やられる前にやらなきゃやられる

 アルピニイさんは言っていた。階級が凡でもトカゲくらい倒せると。

 アルピニイさんは言っていた。魔獣と言っても所詮トカゲだと。

 アルピニイさんは言っていた。今回の火トカゲは雑魚だと、確かにそう言っていた。そんな言葉を信じたボクがバカだった。


「騙しましたねアルピニイさん。これのどこが雑魚トカゲなんですか。こんなのほとんどドラゴンじゃないですか」

「おいおい、それじゃドラゴンが気を悪くするぞ。まあ多少は手こずるかもしれんがメルドならやれるだろう」

「ニィアォさん、買い被るのはやめてくださいって言ったでしょう。ボクの階級は凡なんですよ」

「メルド、無駄口はやめて戦いな。ボヤボヤしているとやられるよ」


 いきなり火トカゲが火を吹いた。かろうじて身をかわしたがポーションを入れていた肩掛けカバンが一瞬で灰になってしまった。初っ端から万事休すだ。


「熱っ! アルピニイさん、念のために確認しますけどボクの革鎧は耐火粘液を出す常在菌保護膜で覆われているんですよね」

「ああ。らぼのヤツがそう言っていた」

「それならどうしてカバンをかけていた肩の部分が焦げているんですか」

「悪い、言い忘れた。保護膜が覆っているのは尻の部分だけだ。材料不足で全体を覆えなかったらしい」

「言い忘れたで済む話じゃないでしょ。一歩間違えれば焼け死んでいましたよ。それに何で尻の保護を優先するんですか。胸とか頭のほうが大事でしょ」

「ふんにょーらぼで働く者にとっては尻穴こそが至高。心臓も脳も二の次なのさ。それに火を吹かれたって尻で受ければいいだけだろ。簡単じゃないか。ほれ、さっさと倒しな」


 泣きたくなってきた。しかし泣いている暇はない。火トカゲは容赦なく火炎を浴びせてくる。前に立てば口から、背後に回れば尻穴から火が噴き出す。横に逃げてもすぐ向きを変えて口か尻穴のどちらかから火を吹く。自分の尻をトカゲに突き出して火を受けながら逃げ回ることしかできない。


「ほらほら、敵に尻を向けてどうするんだい。それじゃ戦えないよ」

「尻を向けなきゃ焼死ですよ。どうしてボクだけ狙われるんですか」

「そりゃあたしとニィアォには非感知術をかけているからね。ここにいることすら気づいていないんだよ」

「ボクにもかけてください」

「それじゃ訓練にならないだろ。何のために階級凡のあんたをこんな場所まで連れてきたと思ってるんだい。実戦をたくさん経験して早く可に昇級してほしいと願う親心がわからないかねえ」

「ならせめて援護くらいしてください」

「アルピニイ、そろそろ手を貸してやろうや。哀れ過ぎて見ちゃおれん」


 ああニィアォさん、その言葉を待っていたんですよ。やはり頼りになるなあ。


「よいしょっと」


 ニィアォさんは鎧の腰袋に手を突っ込むと身の丈の三倍はありそうな布袋を取り出した。アルピニイさんと同じく収納術を使って運んできたようだ。


「うおおおー!」


 気合いのこもった掛け声。王都で糞尿を収集する時はいつもこの声を聞いていた。懐かしさに浸っているとニィアォさんの布袋から噴き出した暴風が火トカゲを襲った。


「そうか、気圧変化術だ」


 便槽から樽に糞尿を汲み上げる時に使っていた術だ。布袋の内部を高気圧にすることで中の気体を火トカゲにぶつけているのだ。


「火トカゲの火が、消えた」

「そうだ。窒素ガスの風で火トカゲの炭化水素ガスを吹き飛ばしてやった。おまえが戦っている間は風を起こし続けてやる。だが長くは持たんぞ。さっさと片付けろ」

「はい、感謝します」


 火トカゲは火の出なくなった口をパクパクしている。こうなればただのでかいトカゲだ。もう尻を向ける必要もない。行くぞ!


「それっ!」


 一気に接近して首の辺りに短刀を突き刺してやった。が、


「硬っ!」


 岩に刺したのかと思った。刃が全然通らない。刺すのはやめて切ってみた。皮膚に薄っすらと跡が付いただけだった。短刀では無理なのか。


「メルド、一撃離脱を忘れたのかい。反撃を食らうよ」


 アルピニイさんの声を聞いて慌てて後ろに退いた。火トカゲの口が鼻先をかすめる。ボクに噛みつこうとしていたのだ。危なかった。


「どこかに急所はないのか」


 横に回って脇腹を突いてみる。わずかに短剣が刺さった。


「イケル!」


 もう一刺ししてやろうと思ったができなかった。尻尾が襲ってきたからだ。急いで退く。前から攻めれば口。背後と横から攻めれば尻尾。火が消えても簡単には倒せそうにない。


「ああ、もうじれったいねえ」


 ゴロ寝して酒を飲みながらボクの戦いを見物していたアルピニイさんが面倒くさそうに起き上がった。


「尻尾の動きだけ封じてやるよ」


 胸ポケットから取り出したのは鍔と籠柄に美しい装飾が施された細剣だ。まるで空になった酒瓶を居酒屋の主人に返すような気軽さでアルピニイさんは細剣を投げた。見事に命中し火トカゲの尻尾は床に串刺しにされた。


「ゲコッ!」


 刺さってから鳴くまでかなり間があった。図体がでかいので痛みを感じるのに時間がかかるようだ。それにしてもあんなに硬いトカゲの皮膚をいとも簡単に貫けるとは。アルピニイさんの剣技がすごいのか、剣自体がすごいのか、きっと両方ともすごいんだろうな。


「何ぼーっとしてんだい。早く倒しな」

「は、はい」


 尻尾が襲って来ないのならこっちのもんだ。ちょっとだけ柔らかい脇腹をガンガン突く。スパスパ切る。火トカゲは苦しんでいる。つまり効いているってことだ。この調子で攻め続けよう。


「調子に乗るなメルド、避けろ!」


 ニィアォさんの叫び声。見上げると火トカゲの大口が眼前まで迫っている。


「うぐっ!」


 ボクに噛みつこうとしている大口を両手で受ける。鋭い歯と赤い舌。その奥で燃える炎。短剣は落としてしまった。大ピンチだ。


「どうして……尻尾を串刺しにされているはずなのに」


 火トカゲの猛攻に耐えながら横を見たボクは我が目を疑った。尻尾は間違いなく串刺しにされている。しかしその尻尾に胴体はくっ付いていない。トカゲの尻尾切りだ。


「あーあ、言わんこっちゃない。資料に書いてあっただろう。寒いと死ぬ、腹が減っても死ぬ、尻尾を踏まれると切って逃げるって。忘れたのかい」

「忘れていました。すみません。それよりも助けてください。このままでは食われます」


 完全に万策尽きていた。目の前にある火トカゲの大口を閉じないようにするだけで精いっぱいだ。それももう限界に近い。尻穴に力を入れることすらできない。


「仕方ないねえ。なら体力回復のポーションでも使うかい。あんたが持って来た医療課のポーションじゃなく冒険者が愛用する超強力なヤツだから効果は抜群さ」

「お、お願いします」

「ちょっとお待ち」


 ポーションを飲んでどれくらいの効果があるのか不安ではあるが、溺れる者は藁であってもつかまねばならない。横目でチラ見しているとイチジク型の容器を持ったアルピニイさんが近づいてくる。ボクは口を開いた。


「すみません。両手がふさがっているので飲ませてください」

「はあ? 何を寝ぼけたこと言ってんだい。ポーションは尻穴から入れるに決まっているだろ」


 驚愕で尻穴が縮んだ。そんな話は初耳だ。


「いや、ポーションは飲むものでしょ。それに尻穴は出口であって入り口じゃありません」

「誰がそんなこと決めたのさ。らぼ特製のポーションは腸から吸収されるだけでなく腸内細菌も活性化させるんだよ。腸に効くんだから口から入れるより尻穴から入れたほうが早いだろ。革鎧の尻には何のためにスリットがあると思ってんだい」


 そうだったのか。尻スリットの本当の役目はこれだったのか。知りたくなかった。


「ほら、尻を突き出しな。注入してやる」

「え、課長に下のお世話をしてもらうわけには」

「尻穴の力は抜いておくんだよ。ケガしないようにね」

「あ、でもまだ心の準備が」

「うりゃ!」

「あふっ!」


 それは初めて味わう感覚だった。これまで出口でしかなかった尻穴が入口になるという逆転の役割変換。注入されるポーションが腸を逆流し拡散していくにつれ尻穴の熱が高まっていく。


「ああ、尻穴が歓喜の叫びを上げている」


 熱い。燃えるように熱い。尻穴の熱がボクの体内を駆け巡る。全ての筋肉が増強されていくのを感じる。力が湧き上がってくる。火トカゲが取るに足らない雑魚に見えてきた。


「おうりゃああー!」


 両腕に力を込めると火トカゲの体は簡単に持ち上がった。そのまま地に叩き付け、蹴りと殴打を五回繰り返したのち、頭上に高く飛び上がって短剣を脳天に突き刺した。火トカゲは絶命した。


「見事だ、メルド」


 ニィアォさんに背中を叩かれて我に返った。まるでポーションに操られていたような気分だ。


「どこが見事なんだい。消火、尻尾切り、ポーション、そこまで面倒見てやらなきゃ倒せないなんて、まだまだ可にはなれないね」

「はい。さらに精進したいと思います」

「さあて、糞と皮をいただこうかね」


 そこからは見ているだけだった。まず冷却術で火トカゲの体を冷やし細菌が休眠状態になるのを見計らって糞を収集。

 皮は特殊な薬剤を注入すると簡単に剥離した。それを専用容器に収納してらぼの業務は終了だ。


「火トカゲの死体はどうするんですか」

「肉、骨、体内の魔石は利用価値が高いからね。組合の処理施設に直送するのさ。そのための魔法具も支給されているしね」


 アルピニイさんが取り出したのは扉そのものだった。開くと漆黒の闇が渦巻いている。その闇を火トカゲの頭に触れさせるとたちまち全身が闇に吸い込まれてしまった。切り落とした尻尾も同様に闇に吸い込ませた。


「闇の先は組合の処理施設なのさ。便利だろ」

「これを使えば一瞬でどこへでも行けますね。らぼでも使いましょうよ」

「そりゃ無理だ。この魔法具は闇に入ったが最後、生きては出られない。死体専用なんだ。火トカゲの体内に残っている細菌は全て死んだ状態で処理施設に排出される。無菌処理されているから衛生上の心配は不要ってわけさ」


 火トカゲの肉か。あまり美味しそうには思えないけど、一度食べてみたい気もする。


「これで用は済んだな。では引き上げるとしよう。帰りはずっと登りだ。二人とも覚悟しておけ」


 ああ、あの階段を登るのか。らぼに帰るまでが業務だもんだ。それにしても疲れた。今日は早く寝よう。


 * * *


 夜が更けても庄屋の座敷には明かりが灯っていた。膳を挟んで酒を酌み交わしているのはダークエルフとドワーフだ。


「今日おまえと一緒に坑道を歩いていたら昔を思い出してしまったよ、アルピニイ。最後の探索はもう二百五十年ほど前だろうか」

「さあね、覚えちゃいないよ。あんたもまだまだ戦えるんじゃないのかい」

「いや、ドワーフでも三百才を超える者は少ない。オレも間もなく旅立つだろう。不老長寿のエルフが羨ましい」

「長生きなんかしてもいいことなんかありゃしないよ。先に行っちまう知り合いを見送るばかりなんだからねえ」


 冷え冷えとした夜気が二人を包んでいた。華々しい冒険家時代の思い出は今の空しさを埋めるにはあまりにも色褪せていた。その空しさを埋めたくて二人は酒を飲む。


「ゴールデン・フィーシーズ……まだ追い続けているのか、アルピニイ」

「ふっ、二百年前に諦めたさ。叶わない夢だと悟ったからね。だけど最近、その夢がまたちらつき始めている」

「ほう、それはどうしてだ」


 アルピニイは空の杯を差し出した。ニィアォが酒を注ぐと一息で飲み干した。


「火トカゲを倒した時のメルドを見たかい。あの怪力と剣技、冒険者階級が良でもおかしくはない」

「それはそうだが、あれはポーションによるものだろう。メルドの実力じゃない」

「いいや、メルドの実力なんだよ。あたしが尻穴に注入したのは特別製なんかじゃない、普通のポーションだったんだからねえ」

「そんな、ことが……」


 事実のなのかそれともからかわれているだけなのか、ニィアォには判断できなかった。口を開けたまま返す言葉を失ったニィアォをアルピニイは愉快気に眺めた。


「あたしが探していたものは意外と身近にあるのかもしれないねえ」


 今度は手酌で飲み干したアルピニイの瞳は輝いていた。そこには共に魔獣を倒していた冒険家時代の熱情が煮えたぎっていた。何か言えば眠っていたはずの野心が呼び覚まされるような気がして、ニィアォはただ沈黙するしかなかった。

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