慎重徐行廃鉱坑道

 外気が冷たかっただけに坑道の内部は蒸し暑く感じた。先頭を行く案内役のニィアォさんは普通の油ランプを持っている。昨晩話題になった火トカゲランプはあくまでも売り物なので、日常的な用途に利用されることはないそうだ。


「火トカゲランプ、どれくらい明るいのか見てみたかったなあ」

「奥にいるトカゲを見りゃ一発でわかるさ。その調光眼鏡、絶対に外すんじゃないよ」


 ボクらは全員眼鏡を装着している。光量によって透過度が変化する魔法具のひとつだ。火トカゲを包む炎は太陽に匹敵するほどの高輝度なので裸眼ではとても直視できない。眼鏡は欠かせないアイテムなのだ。


「その革鎧、イカしてるなメルド。いかにも冒険者って感じだ」

「そうですか。気心地は良くないんですけどね。今も暑くてたまりません」


 ボクの装備はへべれけウサギの糞収集でも着用した初心者用革鎧だ。見た目にはわからないが今回は特別に火トカゲの常在菌を使用した保護膜が貼り付けられているらしい。高火力の火炎攻撃を食らっても安心だ。

 腰にぶら下げた短剣はらぼの支給品。まだ一度も使ったことはない。肩掛けカバンには医療課でもらったポーションや傷薬、毒消しなんかが入っている。


 ニィアォさんは金属製の兜と鎧。背中の斧は鉱山で働く前から使っている愛用の品だと言っていた。大昔は冒険家を目指していたらしい。ちなみに現在の冒険者階級は良である。


 アルピニイさんの戦闘服はやたらと肌の露出が多い。素材はよくわからないが布のようにしなやかで金属のように光沢がある。魔力を帯びた装備なのだろうか。

 武器は持っていない。武器どころか何も持っていない。収納術を使って魔法空間に保管しているからだ。それならボクの荷物も一緒に保管してくれればよさそうなものだが素っ気なく断られてしまった。旅の間、手ぶらのアルピニイさんが羨ましくて仕方なかったっけ。


「ここで下り坂は終わりだ。分かれ道が多いからはぐれないようにな」


 坑道は暗い。これほど深い闇はないだろうと思いたくなるくらい暗い。ニィアォさんのランプの光だけが頼りだ。

 足元でぴちゃぴちゃ音がする。地下水が染み出ているのだ。いかにも放置された廃坑という感じがする。

 汗はかいているが息苦しくはない。換気はしっかりしているようだ。極寒の外気と蒸し暑い坑道内の温度差で対流が発生し空気の循環がよいのだろう。


「そろそろ落盤現場だ」


 急に坑道が狭くなった。足元も平らではなくゴツゴツしてきた。身を屈めて進んでいると赤く照らされた岩壁が見えてきた。


「あれが火トカゲの炎だ。近いぞ」

「それにしても暑いねえ。装備に冷却術を使うよ。ニィアォ、ランプを置いとくれ」


 アルピニイさんが両手を合わせて何かつぶやくと爽やかな冷気に全身が包まれた。灼熱の炎天下からいきなり涼風の高原に連れられてきたみたいだ。


「こんな術があるならもっと早く使ってくださいよ。これまでかいた汗は何だったんですか」

「贅沢言うんじゃないよ。術をかけている間は魔力が消費され続けるんだからね。さっさとトカゲを倒さないと途中で解除……これは!」

「しまった!」


 ニィアォさんがランプを拾い上げる間もなくガラガラという音が響き坑道の前後が閉ざされた。と同時に周囲の様子が一変した。ボクらがいるのは部屋の中だ。四隅の篝火が内部を照らしている。


「な、何が起きたんだですか」

「ダンジョンが生成されたんだよ。能力持ちの魔獣は敵の接近を感知すると周囲に迷宮を生成できるのさ。扉が閉じると同時に異空間に飛ばされる。気を付けな。敵が湧く」

「敵って、うわ!」


 何の前触れもなく小さなカナヘビが十匹ほど出現した。ニィアォさんが背中から斧を外し両手で握り締める。


「これくらい一振りで蹴散らしてくれるわ、そりゃ!」


 大旋風が巻き起こった。出現したカナヘビは全て壁に叩き付けられ、煽りを食らったボクは尻もちをついてしまった。ニィアォさんの怪力、恐るべし。


「おっと、すまんメルド。大丈夫か」

「はい。尻穴は何ともありません。それよりもどうやったら戻……」


 その先は言う必要がなかった。ガラガラという音が響いて部屋の扉が開くとボクらは元の坑道に戻っていた。ニィアォさんがランプを拾い上げる。


「見ての通りだ。出現した敵を全て倒せば戻れる。しかしダンジョンを生成するとは驚いたな。雑魚魔獣だと見くびっていたがまさか能力持ちだったとは」

「とは言っても湧いた敵は雑魚さ。カナヘビなんぞ子どもでも倒せるからねえ。その程度の召喚しかできないようじゃ今回の火トカゲも雑魚と考えていいだろう」

「まあ何にしても用心にするに越したことはない。メルド、火トカゲはおまえが倒すんだからな。油断するなよ」

「はい」


 尻穴に力が入る。何もかもが初体験だ。ふんにょーらぼの正職員になってこんな冒険者まがいの業務を命じられるとは夢にも思わなかった。ミエルダさんの新人教育プログラムが地獄のように厳しかった理由がようやくわかった気がする。


「ほら、さっさと歩きな」


 殿しんがりのアルピニイさんに尻を叩かれた。ニィアォさんの尻はもうだいぶ先にある。


 それからもダンジョン部屋は何回か発生した。坑道を歩いているといきなり異空間に飛ばされるのだ。

 ただ出現する敵は雑魚ばかりだった。次の部屋はヤモリ。その次はスッポン。全てニィアォさんの一振りで撃退してしまった。しかし四番目の部屋で出現した敵を見た時、これまで酔っ払ったように虚ろだったアルピニイさんの眼が輝いた。


「ヒャハッ、穴無しワニじゃないか。こりゃツイてる」

「穴無しワニ。聞いたことがないな。珍しいのか」

「ああ。魔界の生物だからダンジョンにしか出現しない。こいつは口があるのに尻穴がないのさ。腸内細菌の分解力が半端なくてね。食物だけでなく老廃物や腸粘膜、死滅した細菌なんかを分子レベルにまで分解する。脱糞する必要がないので尻穴が退化しちまったのさ」


 口から食べて口から排泄する生物は聞いたことがあるけどウンコを作らないワニなんて初耳だ。魔界の生物の特徴まで覚えていたらキリがないもんな。ヤモリやスッポンに比べると今回のワニは強敵だが一匹しか出現しなかった。召喚できる敵の強さと数は反比例しているようだ。


「ニィアォ、手を出すんじゃないよ。ここはあたしに任せな」


 アルピニイさんが胸ポケットに手を突っ込んだ。何をするのかと見ていると注射器と糞尿収集容器がポケットから出てきた。収納術を使ってこんな物を持ち歩いているとは、さすが収集課課長。


「こいつの腸内細菌を持ち帰ればらぼの連中も大喜びさ」

「でも尻穴も糞もないんですよね。どうやって収集するんですか」

「穴はないが穴の名残りはある。糞はないが腸内残留物はある。まあ見てな」


 アルピニイさんがワニの頭をぶん殴った。気絶したワニを仰向けにして尻尾の付け根に注射器を刺す。何かが吸い取られる。吸い取った何かを容器に移す。


「これでこいつは用済みさ」


 ワニの頭に当てた人差し指の先が光った。小さく痙攣するワニ。扉が開く音。そしてボクらは元の場所に戻っていた。優雅ささえ感じられるアルピニイさんの戦い方にちょっと感動した。


「ワニは異空間に取り残されるのに腸内細菌は持ち帰れるんですか」

「ワニから取り出した時点で所有者があたしになったからね。壁で燃えている篝火も外せば持って帰れるさ」


 余裕の話しぶりには歴戦の強者の風格が漂っている。らぼに入所するまでは冒険者として生きてきたんだもんなあ。課長室で暇そうにしているアルピニイさんとは別人だ。


「強敵のワニが出現したってことは、恐らく今のが最後の部屋だろう。次はお待ちかねの火トカゲだ。メルド、剣を抜け」

「は、はい」


 歩くにつれ前方の岩壁を照らす赤い光が強さを増していく。調光眼鏡の透過度が徐々に落ちていく。

 突き当りを右に曲がると状況が一変した。冷却術をかけていても感じる熱気。上も下も横も燃えている岩壁。その広い空間に存在する炎と光に包まれた巨体。眼鏡の透過度が最低になってもまぶしさを感じる。


「いたぞ、火トカゲだ。メルド、任せたぞ」

「ウ、ウソでしょ。あれが雑魚のトカゲ?……」


 恐怖で尻穴が縮みあがった。ボクを睨み付けているのは草むらでチョロチョロしているトカゲを百倍くらい大きくした化け物だった。

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