妹の面影
第三関門のある試験用農場はらぼの北西にある。そこへ向かう道は起伏に富んでいるうえに、らぼ関係者以外はほとんど利用されないこともあってかなり荒れている。当然ペースを落とすべきなのだが、フェイもミエルダさんもこれまでと同じ速さを維持している。
「ここは走りづらいね。少しゆっくり行こうか」
「この程度、まったく問題ありません」
「あたしも平気。急ぎましょう」
ミエルダさんはともかくフェイもかなりヤル気になっている。順位が上がったことで優勝への欲が出てきたのか、あるいはオシッコをして体重が減ったからか。身軽なエルフにとって足場の悪さは走りに影響を与えないのかもしれない。
「じゃあ、このペースで、わわ!」
周囲の風景が回転した。目の前に地面がある。なんてことだ、転倒してしまったようだ。
「メルド、大丈夫」
「まだまだ修練が足りませんね。この程度の荒れ地で転ぶとは。新人教育プログラムをやり直したくなりました」
こんな時でもミエルダさんは厳しいな。でもその通りだ。荒れ地や岩場での糞尿収集だってあるだろうからな。
「うん、大丈夫だよ、いてて」
全然大丈夫じゃなかった。右足首が痛む。骨は異常なさそうだが靭帯はやっちゃったかもしれない。
「少し休みましょうか」
「いや。ここで休んでいたら優勝できなくなる。それに本当に大丈夫だから」
立ち上がって歩き出す、痛い。走り出す、かなり痛い。痛いが走れないわけではない。尻穴に力を入れて進む。女神シリアナ様に祈りを捧げながら走る。一歩一歩がつらい。二人の背中が遠ざかる。痛くて足が上がらない。額に汗がにじむ。風景がぼやける。
「無理ならそう言ってください。こんなに腫れているではないですか」
気がついたら地面に座らされ、ミエルダさんが右足の靴と靴下を脱がしていた。右足首がどす黒く膨れ上がっている。無様な転び方をしたもんだ。
「フェイではなくボクが足を引っ張ってしまったね。面目ない」
「足を引っ張られるのは想定内ですし、足手まといではないので何の問題もありません。しかしこの足では走れませんね。いいでしょう、私が背負って走ります」
「えっ、フェイはともかくボクは重いですよ。それにそんなことをしたら今度はミエルダさんが疲れて走れなくなります」
「走れなくなったら歩きます。歩けなくなったら這います」
「待って!」
フェイがボクの右足に体を寄せてきた。両手をかざして腫れている足首を見つめている。意識を集中しているのがわかる。何をするつもりなんだろう。
「傷病即滅、苦痛即消、治癒祈願!」
フェイの両手の中に光が灯った。淡い輝きは次第に大きさを増していく。春の日差しのような暖かさが右足首を包み込む。痛みが薄れていく。腫れが引いていく。
「まさか治癒術が使えるとは。お見逸れしました」
「本当だよ。どうして隠していたの」
「隠していたわけではないの。使えるようになったのはほんの数カ月前。ほら、すごく重い病気にかかってタカノメさんに治療してもらったことがあったでしょう。あの時からあたしの体、少し変わっちゃったみたいなんだ。この術も気がついたら使えるようになっていたの。効果はまだ低いけど」
病気が切っ掛けで術を会得……そんなことがあるんだろうか。これまで何度も風邪をひいたり腹を壊したりしたけど、術が身に付いたことなんて一度もなかったけどなあ。死にかけるくらいの重病でないとダメなのかな。
「さすが東の森のエルフ。転んでもただでは起きませんね。メルド君を助けるのは私の役目だったのに奪われてしまいました。残念です」
ミエルダさんの言い方、まだトゲがあるなあ。いい加減に仲良くしてくれないかな。
「とにかくこれで走れるよ。ありがとうフェイ」
「ううん、苦戦しているのはあたしが遅いせいだもん。お互いさまだよ。それからこれはあくまでも応急処置で完治はしていないの。らぼに着いたらお医者様に診てもらって」
「わかった。このこと、孤児院のみんなは知っているの?」
「知ってる。別に隠すことでもないし」
「レースの最中だというのに仲がよろしいことですね、お二人さん」
フェイの言葉を遮ったミエルダさんの声がいつにも増して冷たく響く。ちょっと無駄話をしすぎたか。
「そうだったね、すぐ出発……」
立ち上がろうとしたらふらついた。なるほど。確かに完治はしていないようだ。
「もう少し休んでから行きましょう。メルド」
「休んでいる間に先ほどの質問に答えてくださいメルド君。フェイさんは呼び捨てなのに私をさん付けで呼ぶ理由。まだ聞かせてもらっていませんよね」
どうしてここでその話が出て来るかな。機嫌を損ねることでもあったのかな。何も思い付かないけど。
「それについてはゴールの後ということで」
「そうやってまた逃げる気ですね。クズ男の常套手段です。だまされませんよ」
見抜かれたか。仕方ない。フェイの前では言いたくないが正直に話そう。
「ボクには妹がいるんです。いや、いたと言った方がいいかな。フェイはその妹にそっくりなんです」
「メルド君の妹……」
「ずっと昔、村が魔族に襲われました。身を挺して守ってくれた両親のおかげでボクと妹は逃げられたけど、妹は途中ではぐれてしまいました。生き残ったのはボクだけだと聞かされました。でもボクは妹の死を信じていません。どこかで生きていると信じているのです。最初フェイを見た時、ようやく妹に会えたと思いました。もちろんすぐ別人だと気づきました。妹は人族でフェイはエルフ族ですから。でもフェイを見ているとそこに妹がいるように思えてくるんです。妹と話していた時のような口調になってしまうんです。これがフェイに丁寧な言葉を使わない理由です。納得してもらえたでしょうか、ミエルダさん」
話が終わるとミエルダさんは深々と頭を下げた。
「私はまたも過ちを犯してしまったようです。失った家族を思い出すことほどつらいことはないのに。許してください。メルド君」
「いえ。ようやくこの話にケリを付けられてボクも一安心です」
「そうだったの。妹が呼び捨てだったからあたしも平気で呼び捨てにできたのね」
今度はフェイの機嫌が悪くなりかけているようだ。あちらを立てればこちらが立たず。だからこの話はしたくなかったのだ。
「ごめん。フェイに妹の身代わりになってもらおうとか、そんなつもりはなかったんだ。ただどうしても妹の面影がちらつくんだよ。今まで隠していてすまなかった」
「ううん、全然気にしてないよ。なんなら妹さんになり切ってあげようか、メルドお兄ちゃん」
「それくらいなら私でもできます。早く次へ行こうよ、メルドお兄ちゃん」
「二人とも勘弁して。さあ、出発するぞ」
立ち上がって走り出す。追いついてきたフェイが笑っている。ミエルダさんは無表情だが走りが軽やかだ。彼女の中で凝り固まっていたフェイへのわだかまりをほんの少し消すことができたような気がした。
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