標的はトカゲ

 北へ向かう駅馬車の乗客はボクとアルピニイさんだけだった。王都と北の山脈を結ぶ北山線は利用者が少ない。冬季のこの時期は物好きな温泉客を除けば皆無といっていいほどだ。従って便数も半分に減らされる。大雪が降ると運行中止になることもある。どうしてこんな時期に北部地方への出張命令が出たのか、責任者に問い詰めたくなる。


「さすがにこの辺りは寒いねえ。酒でも飲まなきゃやってられないよ」

「先に言っときますけどボクは飲みませんからね」


 らぼを出発して今日で三日目。朝から晩まで駅馬車に揺られているので尻が痛くなってきた。


「アルピニイさんなら飛行術とか使えるでしょう。どうして馬車なんですか」

「空なんか飛んで行ったら一日で着いちまう。それじゃ面白くないだろ。途中の宿で郷土料理と温泉を楽しみ、名所旧跡を訪ね、地元の住人の糞尿を観察させてもらう、それが出張ってもんさ。経費は全てらぼ持ちだしね」


 それは出張ではなく物見遊山だ。とは言ってもこの三日間、若干後ろめたさを感じながら旅の楽しさを満喫させてもらった。高級ではないが居心地の良い宿。豪華ではないがほっとする料理。馬車に揺られて痛くなった尻をほぐしてくれる温泉。らぼの業務であることを忘れそうになる。


「こんな旅ができるなら出張も悪くないな」


 三日前、課長室で出張の話を聞かされた時はただ絶望しかなかった。


「出張先は王国北東部鉱山地帯。業務内容は炭鉱に住みついた火トカゲの糞と皮の収集。なお冒険者組合から討伐依頼が出ているので、ついでにトカゲをあの世へ送る。以上。質問はあるかい」


 アルピニイさんの口からこんなに課長っぽい言葉を聞いたのは初めてだ。いや、そんなことはどうでもいい。出張に行くのがどうしてボクなのか、それを問い詰めないと。


「人選がおかしくないですか。ボクがここに来たのはほんの二カ月前ですよ。へべれけウサギの糞収集ですら満足にできなかったんですよ。冒険者階級は凡なんですよ。そんな新人に任せられる業務ではないと思うんですけど」

「大丈夫さ、あたしが一緒に行くんだから。それに標的はトカゲ、しかも一匹だけだ。いくら階級が凡でもトカゲくらい倒せるだろう」

「それならアルピニイさん一人で行けばいいじゃないですか」

「それじゃ新人教育にならないだろう。たくさんの経験を積んで早く一人前の職員になってほしいという、あたしの親心がわからないのかねえ。悲しいよ」

「いや、でも今日の明日じゃ急すぎますよ。冒険者組合の依頼を受けるなら手続きもしなくちゃいけませんし」

「手続きは済んでるよ。登録時にサインしただろう、ほれ」


 封筒の中の一枚を見せられた。討伐依頼請負契約書だ。ボクのサインもある。なんてこった。出される書類に片っ端からサインしていたので全然気づかなかった。受付嬢が「この依頼はキツイかも」と言っていたのはこのことだったのか。


「わかりました。命令に従います。ところで討伐対象の火トカゲってどんな生物なんですか。収集する糞と皮の特徴は何ですか」

「百聞は一見に如かずっていうだろ。行って実際に見てみりゃわかるよ」

「それじゃ遅すぎますよ。らぼの資料室も王都の図書館も間もなく営業終了だし、明日出発じゃ調べることもできません。何でもいいから教えてください」

「ああ、はいはい、わかったよ。えっと、確かこの辺に資料が、ああ、これか。読むよ。火トカゲは火山地帯や鉱山の地下深くなど高温の場所を好む。体は常時炎に包まれている。これは火トカゲの腸内細菌が炭化水素ガスを生成するためである。他の生物では尻穴付近の細菌がガスを生成し放屁によって排出されるが、火トカゲは胃以降の消化器官全てにこの腸内細菌が生息しているため大量の炭化水素ガスが発生する。そのため口と尻穴からだけでなく全身の毛穴からもガスを排出できる機構が備わっている。全身が炎に包まれているのはこのためである。身体が高温の炎に耐えられるのは皮膚の常在細菌が生成する耐火粘液によるものである。寒いと死ぬ、腹が減っても死ぬ、尻尾を踏まれると切って逃げる。以上。質問はあるかい」

「最後の一文は創作して付け足したでしょ」

「いいや。してない」


 また見え透いたウソを。まあいいや。


「でも可燃性ガスを作る細菌ってどこにでもいますよね。わざわざ収集する必要はないと思うんですけど」

「そうさ。あんたが行きたがっていた製造事業部が糞尿を発酵させてガスを作っている。まあ燃料として使うには経費が掛かりすぎるし専用の機器も必要になるので、使ってくれるのは物好きな華族様くらいだけど」


