心変わりはあなたのせい
ボクに細菌認識能力があることを認め、ふんにょーらぼ採用への道を開いてくれたのはダークエルフのアルピニイさんだ。感謝してもしきれない大恩人ではあるのだが最近は見方が変わった。アルピニイさんが開発事業部収集課の課長だと知ったからだ。ボクがこの部署へ配属されたのはアルピニイさんの意図によるところが大きいのではないか、そんな考えにずっと囚われ続けている。
「女々しいって、ニィアォさんのことですか。そんなの当たり前でしょう。実習期間中はずっと一緒だったし、懲罰房にぶち込まれている時は毎日会いにきてくれたんです。それなのに何も言わずに突然いなくなったんですよ。簡単に忘れられるはずがありません」
「そうかいそうかい、悲しいのかい。じゃあ飲みな。銘酒黄金水のひやおろしだ、ほれ」
まだ果汁飲料が残っているコップへ強引に酒を注ぐアルピニイさん。かなり出来上がっているようだ。
「やめてください。ボクは未成年なんですよ。お酒は二十才になってからって規則を知らないんですか」
「ふんにょーらぼは治外法権だ。あたしが許す。飲め。飲んでないのはあんたとミエルダだけだ。職場の和を乱したくなければ飲みな」
そりゃそうだよ。ボクら二人以外は全員二十才を超えているんだから。つまりそれだけの年長者でなければ開発事業部の収集業務は遂行できないってことでもあるんだろうな。ますます先行きが不安になってきた。
「ここは治外法権ではありませんし、あなたが許しても国が許してくれません。新人をからかうのはそれくらいにしてはいかがですか、アルピニイさん」
ミエルダさんが止めに入ってくれた。自分の名前が出たので気に障ったのだろうか。相変わらず無表情なので心の内はまったくわからない。
「へえー、後輩を気遣う先輩かい。自分の役割がわかっているようだね。感心感心。ご褒美だ。一杯飲みな」
今度はミエルダさんに飲ませようとする。課長という役職に徳の高さは必要ないようだ。
「アルピニイ課長にお聞きしたいことがあります。よろしいでしょうか」
「何だい」
「メルド君がこの部署へ配属になったのは課長の差し金だと聞きました。本当ですか」
うわっ、ボク本人でさえ遠慮していた質問を平気でぶつけてきた。ミエルダさん、怖いもの知らずだな。
「どうしてそんなことを訊くんだい」
「メルド君がそのような疑念を抱いているからです。無用な雑念は早急に取り除き、業務に専念させる必要があると判断しました」
えっ、そんなこと一言も言ってないぞ。まさか心を読める術の保有者? だとしたらヤバすぎる。
「ふっ、ここまで面倒見がいいとは予想外だったよ。あんたを教育係にして正解だったね。人事に関してはむやみに口外できないんだけど、まあ酒の席だし、秘密にしておくようなことでもないから教えてあげるよ。新人の配属先は実習を担当した指導官の推薦でほぼ決まるんだ。あたしや他の役職者の意思はほとんど反映されない」
この言葉には黙っていられなかった。思わず語気が強くなる。
「ニィアォさんがボクをこの部署に送り込んだって言うんですか」
「そうさ。先月の実習を思い出してみな。開発事業部の話ばかりしていなかったかい?」
言われてみればそうだった。十月は肥料以外の糞尿活用についての話が多かったし、よく飲んでいた尿酸菌飲料や、奥さんが持たせてくれたふわふわ菓子も開発事業部の製品だ。
「希望する部署に行けなかったボクに責任を感じて、それで退職したと思っていたのに……」
「おまえの配属と退職は関係ない。食堂で働いている嫁が若いからニィアォも若く思われがちだがあれで結構な年齢なのさ。鉱山を引退して退屈している時にらぼに誘われて、それなら老後の暇潰しでもするかという感じでここに来たようなものだったからね。当初は十年間の契約だった。それが二十年近く働いちまった。なぜだかわかるかい」
「見当もつきません」
「合格者が出なかったからだよ。ニィアォは十二年前から実地研修の指導官を務めるようになったんだが、担当した新人はひとりも本採用にならなかった。それがよほど情けなかったんだろう。合格者が出るまでは退職できないと言って毎年契約を更新し続けたんだ。そして今年ようやくおまえが合格した。これで思い残すことはないと職を辞した、そういうことだ」
重苦しかった気持ちが少し軽くなった。ニィアォさんの長年の望みを叶えてあげられた自分が誇らしく思えた。だけどそれならどうしてニィアォさんはボクの望みを叶えてくれなかったのだろう。
「王都を回って糞尿を集める仕事はおまえに合っているって言ってくれていたのに。結局、ボクの気持ちなんてどうでもよかったのかな」
「種族に関係なく心は移ろいやすいものさ。だからこそ世の中は面白いんだ。さあメルド。終わったことをいつまでもグチグチ考えていないで、新しい職場で頑張ることを考えな。ここには王都の糞尿集めにはない別の楽しさがいっぱいあるんだからさ」
背中で大きな音。また叩かれたみたいだ。アルピニイさんの言う通りかもしれない。どんなに考えたところで過去は変えられない。ならばこの部署で頑張るしかない、そう思い始めたボクだったがミエルダさんはまだわだかまりが残っているようだった。
「ニィアォさんの心変わりの原因は課長にあるのではないですか」
「どういう意味だい」
「課長が何らかの働きかけをしたからニィアォさんは推薦する部署を変更した、その可能性も捨てきれないと言っているのです」
アルピニイさんの表情が険しくなった。凄い目付きでミエルダさんを睨み付けている。それでもミエルダさんは石像のように無表情だ。相当図太い神経の持ち主みたいだな。
「ふふふ、ははは。まったく獣人族ってのはカンがいいね。恐れ入ったよ」
「恐縮です。先祖代々受け継いできた野生のカンは現代でも健在なのです」
「いいさ、こうなったら洗いざらい話しちまうよ。そうさ、ニィアォに教えてやったんだよ。メルドにはウイルス認識能力があるってね」
「ちょ、ちょっとアルピニイさん、それは」
慌てた。ウイルスの存在は公にはされていない。らぼの新人教育用教科書にさえ記載されていない極秘事項だ。こんな大衆の面前で口にしていい言葉ではない。
「うろたえるなメルド。開発事業部の技術系職員は全員ウイルスを知っている。それも研究対象なんだからね」
「あっ、そうなんですか。そうですよね」
さすがエリートの集まる開発事業部。世間一般の常識はここでは通用しないようだ。
「一部の職員にしか知らされていない情報を一般職員に漏らした動機を教えていただけませんか」
「指導官が実習生の能力を正しく把握していないからさ。そんな状態で配属先を決められてしまったら、らぼにとっても実習生にもとっても不幸だろう。だから教えたんだ。ニィアォは驚いていたよ。ウイルスなんて言葉すら知らなかったんだからね」
「なるほど。よくわかりました。メルド君、これで納得できましたか」
「はい。やはりアルピニイさんの仕業だったんですね」
ニィアォさんも相当悩んだはずだ。ウイルス認識能力保有者はらぼに数名しかいない。そのような者に王都の糞尿収集をさせるのはドラゴンにウサギを狩らせるようなものだ、きっとそう考えたのだろう。ボクの意思に反してまで違う部署を推薦したのはボクを大切に思ってくれたからこそだ。不満など抱いては女神シリアナ様の罰が当たる。
「今はニィアォさんにお礼をいいたい気分です」
「よし。これで一件落着だね。来週からは本格的に新人育成プログラムが始まる。しっかりやんな。ああ、それから」
アルピニイさんがボクの耳に顔を近づけた。酒臭い。やはりかなり飲んでいるようだ。
「おまえのウイルス不活性化能力については他言無用だ。知っているのはあたしとタカノメだけだ。いいね、絶対他のヤツに漏らすんじゃないよ」
殺気のこもった凄みのある声がボクの耳にささやかれた。尻の穴が恐怖ですぼむ。
「は、はい」
「あ~、まだまだ飲み足りないね。誰か付き合っておくれ~」
陽気な声をあげてアルピニイさんは別の席へ移動した。ほっと一息ついた後、頭を下げて礼を言った。
「ミエルダさん。ありがとうございます。ボク一人だけだったらアルピニイさんからこれだけの情報を引き出せなかったでしょう。おかげでずっと続いていた心のもやもやがすっかり晴れました」
「メルド君の教育係として当然のことをしただけです。業務が上の空になっては困りますからね。ところで最後に内緒話をしていましたよね。何を聞かされたのですか」
「そ、それは、えっと、収集課職員としての心構えなどを教えてもらったのです」
「メルド君はウソが下手ですね。言いたくないのならそう言ってください。私はこれで帰ります。また来週」
ミエルダさんは無表情のまま食堂を出て行った。なんだか何もかも見透かされているような気がした。
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