第二話 新しい職場

歓迎会は無礼講

 ふんにょーらぼの研究棟には食堂が四つある。

 その中で一番広くて人気があるのは研究棟五階食堂だ。その名が示す通り五階にあるので見晴らしがいい。さらにとりの正刻を過ぎるとアルコール類が提供される。その種類はらぼの食堂の中で断トツに多いので毎晩アルコール愛好家の溜まり場となっている。別名居酒屋食堂だ。


「酒の何が美味しいんだろう。さっぱりわからないや」


 そして今ボクはその研究棟五階食堂にいる。本日の勤務終了後、開発事業部収集課の新人歓迎会が開かれたからだ。ちなみに今年この課に配属されたのはボクだけである。二年振りの新人らしい。


「こんな部署に配属されるなんてなあ」


 周囲を見回すと憂うつになってくる。ふんにょーらぼでは様々な種族の職員が働いているが半数は人族だ。しかし収集課の人族は極端に少ない。職員の九割がエルフ族とドワーフ族、一割が獣人族、人族は数えるほどしかいない。この部署で必要とされるのは人族が苦手とする魔法術や図抜けた体術を会得した者だからだ。当然ながら今日の歓迎会に出席している人族はボクだけである。居心地の悪さを感じながらひとりで果汁飲料を飲んでいると、あの日の衝撃が頭の中に何度もよみがってくる。


「うわああー、ウソだウソだあー」


 本採用合格と配属先を通知された九日前、気が動転したまま孤児院から飛び出したボクは王都の自由教会へ向かった。礼拝堂の床にひざまずいて四半刻ほど女神シリアナ様に祈りを捧げ、ようやく冷静さを取り戻すと、すぐさまらぼに戻った。


「この書類、書き間違えています」


 筆記試験合格点スレスレのボクが開発事業部に配属なんてどう考えてもおかしい。これはラボ側のミスだ。そうに決まっている。ならば訂正してもらおう。

 王都の礼拝堂でこのような結論に達したボクは人事部人事課採用係に直行した。出てきたのは採用試験の面接で司会を務め、採用通知兼辞令書をボクに手渡した職員だ。


「おや、メルドさんではありませんか。何が間違っていると言うのですか」

「配属先です。開発事業部ではなく製造事業部のはずです。訂正してください」

「しばらくお待ちください」


 職員は紙を受け取ると分厚い帳面をめくって比較検証を始めた。さらに魔法端末を用いて誰かと会話を始めた。丁寧な仕事ぶりは好感が持てるがこんな単純ミスを仕出かすとは。優秀なラボの職員にあるまじき失態である。やがて窓口に戻ってきた。


「お待たせしました。残念ながらこれは間違ってはおりません。メルドさんは十一月一日より開発事業部収集課に勤務してください」


 あり得ない返答を聞かされて頭に血が上った。尻穴も怒りで充血している。


「バカげています。ふんにょーらぼは何を考えているんですか。ボクが開発事業部だなんてムリに決まっています」

「そこまでお嫌なら採用を辞退されてはいかがですか。手続きは今、この場でできますよ」


 そうしようかと一瞬考えた。だが孤児院のみんながボクの採用を祝ってくれたのだ。採用辞退などできるはずがない。


「いえ、辞退はしません。辞令に従います」


 そう言って引き下がるしかなった。


「ボクにやっていけるだろうか」


 寮に戻っても不安しかなかった。らぼの数ある事業部の中で最も優秀な人材が集まっている部署、それが開発事業部だ。その主な業務は新製品の開発である。

「糞尿の肥料化」それがらぼ設立の目的であり前国王の悲願でもあった。細菌発酵という手段の発見とその後の創意工夫によって、現在製造されている肥料の品質は女神様の聖水製肥料の八割ほどの性能を誇るまでになっている。さらに製造法を公開したことにより大規模農家や各地の領主が人糞肥料の製造を開始している。らぼ設立の目的はほぼ達せられたと言っていいだろう。それは同時にらぼの存在意義の消失でもある。


「らぼを存続させていくには肥料以外の活用法を見出さねばならない」


 という意見によって立ち上げられたのが開発事業部である。ブロックのように低品質の糞を建材に加工する試みは製造事業部において早くから取り組まれていた。しかし開発事業部はまったく別の視点で糞尿を取り扱っている。腸内細菌の活用だ。


「世界には多種多様な生物が生息している。それはまた多種多様な腸内細菌が生息していることでもある。糞尿肥料は細菌を利用して製造された。発酵飲料、発酵食品、発酵調味料なども細菌という名称すら知られていなかった大昔から細菌の力を借りて作られている。腸内細菌の活用、これこそが我々の取り組むべき次の課題である」


 様々な腸内細菌を研究するためには様々な生物の糞尿を収集しなくてはならない。その役割を担っているのが開発事業部収集課なのだ。


「糞尿を集めるって点は同じだけど、なんだか骨が折れそうな仕事だよなあ」

「少しは慣れましたかメルド君」


 ひとりで愚痴っているボクの横から話し掛けてきたのは同じ課の先輩でボクの教育係を押し付けられた獣人のミエルダさんだ。奇遇にも初対面ではなかった。九日前、孤児院へ合格の報告をしに行く時、たまたま駅馬車で一緒になった獣人女性がミエルダさんだったのだ。


「入って一週間ですからね。まだ右も左もわからない状態です」

「それは困りましたね。来週からは本格的な業務が始まります。お客様気分は今日限りで捨ててください。ところで」


 ミエルダさんが顔を近づけた。言葉遣いと同じく蝋人形のように無表情な顔だ。ここまで感情が欠落していると無生物と会話しているような気がして恐怖すら感じてしまう。頭の上に生えている耳だけは可愛いんだけどな。


「ところで、何でしょうか? ミエルダさん」

「そのミエルダさんという呼び方はいつ変えていただけるのですか。その丁寧な言い方もやめてください。私はメルド君より年下なのです。もっと気安く接していただいても一向に構いませんと何度も申し上げているはずですが」


 そうなのだ。ミエルダさんの外見は完全に成獣女性だが年齢は十才、ボクより二才下だ。しかもらぼに入所したのは八才の時だったらしい。自己紹介を聞いた時は本当に驚いた。


「競馬をご存じですか。競走馬の旬は四才。四年で成熟するのです。しかも頑張れば二才から生殖が可能になります。それほど獣人族は体の成長が早いのです。だからと言って内面まで成熟しているわけではありません。見た目よりもずっと若いのです。ですから敬語など使っていただかなくても結構です。妹のように接してください」


 と言われたのだが、身長はボクより高いし孤児院のシスターよりも女性らしい体付きをしているし、何より職場では二年先輩である。しかもミエルダさん自身が丁寧な口調で話し掛けてくるので、こちらもつい丁寧に受け答えてしまう。


「はい。わかっています。でも今はまだ教えていただく立場です。一人前の職員と認められるまで友だち口調は使うべきではないと思っています」

「そうですか。では早く一人前の職員になってください。」


 ミエルダさんの顔が遠ざかる。張り詰めていた緊張の糸がほぐれる。いい人なのはわかっているけどどうしても身構えてしまう。

 そういえば実地研修を担当してくれたニィアォさんも最初はこんな感じだったっけ。髭面の顔は「ウンコしね子は居ねがー」と言いながら悪い子を懲らしめる絵本のオニハゲそっくりで、まともに顔を見ることもできなかった。それなのに実習の後半には実の父親みたいに頼れる存在に変わってしまっていた。ミエルダさんも時間が経てば気軽に話し合える同僚に変わるのだろうか。


「ニィアォさん、らぼを辞めて何をしているんだろう」

「女々しいヤツだねえ。まだそんなことを言っているのかい」


 背中をドスンと叩かれた。振り向くまでもない。声の主はアルピニイさんだ。

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