一番先に伝えたい人

 王国の交通で一番発達しているのは駅馬車だ。

 メインの路線は王都を貫いて東の森と西の森を結ぶ東西線。便も利用者も王国最大だ。二番目は王都と南の海を結ぶ南海線。夏には海でバカンスを楽しむ行楽客で大混雑になる。最後は王都と北の山脈を結ぶ北山線。ここを利用するのは専ら鉱山の関係者だ。冬には湯治客も多くなる。ただ他の路線に比べれば利用者は少ない。

 王族が直接運営しているのはこの三路線だが、他にも地方には短い路線がたくさんある。それらはその土地の領主が運営しているのだ。


「まだかな、まだかな」


 ボクはらぼの停車場で駅馬車を待っていた。王都まで歩いていけないこともないが一刻も早く吉報を届けたかったのだ。


「おや、こんな時刻に王都へ用事ですか?」


 背後から声を掛けられた。頭に耳を生やした獣族の女性が無愛想な表情で立っている。ボクと同じく私服だが襟章を付けているのでらぼの職員だろう。


「あっ、はい。孤児院に用があって」

「奇遇ですね。私も用事で近くまで行くのです。よければご一緒しましょう」


 やがて駅馬車が来た。女性と一緒に乗り込む。客はボクらだけだ。


「あなた、らぼの職員ですか」

「ええ、まあ」

「らぼの職員が孤児院に何の用なのですか」


 言葉遣いは丁寧だが実に不躾な質問だ。初対面の相手にそこまで訊くだろうか。慇懃無礼とはまさにこのことだろう。

 無視するわけにもいかないので簡単に事情を話す。たった今、本採用試験の結果が発表されたので、お世話になった孤児院へ報告に行くのだと教えると、なるほどという顔をしてうなずいた。


「それで、合格だったのですか。それとも不合格?」

「えっと、……ごめんなさい。それを最初に教える人は決まっているんです」

「おやそうですか。それは失礼」


 それからはもう何も話し掛けてこなかった。駅馬車は王都止まりだったので北門で巡回馬車に乗り換えた。


「私はここで降ります。またらぼで会えるといいですね」


 無愛想な獣人族女性は王立中央図書館で降りた。きっと事務系の職員だな。二度と会うことはないだろう。

 やがて巡回馬車は目的の停車場に到着した。


「妙に懐かしく感じるな」


 ここへ来るのは九月の飲尿水ぶちまけ事件以来だ。まだひと月半ほどしか経っていないがずいぶん久しぶりのような気がする。

 門をくぐって庭に入ると歓声が聞こえてきた。


「あっ、メルドだ」

「本当だ。わー、メルドが来たぞー」


 ここにいる子どもの半数がエルフ、またはダークエルフだ。幼く見えてもボクより年上なので呼び捨てである。


「みんな、元気にしていたかい。はい、おみやげ」


 持参したカバンからフワフワ菓子を取り出した。今日の朝食後、ニィアォさんの奥さんが持たせてくれた。糖と炭酸ガスを生成する腸内細菌を利用してらぼの開発部が試作したものらしい。口に入れるとほのかな甘みを残して雪のように消えてしまうなかなかの一品である。


「わーい、ありがとう。みんなあ、食べよう」

「仲良く分けて食べるんだよ」


 菓子を受け取った子どもたちが施設の中に消えると、代わりに院長先生が姿を現した。


「いらっしゃいメルド。今日が発表の日でしたね」

「こんにちは院長先生。それで、あの、フェイはいますか」

「もちろんです。朝からずっとあなたが来るのを待っているのですよ。応接室にいます。さあ、早く報告してあげなさい」


 何も言っていないけど院長先生には結果がわかっているようだ。感情がすぐ顔に出てしまうから当然かもしれない。きっと今のボクは世界を征服した魔王みたいな顔をしているのだろう。


「ようこそ、メルド」


 応接室にはフェイがひとりで座っていた。その姿を見ただけで癒やされる。まるで女神シリアナ様が現世に降臨したかのようだ。


「フェイ、待たせたね」


 ボクはカバンから採用通知兼辞令書を取り出すとはっきりとゆっくりと読み上げた。


「メルド・ユライン殿 フン暦二二二年十一月一日をもって貴殿を正式に採用するとともに開発事業部収集課勤務を命じる。フン暦二二二年十月三一日 王立糞尿研究開発機構ふんにょーらぼ」

「メルド、おめでとう!」


 手を叩いて喜ぶフェイ。ああ、この声、この笑顔。これ以上のご褒美があるだろうか。しかも配属先は希望通りの収集課。あれこれ思い悩んでいた自分がバカみたいだ。結局全て自分の思い通りになったのだから。


「ありがとう。君には誰よりも先に合格の報告をしたかったんだ。だって君はボクのために……」

「おめでとー!」

「メルド兄ちゃん、やったねえー!」


 ボクの言葉は応接室に雪崩れ込んできた子どもたちの歓声にかき消されてしまった。名前に「兄ちゃん」を付けて呼んでくれるのは人族の子どもだ。フェイと同じく子どもたちもボクの報告を待っていたのだろう。


「ねえ、こっちへ来て」

「早く食堂へ行こうよ」


 子どもたちに手を引っ張られて食堂に入ったボクは感動で胸がいっぱいになった。天井と壁には紙と布で作った装飾が施され、正面に「祝! ふんにょーらぼ本採用」と書かれた横断幕が掲げられている。そしてテーブルには孤児院では決して見ることのできないご馳走が並んでいた。


「これ、ボクのために用意してくれたんですか、院長先生」

「そうですよ。昨日からあなたを喜ばせるために子どもたちみんなで飾り付けをしたのです。料理はうんこ小路うじさんが寄付してくださいました。あなたへのお祝いの品だそうです」


 そう言われると確かに見覚えのある料理ばかりだ。ご馳走三昧だったうんこ小路うじ家での十日間を思い出す。


「昨日からって、気が早いな。もし不合格だったらどうするつもりだったんですか」

「そんなことは考えもしませんでした。あなたが合格できないなんてあり得ないことですから」


 お世辞だとしてもここまで持ち上げられると恥ずかしくなる。でも院長先生のことだからお世辞ではなく本気で言っているのかもしれないな。


「さあ、お昼には少し早いですが、みんなでいただきましょう」


 それからの時間は本当に楽しかった。目を輝かせて料理を食べる子どもたち。フェイとの他愛ないお喋り。院長先生やシスターたちの笑顔。七カ月の苦労が報われたような気がした。


「ねえメルド。実はあたしもあなたに報告することがあるの」


 隣に座っているフェイが意味深な表情でこちらを見つめている。胸が高鳴った。


「報告すること? 何?」

「知りたい?」

「もちろん知りたいよ」

「今はまだ秘密。うふふ」

「えー、フェイは意地悪だなあ」


 まるで小悪魔にもてあそばれているような気分だ。外見は子どもでも中身は五十才のエルフ。当然かもしれない。


「明日からさっそくお仕事なんでしょう。頑張ってね」

「うん。だけど今までと同じ収集作業だし指導官だったニィアォさんもいるからすぐ慣れると思うよ」

「えっ、ニィアォさんって……」


 フェイの言葉が途切れた。戸惑っているような表情。どうかしたのだろうか。


「あなたは聞かされていなかったのですね、メルド」


 いつの間にか院長先生が傍らに立っていた。


「聞かされていなかったって、何をですか?」

「ニィアォさんは今月いっぱいでふんにょーらぼを退職されるのです。故郷の村へ帰るそうですよ」

「そんな!」


 知らない。聞いてない。そんなことニィアォさんは一言も言っていなかった。


「それからあなたは勘違いをしています。配属先は開発事業部収集課なのでしょう」

「はい」

「それなら今までと同じではありません。王都の糞尿収集は製造事業部の受け持ちですからね」

「ええっ!」


 急いでカバンを開けて採用通知兼辞令書を引っ張り出す。本当だ。開発事業部収集課になっている。嬉し過ぎて勝手に製造事業部だと思い込んでしまっていたんだ。


「ボクは、ボクはなんて大バカ者だったんだ。一人で浮かれていい気になって、くそっ!」


 我慢できずに食堂を飛び出した。フェイや子どもたちやシスターの声は耳に入らなかった。孤児院を出たボクは王都の中を闇雲に走った。誰もいない場所に行きたい、しばらくそこで一人になりたい、それだけを考えていた。





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