何もわかっていないのは自分だった
次の日から術と薬の両方を用いて収集に挑んだ。密集地からへべれけウサギが飛び出して来たらまず術を使う。脱糞したら糞を収集。しなければ追いかけて捕まえ、薬をかがせて収集。捕まえ損ねたらもう一度術をかける。だいたいこんな感じだ。
「術を使ってもほとんど変わりませんね」
正直なミエルダさんはお世辞という言葉を知らないようだ。確かに大して変わらないが、術を使えば三回に一回は一粒脱糞する。捕まえ損ねたウサギからも収集できるので以前よりも効率は上がる。二日目は約百八十粒収集できた。
「明日も頑張りましょう」
三日目は初の二百粒超え。ウサギを捕まえるのがかなりうまくなった。
「術が少し上達したように思われます」
四日目は術を使って初めて二粒収集できた。約二百三十粒収集。
「天気が悪かったからでしょうか。惨敗です」
五日目は朝から大雨だった。これまでで最低の百粒以下。
こんな調子で毎日が過ぎていった。気がつけば休日の日曜日を挟んで今日が十日目。収集した糞は約二千百粒。まだ目標の二割ほどしかない。
「残り六日だよ。情けないねえ。ミエルダ、そろそろ手を貸してやった方がいいんじゃないのかい」
アルピニイさんの意見に大賛成だ。しかしミエルダさんはまったく別の提案をした、
「馬車の往復で約二刻の時間を奪われています。収集時間をより多く確保するために泊まり込み勤務を申請します」
「いいよ。やってみな。目標の数が集まるまでらぼに戻って来るんじゃないよ」
「了解しました」
「えー!」
ボクの意見を聞くこともなく勝手に決められてしまった。というわけで初任務最後の週は野宿をしながら収集することになった。らぼの野営セットを設営するミエルダさんに不満をぶちまける。
「アルピニイさんが手伝ってもいいって言ったのに、どうして手伝ってくれないんですか」
「まだ六日あります。できればメルド君ひとりの力で任務を達成してほしいのです」
「このままじゃ無理だってこと、わかっているでしょう。どうせ手伝うことになるんだし、今日からミエルダさんも収集してください。そうすれば野宿なんかしなくて済みます」
「諦めてはいけません。催便意術を完璧に習得すれば任務は容易に達成できます。頑張りましょう」
「十日間修練しても上達しないんですよ。ボクには魔法の才能がないんです。完璧な習得なんてできっこありません」
「まだ六日あります。頑張りましょう」
頑固だ。へべれけウサギに襲われた時も助けてくれなかったし、どうやらボクはミエルダさんにかなり嫌われているようだ。
「これまでの最高記録か」
野宿初日は日没まで集め続けたおかげで約三百二十粒収集できた。焚火をしながららぼ提供の夕食セットで腹を満たし、沸かした湯で体を拭いて着替えれば、後はもう寝るしかない。
「思ったより快適だね」
設営したテントの中はほんのりと暖かい。冬用のテントは太陽光を蓄積する素材で作られているそうだ。らぼの開発事業部はこんな物まで試作しているのか。ちょっと感心した。
「これが寝袋です。風邪をひかないよう頭まで入って寝てください」
かなり大きな寝袋だ。収集課には七尺を超える大男もいるけど、もっと小さなサイズはなかったのかな。
「じゃあ、おやすみなさい」
寝袋に入る。これもほんのり暖かい。テントと同じ素材でできているのだろう。ああ、眠気がボクを包む。これならぐっすり眠れそうだ。
「失礼します」
眠気が吹っ飛んだ。ミエルダさんが寝袋に入ってきたのだ。
「な、何をしているんですか。ミエルダさんはミエルダさんの寝袋で寝てください」
「寝袋はこれ一つだけです。でも心配はいりません。二人用ですから」
「どうして一つしか持ってこなかったんですか。おかしいでしょ」
「おかしくありません。一人で寝るより二人で寝た方が温まります。従って風邪をひきにくくなります。極めて合理的な選択です」
ああもう、本当に常識ってものがないんだなあ、この獣人族は。
「そういうことじゃないんです。ボクは男でミエルダさんは女でしょ。一緒に寝るわけにはいかないんです」
「私は全然気にしませんが」
「ボクは気にするんです。もういいです。布とか革鎧とかにくるまって寝ますから」
寝袋から出て寝巻の上に革鎧を装着する。さらにありたっけの布とかシーツとかをかぶれば寒くはないだろう。ミエルダさんは寝袋に入ったままこちらをじっと見ている。
「メルド君、私を嫌っているのですね」
「えっ」
耳を疑った。それはこれまで聞かされていた無感情な冷たい声ではなかった。憂いと悲しみの響きがその声にはあった。
「嫌っているなんて、そんなこと」
「隠さなくてもわかります。訓練の時も任務中も今も、メルド君は私をずっと避けていました」
「いや、それは、だって」
非常識な振る舞いをするから避けていた、とは言えなかった、言えなくさせるくらい、その声は悲しかった。
「いいのです。理由はわかっています。私は獣人族ですからね。嫌われるのは当然です。どんなに努力しても他の種族と仲良くなることは無理なのですね」
目を疑った。ミエルダさんは相変わらず無表情なのだがその瞳が潤んでいる。泣いている? いや、まさか……。
「ごめんなさい、ちょっと夜風に当たってきます」
寝巻と革鎧を重ね着したモコモコの状態でテントの外に出た。着ぶくれしているせいかあまり寒くない。
「考えてみればボクより年下なんだよな」
ミエルダさん、外見は完全に大人の女性だが年齢は十才。まだ子どもだ。らぼに本採用になったのは二年前の八才。そんなに小さい頃から寮で一人暮らしをし、収集課の荒くれ大人たちの中で働いてきたのだ。しかも獣人族は収集課でも数が少ない。王都ではさらに少ない。親しい友人もできなかったのだろう。
「獣人族だから嫌われている、か」
そのような偏見は確かに存在していた。獣に似た特性を持つ獣人族は他の種族よりも下に見られることが多かった。実際、ボクのいた孤児院に獣人族の子どもは一人もいなかった。数年で生殖可能になる種族を保護する必要はないという理由からであったが、彼らに対して排他的な感情があることは否めない。
「心細かっただろうな」
そんな寂しさの中でミエルダさんは努力してきた。獣人族も人族と同じく魔法の術は得意ではない。術を完璧に習得するためにボクとは比較にならないほど修練を積み、絶望し、それでも諦めず技を磨き、今のミエルダさんになったんだ。ボクより二才も年下の女の子が……。
「ああ、ボクはなんて情けないヤツなんだ」
自分の不甲斐なさに腹が立つ。尻穴が怒っている。きっと女神シリアナ様も呆れているのだろう。わかっていないのはミエルダさんだけじゃない。ボク自身も何もわかっていなかった。自分の怠慢を棚に上げて文句ばかり言っていた自分を殴りたい。尻穴が熱い。怒れば怒るほど熱くなってくる。
「こいつら、寝ないのか」
いつの間にかへべれけウサギの密集地に来ていた。月明かりの中で走ったり跳んだりしているのは昼間寝ているヤツらなのだろう。酔っ払いすぎて昼と夜の区別もつかなくなっているようだ。
「ミエルダさんができるんだ。ボクにできないはずがない」
不思議な自信が尻穴に満ちていた。イチゴグミの香りを吸い込まないように息を止めて密集地に足を踏み入れる。へべれけウサギに意識を集中させる。見える。体内に巣食う無数の桃色の輝点。あれを排出させればいいのだ。尻穴に気合いを入れる。穴が燃え尽きても構わない。炎と化した灼熱の尻穴が催便意術の詠唱を始める。
「はあああー、ふんっ!」
気合いの掛け声とともに詠唱が終わった瞬間、密集地のあちこちで「すぽっ、すぽっ」という音が鳴り響いた。まるで爆ぜた煎り豆のようにたくさんの糞が空中を飛び跳ねている。できたのだ。ついに催便意術を完璧に習得したのだ。
「そうだ、糞を集めなくっちゃ……ダメだ、容器を持ってきていない。ああ、もったいない」
唇を噛んで悔しがっていると背後で声が聞こえた。
「収集!」
飛び跳ねていた糞が一斉にこちらへ飛んでくる。振り向くとミエルダさんが容器を持って立っていた。飛んできた糞は吸い込まれるように容器の中へ消えていく。
「ミエルダさん、来てくれたんだね」
「息をするなら下がってください。ここは危険です」
忘れていた。イチゴグミの香りがしない場所まで遠ざからなくては。それにしてもミエルダさんの忠義心には頭が下がる。あんなに邪険に扱ったボクを心配して付いてきてくれるなんて。
「本当に優しいんだな。まるで女神様みたいだ」
しばらくして糞を収集し終えたミエルダさんがやって来た。
「催便意術完璧習得、おめでとうございます」
「ありがとう、ミエ……」
そこまで言って思い出した。新人歓迎会で丁寧な言葉遣いはやめろと言っていたっけ。妹みたいに接してくれとも言っていた。よし、その願いを叶えてやるか。
「君のおかげで大成功さ。ありがとよ、ミエルダちゃん」
――バシッ!
言い終わった瞬間、左頬に強烈な平手打ちが炸裂した。呆然とするボク。
「えっ、何で?」
「馴れ馴れしすぎます。ちゃんって何ですか。まだ呼び捨てのほうがマシです」
「はあ、そうですか。すみません」
獣人心はよくわからないな。やはり今まで通りの言い方にしよう。月明かりに照らされたミエルダさんは相変わらず無表情だったけれど、なんとなく喜んでいるようにも見えた。
催便意術を完璧に習得してしまえば業務遂行の障害になるものは何もなかった。ただ収集術はまだ習得していなかったので、飛び出した糞を集める作業はミエルダさんに任せた。
「ご要望通り、寝袋を持参しました」
二日目からは別々の寝袋で寝た。連絡用伝書鳩でらぼから寝袋を取り寄せたのだ。三日目の夕方に目標達成の目処が付いたので翌日迎えに来てほしいとらぼに鳩を飛ばし、四日目の午後、らぼに戻った。
「二人ともご苦労さん。ところでどうだった」
アルピニイさんが意味ありげな顔で問い掛けてきた。
「どうだったって、何がですか」
「若い男女が三夜も一緒に寝ていたんだ。何も起きないはずがないだろう」
「何も起きていませんよ。下品な妄想はやめてください」
「おや、そうなのかい。つまらないねえ。あんたたちまだまだお子様だね」
尻穴の火照りを感じながら隣に立っているミエルダさんを見上げた。いつものように無表情だったが、少しだけ頬が赤くなっているような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます