いきなりの初任務
週明け、事務室の自分の席でため息ばかりついていた。昨日総合病院と病院付属の微生物研究所へ行った。完全な無駄足だった。病院では「守秘義務がありますので」の一言で追い返され、研究所では「事前連絡無しでは所長との面会はできません」の一言で追い返された。社会の厳しさを身をもって実感させられた休日になってしまった。
そして今日からはフェイの収集課研修が始まる。教育係はボクと同じでミエルダさんが担当するものだと思っていたのだが、
「何も言われていません」
とのことだ。そのフェイはついさっき呼び出しを受けて課長室に行ってしまった。
「きっと今日からの研修について説明を受けているんだと思いますよ。あっ、帰ってきた」
噂をすれば影。フェイが事務室に入ってきた。彼女の席はボクの右隣。ちなみに左隣はミエルダさんだ。
「フェイ、何の話だったの。収集課の研修?」
「ううん。研修は後回しで初任務を命じられちゃった。明日からだって」
「ええっ!」
ボクが驚きの声を上げるのは当然だがミエルダさんの驚きの声は初めて聞いたような気がする。
「詳しく話して」
「うん」
フェイの話は信じがたいものだった。内容は東の森に生息する鳥、ピーピーの糞収集。最低収集量二斤。フェイ一人で参加。期間は無期限。
「課長室に行ってきます」
フェイの話が終わるやミエルダさんが席を立った。当然ボクも席を立つ。驚いた様子でフェイも付いてきた。新人教育プログラムで厳しい訓練に耐えたボクでさえ初任務は手に余るものだった。何の訓練も受けずにいきなり一人で糞収集なんて無理に決まっている。しかも期間は無期限。らぼに戻って来るなと言っているようなものだ。
「おやおや三人でお出ましかい。まあそこに座んな」
ボクらが来ることはアルピニイさんもわかっていたようで快く迎えてくれた。もちろん椅子に座ってなどいられない。デスクの前に立ったままミエルダさんが怒りを吐き出した。
「納得できません。訓練もなしに新人を任務に就かせる理由を教えてください」
「あんたたちには関係ないだろ、と言いたいところだけど教えてやるよ。微生物研究所からの要請なのさ。所長のタカノメが東の森に行くんだ。フェイも一緒に行ってほしいんだけど、らぼの職員を同行するという形にはしたくないらしいんだよ。それでわざわざ任務を作ってフェイはらぼの業務で東の森へ行くという形にしてやったのさ」
「そんな要請、突っぱねてやればいいのではないですか。らぼがそこまで譲歩する必要はないでしょう」
「そうもいかないんだよ。こっちも向こうも王立の研究機関だけど格は向こうの方が断然上なんだ。開発課や研究課はかなり世話になっているからね。よほどのことがない限り要請は断れないのさ」
「訓練終了まで待ってもらうことはできないんですか」
「すでに待ってもらっているんだよ。向こうの希望は四月一日開始だったからね。これ以上は待たせられない」
「そう、ですか」
さすがのミエルダさんも折れるしかないようだ。これはもうアルピニイさんに談判してどうにかできるような案件ではない。フェイの任務を中止もしくは延期すれば微生物研究所の計画が根底から覆されてしまうのだろう。受け入れるしかない。しかし簡単には諦められないので今度はボクが食い下がった。
「わかりました。でもフェイひとりに行かせるのは荷が重すぎます。せめてボクを同行させてくれませんか」
「いいえ、私とメルド君の二人を同行させてください」
ミエルダさんが横から口を出してきた。まあボクよりミエルダさんのほうが適任ではあるからな。
「タカノメからはフェイひとりだけって言われているんだけどねえ」
「フェイはまだ催便意術を習得していません。任務の期間は無期限なのですし、東の森で訓練と任務を並行して行ってはどうでしょう。それくらいの要求なら飲んでいただけるのではないですか」
さすがのアルピニイさんも困り顔だ。中間管理職ってホントつらいよね。
「ああ、わかった。タカノメと交渉してやるよ。三人とも事務室で待ってな」
「ありがとうございます」
深々とお辞儀をして課長室を出た。事務室に戻ると、ボクら二人を心配そうに見つめるだけで沈黙を守っていたフェイがようやく口を開いた。
「ごめんね。あたしのために二人に気を遣わせちゃって」
「気にすることないよ。ボクらが好きでやったことだし。それよりも収集対象のピーピーってどんな鳥なのかな」
「最近試作品として出回っている尿酸菌飲料があるでしょ。あれはピーピーの腸内細菌で作っているんだって」
ああ、九月の実習でニィアォさんによく飲まされていたあれか。ふんにょー祭でも並べられていたな。
「糞の収集は難しいのかな。資料室へ調べに行ってみようか」
「待って。さっきテキストをもらったからそれを読みましょう」
フェイが薄い冊子を机に置いた。三人で頭を寄せ合ってそれを読む。
『ピーピーは東の森にのみ生息する飛べない鳥である。飛べない代わりに足が速いと思われがちであるが足は遅い。糞尿はほぼ液状なので収集の際は注意が必要である。ピーピーの腸内細菌は寒暖や乾燥に対して高い耐性を持っているので排泄後数分刻を経過した糞尿でも収集してよい』
「これはかなり楽ですね。アルピニイさんを見直しました」
ミエルダさんに同感だ。扱い難かったへべれけウサギとは雲泥の差である。新人のフェイのためにわざわざ収集が容易な生物を探して選んでくれたのだろう。アルピニイさんの気遣いには感謝するしかない。
「三人、来な」
結果が出たようだ。急いで課長室に入る。
「喜びな。二人の同行を認めるってさ」
「やった!」
ボクとフェイは手を打ちあって喜んだ。ミエルダさんは無表情に突っ立ったままだが内心は喜んでいるに違いない。
「実はフェイの他にメルドにも同行してほしかったらしいのさ。ウイルス認識能力保持者がもう一人いると心強いからね。たださすがにらぼ職員を二人も同行させるのは気が引けたらしくて言い出せなかったらしい。だからあんたからの申し出は願ったり叶ったりだったのさ」
「そうだったんですか」
やっぱりダメ元で言ってみるものだな。黙っているだけでは道は開けないってことか。
「問題はミエルダだよ。収集課の訓練を現地で行うということで了承させたけど、かなり渋っていた。理由はわかるかい」
「エルフ族は獣人族を嫌っているから、でしょう」
即答するミエルダさん。うなずくアルピニイさん。まるで鉛でも飲まされたように心が重くなった。
「そうさ。名医として王国中にその名が知れ渡っているタカノメでさえ多くのエルフから毛嫌いされている。獣人族って理由だけでね。あんたも東の森では相当冷遇されるはずだよ。その覚悟はできているかい」
「はい。これまでずっとそのように扱われてきましたから」
「ならいいよ。ほれ、これが出張命令書。任務に関する詳しい内容はフェイに教えてもらいな。話は以上だ」
「失礼します」
事務室に戻っても心は重くなったままだった。エルフ族は基本的に他の種族とはほとんど関わりを持たない。東の森のエルフは長い歴史の中で王族と親交を深めてきたので人族に対しては好意的だが、その他の種族、特にドワーフ族と獣人族に対しては嫌悪感が強いらしい。フェイもそれを知っているのだろう。ミエルダさんを気遣っている。
「ミエルダ、あたしを心配してくれるのは嬉しいけど無理して付いて来ることはないよ。メルドもいるし」
「いえ。頼りないメルド君にフェイを任せるわけにはいきません。私もお供します」
断固として意思を曲げるつもりはないようだ。ミエルダさんは強いな。
「さあ、そうと決まれば任務についてフェイから説明を受けようじゃないか。明日は何時に出発なんだい」
「朝五ツにらぼ南門を出発。馬車はらぼが出してくれるそうよ」
それから続く話には驚きしかなかった。てっきり馬車で東の森まで行くのかと思っていたがそうではなかった。らぼを出発した馬車は王都南にある王立科学研究所まで行き、そこから飛行船で東の森に向かうというのである。馬車なら数日かかる道のりも飛行船なら二日で行ける。
「はあ~、飛行船を手配できるなんて、さすが王立微生物研究所だなあ」
きっと規模も予算もらぼとは桁違いなのだろう。これほどの経費と日数をかけて東の森で何をするつもりなのか。フェイを同行させる理由は何なのか。ミエルダさんと一緒にしっかりと見極めなくては。
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