念は揺るぎません。フワフウはずっとフワフウのままです」


 東の森のエルフの中でもフェイはとびきり頭が柔らかいんだろうな。獣人族のミエルダさんとは大親友だし、古くからの因習に囚われることもない。


「しかし妙ですね。それほど有益な腸内細菌が発見されたのなら、もっと活用されてもよかったのではないですか。ヘリウムは入手が難しい貴重な資源なのですから」

「君は鋭いなミエルダ。もちろん役立てようとした。だができなかった」


 その最大の理由は生成効率の悪さだ。飛び亀の腸内細菌が生成するヘリウムの量は、五百年かけて亀一匹を浮上させる程度でしかない。あまりにも量が少なすぎるのだ。

 さらに飛び亀を工業的に利用しようとすれば、神獣として崇めている東の森のエルフたちの反感を買う恐れもある。結局、飛び亀の腸内細菌に関する事項は完全に封印され極秘扱いになってしまった。


「今となってはらぼの職員でもほとんど知らないだろう。君たちも今の話は忘れてくれ」

「タカノメさんはどうして知っているんですか」

「まだらぼの職員だった時にアルピニイから聞いたんだ。彼女は口が軽いからな。まあ、こうして君たちに話している私も口が軽いという誹りを受けそうではあるが」


 極秘事項でも平気で喋ってしまうのか。アルピニイさんの口の軽さは国宝級だな。タカノメさんをそれだけ信用しているってことでもあるんだろうけど。


「飛び亀のお話、大変興味深く聞かせていただきました。ところでタカノメさん、まだ大事なお話を伺っていないと思うのですが」


 いつもは抑揚のないミエルダさんの口調が真剣味を帯びている。そうだ、まずはその話を聞かなければ何も始まらない。


「大事な話? 何かね」

「今回東の森へ行く目的です。フェイを同行させて何をするつもりなのですか」

「ああ失礼。まだ話していなかったな。医療行為だ」

「医療? どんな病気に対する医療ですか」

「フェイが罹患したコロリウイスル。その予防を目的とした医療行為だ」

「コロリ、ウイルス……」


 数カ月前の記憶がよみがえる。フェイを死の淵まで追い詰めた悪魔の病原体。その予防法が見つかったと言うのか。

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