 建材以外にそんな製品も作っていたのか。やっぱり製造事業部に行きたかったなあ。


「それならなおさら必要ないでしょう。ウチの部署は何を開発しているんですか」

「力を入れているのは照明だね。火トカゲの腸内細菌が生成するガスの炎はとても明るいのさ。しかもこの細菌は使い勝手がいい。水と炭を与えて熱すればすぐ大量のガスを発生する。高温に強く炎の中でも活動できるし常温で乾燥すると休眠状態で生存し続ける。この性質を利用してガスを使わないガス燈を開発している」

「ガスを使わないガス燈? 何ですかそれか」

「細菌が発生するガスを直接燃やして照明に利用するのさ。実用化されているのは携帯型ランプだね。ガラスの容器に石炭粉と腸内細菌を混合させて封じ込めておき使用する時には水を入れる。すると休眠していた腸内細菌が復活し可燃性ガスを生成し始めるのでランプとして使えるってわけさ。この環境下では半日ほどでガス生成能力が消滅するので使い捨てになっちまうけど、冒険者の間では結構人気のある道具なのさ」


 それは知らなかった。試作品ばかり作っていると思っていたけど、ちゃんと商品化して販売されている物もあるんだな。


「ところでどうして皮を持ち帰るんですか。らぼが扱うのは糞尿だけでしょう」

「何を言ってるんだい。腸壁と皮膚は連続したひとつの面、どちらも体の外側だろ。だったらそこに付着している糞と垢に違いはない。つまり腸内細菌と皮膚の常在細菌にも違いはない。よってらぼが扱っても何の不思議もないってわけさ。ただ垢を削ぎ落すのは面倒なので皮膚を剥がして持ち帰っているけどね」

「こちらも実用化されているんですか」

「ああ。この常在細菌も常温では休眠状態だが高温になると復活して耐火粘液を生成する。餌となる脂肪と細菌を混合した保護膜を鎧や盾に貼り付けておけば、火炎を浴びるなどして高温になった時だけ復活し耐火粘液を生成して装備と餌の脂肪を保護する。魔法術の耐火特性付与と同じ効果を発揮してくれるってわけさ。こちらは累積使用時間が一刻を超えると使えなくなるけど、討伐や一階層程度のダンジョン攻略なら十分な時間だからね。そこそこ需要はある」


 改めてふんにょーらぼの底力を思い知った気がする。仮採用中の座学や本採用後の合同研修ではここまで具体的な話は聞けなかったからなあ。詳細は現場で学べってことなんだろう。


「討伐対象はただのトカゲじゃなく火トカゲなんですよね。ひょっとして魔獣ですか」

「そうだよ。当たり前じゃないか」

「獣や鳥ですら手にかけたことがないのに、魔獣なんか倒せるかなあ」

「所詮トカゲさ。頭空っぽなんだから知恵を使って立ち回りな。いざとなったらあたしも手を貸してやるよ」

「よろしくお願いします」


 こうしてボクとアルピニイさんの出張旅行が始まった。いちおう出発前にミエルダさんにも相談してみたところ、


「課長が同行するのであれば何も言うことはありません。命を落とすようなことは絶対にないはずです。ご安心ください」


 という返事だった。ミエルダさんが安心していいと言うのだから大丈夫なんだろう、きっと。


「あれから三日か。今のところは大丈夫だけど本番はこれからだよな」

「そろそろ乗り換え駅だよ。忘れ物のないようにな」


 しわがれた御者の声を聞いて荷物をまとめる。さらに北へ行く北山線とはここで別れ、西へ向かう鉱山線に乗り換えるのだ。

 北山線は国営路線だが鉱山線はドワーフが運営する地方路線だ。近年、鉱山地帯にあるドワーフの集落と王都との交流が活発になってきたので、便宜を図るために定期的な駅馬車の運行が始まったのである。運賃は国営路線とほぼ同額だ。乗換駅だけあって停車場にはたくさんの駅馬車がとまっている。


「鉱山口行きの駅馬車はどれだい」


 停車場のドワーフに訊くとつれない答えが返ってきた。


「この時刻ではもう便がない。ここに泊まって明日出発すれば到着は夜になる。今日行ける所まで行って明日出発すれば昼には着ける。好きな方を選びな」

「ならここに泊まるよ。王国有数の温泉地だし、いい宿がたくさんあるんだろう」


 アルピニイさんならそうすると思った。明日の夜到着だとトカゲ退治は明後日か。それまで物見遊山の出張を楽しむとしよう。

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