第三話 初任務前途多難
仕込みのための腸内細菌
王国の各地にはたくさんの酒造所があり、その地方独自の清酒、発泡酒、蒸留酒などを製造している。
王都には一軒の酒造所がある。王都誕生以前からこの地で酒造りを生業としてきた老舗中の老舗「黄金水酒造」だ。王国全土で愛飲されている銘酒「黄金水」はここで作られている。
その希少さゆえに庶民の直接購入は認められておらず、至高の酔いを楽しみたいのであれば取引のある居酒屋や高級食堂へ行くしかない。言うまでもないが王族や華族は例外であり、生産される黄金水の六割は高貴な方々のお屋敷で消費されているらしい。
「その黄金水だけどね、数十年ほど前から格段に風味が増して美味しくなったと評判なんだよ。理由はわかるかい」
「未成年のボクにわかるはずがありません」
新人育成プログラムを無事終了した翌週の朝、ボクは課長室で今週から始まる新しい業務の説明を受けていた。アルピニイさんと一対一で向かい合うとかなり緊張する。ミエルダさんとは真逆で感情が顔にも声にもモロに出るからなあ。
「なんだいその口の利き方は。勉強不足で申し訳ありませんくらい言えないのかい」
「勉強不足で申し訳ありません」
「そうそう、上司の前では謙虚に振る舞いな。で、黄金水の話に戻るけどね、美味しくなった理由は新しい酵母を使って醸造したからなんだよ。うちの事業部の細菌研究課が発見した腸内細菌、ふんにょー酵母零号。現在は純度を上げてふんにょー酵母五号まで進化しているけど、こいつのおかげで黄金水の名声はさらに上がったのさ。あの香り、あの旨み、あの酔い心地、たまらん!」
「はあ、そうなんですね」
嬉々として説明するアルピニイさん。よっぽど酒が好きなんだな。聞かされているこちらは少しも面白くないけど。
「おまえの初任務はこの酵母を収集することだ。頼んだよ」
「はあ?」
話が飛躍しすぎだろう。どこでどうやって収集しろって言うんだ。
「はあ? じゃない。さあ、行け! すぐ仕事に取り掛かれ。酵母がなくては酒の仕込みができないんだからさ」
「ちょっと待ってください。ボクが収集するのは糞尿のはずです。酵母収集なんて話、聞いていません」
「ちっ、そこから説明しなきゃいけないのかい。面倒だね。ちょっと待ってな」
アルピニイさんは魔法端末を手に取ると「課長室へ来い」とだけ言った。ほどなくミエルダさんがやって来た。
「何か御用でしょうか」
「黄金水のアレ、説明してやんな」
「かしこまりました」
だったら最初からミエルダさんと三人で打ち合わせをすればいいのに。アルピニイさんって要領悪いなあ。
「ふんにょー酵母はある生物の腸内細菌です」
ミエルダさんの説明は簡潔明瞭ですぐ理解できた。王国北東部に広がる高原にへべれけウサギという生物が生息している。外見は普通のウサギだが年中酔っ払ったような行動をしているのでへべれけウサギと呼ばれているのだ。そのへべれけ具合は秋から冬にかけて特にひどくなる。意味もなく争ったり、雄同士で交尾しようとしたり、崖から大ジャンプをしたり、もはや正気を失っているのではないかと思えるほどだ。
「昨晩、女神シリアナ様が夢枕に立たれた。謎を解くカギは糞尿にある」
今から五十年以上前、開発事業部の中でも特に信心深い研究者が「夢で見た」というだけの理由で北東部高原地帯へ赴き、へべれけウサギの糞尿を採取、詳しく分析した。そして糞の中に特殊な腸内細菌を発見した。
驚くべきことにこの腸内細菌はウサギが摂取した食物を利用して腸内でアルコールを生産していたのだ。へべれけウサギは酒を飲まずとも自分の腸の中で作り出された酒によって酔っ払っていたのである。
秋から冬にかけて酔いがひどくなるのは寒冷地だけに実るイチゴグミという木の実のためだ。イチゴグミが体内に入るとこの腸内細菌だけが大繁殖し、生産されるアルコールの量が飛躍的に増加する。その結果、普段はほろ酔い程度のへべれけウサギが酩酊状態に陥ってしまい、異常行動が引き起こされていたのだ。
「へべれけウサギの糞から精製されたこの腸内細菌で酒を醸造してみたところ、これまでにないふくよかな風味の仕上がりになりました。それ以来、銘酒黄金水はこの腸内細菌を使って作られています。」
「なるほど。つまりボクの任務はそのへべれけウサギの糞の収集ってことなんですね」
「そうだよ。やっとわかったのかい。頭の回らない坊やだね。うちの課に配属された新人の初任務はへべれけの糞集めって決まっているのさ。ミエルダは二年前にしっかり遂行できたけど、おまえにはちょっと荷が重すぎるかもね、ははは」
アルピニイさんの口の悪さにもだんだん慣れてきた。いちいち反論していたら疲れるので聞き流すことにしよう。
「でも今から集めて醸造に間に合うんですか。酒造りって十月頃から始まるんでしょ」
再びミエルダさんが説明する。
「新人が収集するのは醸造所に納品する酵母の一割もありません。足りない分は他の職員が集めます。九月中旬から開始された収集により、すでに九割五分の納品が完了し醸造が始まっています。メルド君の分担は糞一万粒ほどですが今年最後に仕込みをするための大切な酵母です。納期に間に合うよう頑張って集めてください」
安心した。いくら何でも業務の全てを新人一人に任せるのは無謀すぎるもんな。
「で、そのウサギのいる高原はどこにあるんですか。遠いんですか」
「いや、馬車で一刻ほどさ。今日から毎日日帰りで通ってもらう。ただ昼食のためにらぼへ戻れるほど近くはないからね、弁当持参で行きな。その他にも、収集容器、救急箱、連絡用伝書鳩など必要なものは事業部の総務課に用意してある。出発前に寄って持って行きな。他に質問は?」
「ん~、ありません」
「質問、よろしいでしょうか」
ミエルダさんが挙手した。説明係が質問とは、珍しいこともあるもんだ。
「何だ」
「メルド君ひとりで任務に当たらせるのですか」
「そのつもりだが」
「収集課の技術系に配属された人族は彼が初めてです。しかも年少で魔法の才能がなくらぼに本採用されたのが奇跡的と思えるほどの底辺職員です。補佐を付けるべきではないでしょうか」
なんだか物凄くバカにされているような気がする。ミエルダさんに悪気がないのはわかっているんだけどね。
「甘いね。最初からビシビシ鍛えないでどうするんだい。それでなくても通常の新人の半分程度のノルマしかないんだ。この程度の任務を一人で達成できないようなら収集課にはいらないよ」
「納期のことをお忘れですか。発注された量の酵母を期日までに納品できなければ違約金が発生し、らぼの信用はガタ落ちです」
「無理だとわかれば職員総出で収集に当たればいいだろう」
「そんなことをするくらいなら最初から補佐を付ければよいのではありませんか。メルド君だけでは目標とする量の糞を集められないのは確実なのですから」
「……」
アルピニイさんが考えている。上司に向かってここまで意見が言えるとは、ミエルダさんって相当肝っ玉が太いんだろうな。
「一理あるね。わかった。補佐を付けよう」
「ありがとうございます。その補佐の人選ですが是非とも」
「それ以上は言わなくていい。あんたに任せるよ。どうせダメだと言っても手伝うつもりだったんだろう」
「その通りです」
「ただしできるだけメルド一人に集めさせるんだよ。これは訓練も兼ねているんだからね」
「はい」
よかった。ミエルダさんが一緒なら心強い。これで初任務も余裕でクリアできそうだ。
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