初めからうまくいくわけがないのです
らぼへ向かう馬車の中に夕陽が差し込んでくる。一日が終わった。体も心も疲れ切っている。早く寮に帰りたい。布団に潜り込んでぐっすり眠りたい。
「気を落とす必要はありません。催便意術を使わずにこれだけ収集できるとは驚きです。私の予想の五倍はあるでしょう」
「はあ」
ミエルダさんは慰めているつもりなのだろうが、見下されているような気がしてならない。重い心がますます重くなる。
「あの、このペースで集めたら、目標の量に達するのはいつ頃になりますか」
「年が明ける頃になります。納期には絶対に間に合いません」
「うぐっ!」
鋭いナイフのように残酷な言葉が胸に突き刺さる。アルピニイさんと違ってミエルダさんの罵倒には悪気がないから受ける衝撃も大きいんだよなあ。こんなに惨めで恥ずかしくて自分がどれほど無能かを思い知らされた日がこれまでにあっただろうか。一匹目からつまずいていたもんな。思い出すだけで憂うつになる。
* * *
「ツボはこの辺りですね」
ミエルダさんから絶滅危惧種のへべれけウサギを渡されたボクは、うつぶせに寝かせたウサギの腰の辺りを二本指で押した。「すぽっ!」という音とともに糞が飛び出してくるはずなのだが一向に出て来ない。
「あれ、おかしいな。えい、えい」
少しずつ位置をずらして指圧する。ダメだ。ウサギの尻穴からは糞どころか屁すら出て来ない。
「やはり押すだけでは無理でしたか」
「えっ、どういうことですか。さっきは押したらすぐ出てきましたよね」
「実は魔力を込めて押していたのです。へべれけウサギのように低位の生物なら指圧だけでも効果はあると思っていたのですが、ダメでしたね」
ダメでしたね、じゃないでしょ。強制的に脱糞させられなければ自然脱糞を待つしかないってこと? そんな悠長な集め方をしていたら納期に間に合わなくなってしまう。
「どうすればいいんですか。今から催便意術の修練をした方がいいのかな」
「それは最終手段です。今は手軽な方法に頼ったほうがよいでしょう」
ミエルダさんは背負い袋から小瓶と布を取り出した。
「何ですか、これ」
「開発事業部が試作した催便意薬です。小瓶の液体を布に染み込ませ標的にかがせれば、たちどころに便意を催し脱糞します」
半信半疑ながら言われた通りにやってみると、へべれけウサギの鼻先に布を近づけた途端、「すぽっ!」という音がして糞が飛び出した。一粒だけだったが。
「おおすごい。こんな便利なアイテムがあるのなら早く教えてくださいよ。と言うか、ツボ押し法よりよっぽど便利で効果抜群じゃないですか。訓練する必要があったんですか」
ミエルダさんのパンツを半脱ぎにさせたり、体を密着させたり、ボクのパンツを脱がそうとしたあの一連の訓練は何だったんだ。この薬を使えば簡単に脱糞させられるのに。
少し腹が立ったボクはキツメの口調で言ってやった。でもミエルダさんはまるで動じない。
「無用の用という言葉を知っていますか。役に立っていないようでも役に立っていることがあるという意味です。指圧術もいつかどこかで役に立つ時が来ます。さて、このウサギの糞は尽きたようですね。新しいウサギを探しましょう」
なんだかうまくはぐらかされたような気がする。でもまあとにかくこれで糞収集の目処が付いたんだ。余計な詮索をする前に一粒でも多く集めよう。
「うわあ、全然捕まらないや」
この薬を使っても糞の収集はなかなか進まなかった。ほとんどのへべれけウサギは走ったり、ケンカをしたり、意味不明な行動をしていたからだ。酔いつぶれて眠っているヤツなど一匹もいない。最初に遭遇したへべれけウサギが爆睡していたのは、もはや奇跡としか思えない。
「メルド君、相手の行動を予測して追いかけてください。右です。次は跳ねます。横転して股下をくぐります。ああ、逃げられた」
ミエルダさんが捕獲に協力してくれればいいのだが、アドバイスしながらボクの動きを見守るだけだ。アルピニイさんの「できるだけメルド一人に集めさせるんだよ」の言葉を忠実に守っているのだろう。まだ初日だし、仕方ないか。
「太陽が南中しました。お昼にしましょう」
汗をかいたので革鎧の上着だけ制服に着替えて食事をする。食堂が用意してくれたお弁当は麦米豆パンを用いたサンドイッチ。パンはあまり口にする機会がないので新鮮に感じる。
「ここは本当に気持ちがいいね」
日差しを浴びると初冬でも暖かい。草原や遠くの山々を眺めながら食べる食事はいつもとは違った美味しさがある。なんだかピクニックに来ているような気分だ。このまま昼寝したくなる。
「午前中に収集できた糞は約四五粒。絶望的な数字ですね。まあ予想通りですけど」
ミエルダさんの言葉で現実に引き戻された。一匹のへべれけウサギから採取できる糞は四、五粒ほど。十匹くらいしか捕まえられなかったのか。
「一匹ずつ探して追いかける方法ではこれが限界ですよ。ミエルダさんの最初の任務もこの糞収集だったんですよね。どうやって集めたんですか」
「魔術を使って集めました。催便意術は範囲魔法なのでへべれけウサギの密集地で使用すれば一度に大量の脱糞を引き起こせます。さらに収集術を使って全ての糞を一気に容器へ収納し、その後で細菌密度が低い糞を除外しました」
「密集地! そんな場所があるんですか」
「はい。この時期はイチゴグミの木の周辺に集合します。熟したイチゴグミの実はへべれけウサギの大好物ですからね」
「なんだあ。だったら最初からそこで糞を集めればよかったんじゃないですか。どうして教えてくれなかったんですか」
「イチゴグミは人族にとって危険な木の実だからです。メルド君が食べてしまう危険性を考慮し、敢えて教えませんでした」
ミエルダさんはボクを相当な食いしん坊だと思っているみたいだな。食べるのは好きだけど怪しい木の実をいきなり口にしたりしないぞ。
「でもこのままでは全然集らないし、とにかくその場所に連れて行ってくれませんか」
「わかりました。昼食が終わり次第、案内しましょう」
食事を済ませたボクらは雑木林のさらに奥へ進んだ。三町ほど進んだ場所にそれはあった。
「こ、これは凄い!」
桃色の実を付けた低木が何本も並び、その下に百匹ほどのへべれけウサギが寝たり、跳ねたり、転がったりしている。
「ここで催便意術を使えば一度に約五百粒の糞の収集が可能です」
「素晴らしい! ところであのウサギたちイチゴグミを食べようともせずウロウロしていますね。どうしてかな」
「木に登れないからです。跳ねて届く高さの実を食べてしまえば後は熟して落ちてくるのを待つしかないのです。イチゴグミは消化が速く一刻ほどで糞になります。そこで催便意術を使って糞を収集したら木を揺らして実を落としウサギに食べさせます。一刻経過後、また術を使って糞を収集し、実を落としてウサギに食べさせます。勤務時間を考慮して術使用による糞収集は一日に四回ほど。つまり一日に約二千粒の糞を収集できます。密集地はもう一カ所あるので、目標の一万粒は三日もかからず達成……メルド君、どうしたのですか」
「ああ、あの桃色の実、なんて美味しそうなんだろう」
どうしたのか訊きたいのボクのほうだよ。さっきからあの桃色の実が食べたくてたまらないんだ。
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