装備は大切です
青空の下に初冬の草原が広がっている。茶色い穂を付けたススキ草が風に揺れ、遠くに連なる山々の紅葉はもう見頃を過ぎて散り始めている。さらに遠く西北の彼方には雪を頂いた王国最高峰コウモン山がおぼろげに見える。
「それでは夕七ツ頃に迎えに参ります」
ここまで連れてきてくれた馬車の御者が来た道を引き返していく。ボクがいるのは王都の北東に広がる高原地帯。ここに来るのは初めてだ。
「ああ、なんて気持ちのいい場所なんだろう。思いっ切り駆け回りたい気分だ」
「遊びに来ているのではありません。さっさと支度してください」
ミエルダさんは馬車から降ろした荷物を開封し確認している。本来ならボクがやらなければならない仕事だ。景色に見惚れて勤務中だってことをすっかり忘れていたな。これから初めての任務である「へべれけウサギの糞収集」が始まるんだ。尻穴を引き締めて頑張らなくっちゃ。
「すみません、手伝います。何をすればいいですか」
「荷物の確認および背負い袋への収納は終了しました。メルド君は防御服を装備してください」
「防御服? 収集するだけの作業にそんなものが必要なのですか」
「はい。標的はほとんどが野生生物です。収集の最中に襲われないとも限りません。身を守るために必ず防御服を装備する決まりなのです」
「なるほど。万が一の用心ってことなんですね。わかりました」
「では今着ているらぼの制服を脱いで素っ裸になり、この初心者専用防御服を着用してください」
「えっ、ここでですか」
「はい」
どうして今頃言うんだろう。出発する前に行ってくれればらぼの更衣室で着替えられたのに。
「あの、そういうことはもっと早く言ってくれませんか」
「この防御服は着心地が悪いので馬車を降りてから着替えた方がよいと判断しました。馬車での時間を快適に過ごしたくないのであれば明日かららぼで着替えてください」
ミエルダさんなりに気を遣ってくれたのかな。確かに気心地は悪そうだ。
「そうだったんですね。すみません。じゃあ、あそこで着替えますね」
「どうぞ」
東に三町ほど行った場所に雑木林が広がっている。葉は落ちているけど下草や灌木が密生しているので目隠しにはなるだろう。ゴワゴワした防御服を持って雑木林の中へ入り、適当な場所で服を脱ぐ。
「はっくしょん。さすがに風が吹くと寒いな。さっさと着替えよう」
「失礼します」
「わわっ!」
パンツを下げたところで突然ミエルダさんが現れた。下ろしたパンツを急いで引き上げる。
「な、何か用ですか」
「着替えをしに来ました。私も防御服を支給されていますので」
「ちょっと待ってください。着替えている姿を見られないように雑木林に入ったんですよ。ミエルダさんまでここに来たら意味がないじゃないですか」
「着替える姿を見られたくない理由は何ですか」
「恥ずかしいからですよ。獣人族と言ってもミエルダさんは女性なんですから」
「私は少しも気にしていません。さあ、着替えましょう」
何の恥じらいもなく制服を脱ごうとするミエルダさん。ここまで常識が通じないとは思わなかった。
「ミエルダさんが気にしていなくてもボクは気にしているんです。もういいです。わかりました。ミエルダさんはここで着替えてください。ボクはあっちで着替えますから。くれぐれも言っておきますが、絶対に付いて来ないでくださいね」
「了解しました」
脱いだ制服と防御服を持って雑木林の奥へ走る。うう、半裸で走ると寒い。早く着替えを済ませよう。
「この、服、なんだか変わっているな」
下着と一体化したパンツと上着は革製だ。上着は長袖で、分厚い肩当てと胸当てが装着されており、裾は下腹部を保護するように大腿上部を覆っている。下は普通の革製パンツだ。
「まるで革鎧を装備した駆け出し冒険者みたいだな」
脱いだ制服と下着を持ってミエルダさんの元へ戻る。こちらもすでに着替え終わっていた。
「へえー、カッコイイですね」
ミエルダさんの防御服は布製ではあるものの、上衣は分厚い革と金属で補強されており、動きやすく衝撃にも強そうだ。薄布で覆われた脚には膝当てとブーツが装着されている。
「それでは糞の収集に取り掛かりましょう」
「ちょ、ちょっと待ってくれませんか」
「何でしょう」
「あの、ボクのパンツ、尻の部分にスリットが入っていて、ちょっとスースーするんですけど。これはもしかして不良品ではないでしょうか」
「不良品ではありません。そのスリットは業務の最中でも容易に尻穴を露出できるようにわざと作られているのです。収集課の全ての防御服に共通する特徴です」
尻穴を容易に露出? つまり収集作業中に便意を催したら、装備を脱がず作業しながら脱糞しろってことなのだろうか。そんなにハードな収集作業ってちょっと想像できないな。
「他に質問がなければ作業を始めます。付いて来てください」
荷物を入れた袋を背負って雑木林の奥へ進む。しばらく行くと大の字になって寝ているウサギを発見した。よだれをたらしている。馬車の中で読んだへべれけウサギの特長と同じだ。こいつのウンコを集めればいいのか。何だか簡単そうだな。
「まず私がお手本を見せましょう。背負い袋には百粒用、五百粒用、千粒用の収集容器が入っています。今は一番小さい百粒用でいいでしょう。取り出して待機してください」
指示に従って百粒用収集容器と木製のつかみ箸を手に持つ。ちょっと緊張してきた。
「へべれけウサギの催便意ツボはこの辺りです」
ミエルダさんはへべれけウサギをひっくり返してうつ伏せにすると尻尾のやや上の部分を二本指でグッと押した。
すぽっ!
小気味よい音とともに、へべれけウサギの尻穴から丸い粒が二個、空中へ発射された。急いでつかもうとしたがミエルダさんの声がそれを止めた。
「収納する前に糞を観察してください。収集するのは腸内細菌密度が一定以上の糞だけです。メドル君、細菌認識術をお願いします」
「わかりました」
草の上には茶色と桃色が斑模様になった糞が二粒落ちている。気を落ち着けて意識を集中させる。らぼに仮採用されてから毎日欠かさず行ってきたので、今ではウンコをするよりも容易に術を発動できる。
「おお、これは!」
驚きの光景だった。糞全体を桃色の輝点が覆っている。これほど細菌を多く含む糞は見たことがない。
「この時期、へべれけウサギの糞に含まれる腸内細菌の割合は体積比で五割を超えます。そのほとんどがアルコールを生成するふんにょー酵母です。収集対象となるのは体積比四割以上のふんにょー酵母を含む糞です。この糞は五割以上あるようなので合格です」
ミエルダさんも細菌認識能力があるのか。まあ収集課に配属されたんだし当然だよな。
「あれ、輝点の数が徐々に減っていきますよ」
「この細菌は高温には強いのですが低温には弱いのです。現在の気候ですと一分刻で半減し三分刻で完全に死滅します」
だから馬車の中で読んだテキストには「落ちている糞は対象外。脱糞直後の糞を素早く容器に収納すること」と書いてあったのか。じゃあこの糞はもうダメかな。
「容器の中はへべれけウサギの腸内と同じ環境に保たれています。収納後は二重蓋をキッチリ締めてください。他に質問は?」
「ありません」
「では実際に作業をしてみましょう。メルド君、このウサギをもう一度脱糞させて糞を収集してください」
ミエルダさんがへべれけウサギをボクに渡した。しかしよく寝ているなあこいつ。こんな生態でよくも今まで絶滅しなかったもんだ。
「これじゃ肉食動物の格好の餌食ですね」
「このウサギに天敵はいません。体内に吸収されたアルコールは肝臓で処理された後、猛毒となって内臓、筋肉、皮などに蓄積されるため、食べたら死ぬからです。でもその毒のせいか繁殖能力が極めて低く、王国の絶滅危惧種生物リストに登録されています。優しく扱ってください」
「はい!」
正職員となって初めての任務だ。今日一日で全ての容器をいっぱいにしてアルピニイさんをびっくりさせてやる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます