第四話 ふんにょー祭で年の暮れ
初任務業務報告
今日もボクは課長室にいた。昨日もいた。一昨日もいた。さすがに嫌気が差してきた。
「頭を使う作業は苦手なんだねえ、メルド」
アルピニイさんから発せられる軽蔑の言葉と眼差しが痛烈に心を射抜く。へべれけウサギの糞収集が終了しても初任務は終了していなかった。任務に関する業務報告書の提出、これが済むまでは任務継続中である。
「どうしよう、ボクに書けるかな」
三日前、事務室の机で頭を抱えていると、隣席のミエルダさんが紙の束を渡してくれた。
「報告書のテンプレです。これを使えば幼児でも簡単に作成できます。それからこれが任務中の全資料です」
「ありがとう。うわ~、細かいなあ」
手渡された資料には二週間に渡るボクらの行動が事細かに記録されていた。馬車搭乗時間、食事時間、休憩時間、実労働時間、取り逃がしたへべれけウサギ数、捕獲数、収集された糞数、用いた催便意薬量、昼の弁当の中身、放尿の回数と量などなど。
「えっ、ボクがオシッコするのを見ていたんですか。しかも量まで。ミエルダさん、いつの間に」
「補佐役として当然のことをしたまでです。報告書の作成、私も手伝いましょうか」
「う~ん、どうしよう」
本来なら毎日業務内容を記録して資料にまとめるのはボクの仕事だった。しかし、
「メルド君は糞収集に集中してください」
の一言で全てミエルダさんに任せてしまった。このうえ報告書作成まで手伝ってもらうのはさすがに甘え過ぎではないか。
「いえ、一人で作成します。これだけ用意してもらえば簡単にできると思いますから」
「では頑張ってください」
ミエルダさんは事務室を出て行った。きっと別の任務があるのだろう。その日は一日中報告書作成に没頭し、夕刻になって完成した報告書をアルピニイさんに提出した。
「はい、書き直し」
「ええっ!」
一日かけて作成した報告書は瞬時に突き返された。納得できない。
「ちゃんと見てくれたんですか。パラパラめくっただけじゃないですか。この報告書のどこが気に入らないんですか」
「誤字、脱字、無意味な語句、理解不能な言い回し、合計が合わない数値、未記入項目、ミミズの這ったような字、ガタガタのレイアウト。どれもこれもひどいもんだ」
一瞬見ただけでそこまでわかるのか。どんな目をしているんだアルピニイさん。
「いいかい、この報告書を見るのはあたしだけじゃないんだ。事業部長はもちろんのことらぼの重役まで巡回されるんだよ。こんなゴミを上に回したら収集課だけでなく開発事業部までバカにされちまう。書き直しな」
「はい!」
こうして二日が過ぎ、本日三度目の提出となったのである。今回は自信があった。つい先ほど、事務室にいたミエルダさんにチェックしてもらったからだ。
「おや、報告書作成に私の力は不要だったのでは?」
「ごめんなさい。ちょっとだけ手伝ってください」
舌の根も乾かぬうちにこの有り様である。それでもミエルダさんは快くチェックしてくれた。本当は呆れていたのかもしれないが無表情なので真意は不明である。
とにかくこれなら大丈夫だろう。今回もアルピニイさんはパラパラと目を通すだけで終わってしまった。
「どうでしょうか」
「まあ、これなら及第点だね。どうせミエルダに見てもらったんだろう」
「あ、はあ、まあ」
お見通しだったか。何はともあれこれで初任務は完了だ。ようやく肩の荷を下ろすことができる。
「ごくろうさん。終業時刻になったら帰んな」
「あのちょっと質問があるんですけどいいですか」
「何だい」
「へべれけウサギを捕まえたり資料を作ったりしながら思ったんです。必要なのは糞ではなくそこに存在する腸内細菌ですよね。だったららぼで細菌を培養すればいいんじゃないですか。毎年ウサギの糞を収集するなんて無駄だと思うんですけど」
「いい質問だね。報告書作成で頭を使ったおかげで、ちょっとだけ賢くなったんじゃないのかい。いいよ、教えてやる」
話下手のアルピニイさんにしては分かりやすい説明だった。アルコールを生成するといったような他とは違う特殊能力を持つ腸内細菌は、分裂を繰り返すたびにその能力を喪失していくのである。
能力が完全に消滅するまでの期間は腸内細菌の種類によってさまざまだ。数年間維持するものもあれば数刻分しか持たないものもある。体外に排出された瞬間に喪失する場合もあると考えられているが、検証が困難なため未だに発見されていない。
「最初は緩やかに喪失し、ある一定期間を過ぎると急に特殊能力が消えるって場合がほとんどさ。今年の酵母も使えるのはせいぜい二月ごろまでだね。それを過ぎると何の取柄もないただの細菌になっちまう。だから毎年集めに行かなきゃいけないのさ」
「分裂しないように温度を下げて保存したらダメなんですか」
「あの酵母は低温に弱いんだ。脱糞した途端、細菌が死に始める様子を観察しただろう。分裂しないような条件下では生きていけないし、生かすためには分裂するような条件下に置くしかない。どうしようもないんだ」
「だけどへべれけウサギの腸内でも分裂していますよね。それなのにアルコール生成能力を失わないのはどうしてなんですか」
「そう、それがまさに生命の神秘ってやつさ」
再びアルピニイさんの説明が始まった。温度も湿度も水素濃度もイチゴグミも消化液も、全てへべれけウサギの腸内と同じ環境を作ってふんにょー酵母を培養しても、やはりアルコール生成能力は失われていくのだ。
この原因は細菌研究課でもまだ判明していない。一番確からしい仮説はウサギと酵母は共生関係にあるのではないか、というものである。ウサギの腸内で何かが酵母に影響を与え。それが酵母のアルコール生成能力の維持に寄与しているのだと多くの研究者が考えている。
何が酵母に影響を与えているのか、その正体は不明だ。物質なのか、魔力のような非物質なのか、光や電磁気のようなエネルギー体なのか、いずれにしてもそんなものを与えてアルコール生成能力を維持させるくらいなら毎年糞を集めに行ったほうが楽だし安上がりなので、この仮説を真面目に研究している者はらぼには一人もいない。真面目に研究しているのは採算度外視の王立科学研究所だけである。
「だったらいっそのことへべれけウサギをらぼで飼ったらどうですか」
「動物を飼育するのがどれだけ面倒か、わかっているのかい。そんなことに回せる金も人手も手間もないよ。それにね、動物は環境が変わると消化器官の働きも変わっちまうんだ。怒ったり心配事があったりすると胃が痛んだり腹を下したりするだろ。ウサギも同じさ。昔らぼにへべれけウサギを連れてきてイチゴグミを食わせたことがあったんだ。驚いたことにそいつの糞には酵母がまったく含まれていなかった。ストレスで腸内環境が変わって酵母が死滅しちまったのさ。結局、毎年糞を集めに行くのが一番なんだよ」
「なるほどねえ。よくわかりました」
こんなに為になる話をアルピニイさんから聞けるとは思ってもみなかった。課長の肩書は伊達じゃないな。
「他に質問は」
「次の任務は何ですか」
「ああ、しばらくは遊んでな。今週末にはふんにょー祭が始まるし、それが終われば年末年始の休暇だ。魔法術を磨く、心身の鍛錬をする、あれこれ勉強する、ラボから出なきゃ何をしていても構わないよ」
「ふんにょー祭か」
そう言えば今年はらぼ創立
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