魔女と少年の使い魔

雀村

魔女と少年の使い魔



魔女プルウィアは言葉を紡ぐ伝道師。不死の体を持ち原初の記憶を宿す者。

王家スライラダの初代宮廷魔術士であり、建国者の愛人であったとも噂される人物だ。


プルウィアは儚い姿をしている。一夜だけ咲く艶やかな花にも見えるし、コックが奇跡で創り上げた精密な飴細工にも見える。

その姿を見たものは息を呑む。一人の例外もなく全員が。


それを彼女自身も知っている。美しさが鮮烈な芳香となって人々を魅了し、思考のすべてを破壊してしまうことを彼女は嫌というほど自覚していた。



それは、同じく宮廷魔術士のリヴェロが彼女を口説いた時だった。詩を詠みながら窓辺に寄りかかり、囁くように彼女の美しさを讃える。あるいは出仕したばかりの侍女たちであれば甘いため息を吐いて恋の泉に沈んだかもしれない。だがプルウィアは自身が人を恋に沈める魔力を持っている。

口説き落とすうちにリヴェロは彼女の魅力に目眩を起こし、やがてその美しさを独占できない悲しみに支配され、窓辺からそのまま身を投げてしまった。


哀れな魔術師を見下ろしながら、彼女は深いため息を吐く。

まるで退屈な劇でも見せられているように、手すりのうえに頬杖を立て、リヴェロの魂がゆっくり昇華されるのを眺めていた。



そんな彼女だから、美しさを讃える噂は異国まで独り歩きした。

多くの王族が彼女に会うことを願いスライラダの王家を訊ねたが、たいがい叶うことはなかった。プルウィアは人前に姿を晒すのを拒み、城に訪れる誰とも決して会うことをしなかったからだ。


俺がプルウィアに会えたのは偶然だった。


主人の貴族はひどい癇癪持ちで、プルウィアに会えないことが分かると悪口雑言でスライラダ王をなじった。

貴族は大国の伯爵位だった。個人の軍事力と資産はスライラダの一国に比類するほど。

怒らせたまま帰していい相手ではなかった。

王もそれを感じ取ったのだろう。プルウィアに会わせないかわりに、最上位のもてなしと手土産を貴族に持たせた。


しかし貴族は引き下がることはなかった。

魔女に会わせなければ戦争を始めてもかまわないとさえのたまったのだ。


ここまで大国の貴族を怒らせてしまっては、プルウィアのわがままを聞いている場合ではない。そう考えた王自らが魔女に打診し、ついに彼女が貴族の前に姿を表すことに。


魔女とはいえ、王よりも会うことが難しいなど他国では前代未聞。それほど彼女の魅力は伝聞され尽くし、物語のヒロインのごとく神格化されていたのだ。


俺は貴族の付き人兼奴隷として謁見が叶った。


それは見事に美しい人だった。

儚く、か弱く、宝石を人に変えたような女性だ。

その場にいる誰もが彼女に見とれた。


主であるスライラダの王でさえ、彼女の一挙手一投足に見とれていたのだから、異様な光景とも言えた。


穏やかな表情と裏腹に、その声と仕草には強固な意志が含まれていた。

誰にもなびかず、誰も彼女を従えることは叶わないのだと、その場の誰もが思い知った。はずだったが…


愚かにもスライラダの女神を手篭めにしようと企む者がいた。

主である高慢な伯爵貴族だ。


男は彼女に会う以前にも増して王に凄んだ。


魔女を寄越さねば戦争だと。

約束が違う、などこの男には通用しない。


欲しいものは何でも手に入れる。自分が欲しいといえば相手は命さえ差し出すのが当然。そのように教えられ、またそれを体現しながら生きてきた男なのだ。


奴隷としてこの男の使用人となった俺も、男の言動には日々疑問を感じていた。


だからつい言葉を零してしまったのだ。

鼻息を荒くして魔女に迫る伯爵に対し、「おやめください」という一言を。


伯爵はほうけた顔で俺を見たあと、みるみるうちに額が赤く染まり、激昂の雄叫びを上げた。

身内でなく、重臣ですらない奴隷の男が自分に苦言を呈したのだ。

たった一言とはいえ、彼に殺意を決心させるには十分な理由となった。


謝罪の言葉も聞かぬまま護衛の兵士に俺を斬らせた。

謁見の間の床に血のシミが広がる惨事となったが、伯爵にはどうでも良かった。


他者の生き死にはすべて自分の気まぐれで与えもし奪うのだと、スライラダの王を脅す格好の材料。それが最後に与えられた俺の役割だった。

自らに与えられた権利に酔い浸り、さあ魔女をよこせと醜く笑う伯爵を見ながら人生を終えるとは、何ともつまらない。


そう思っていたときだった。


閃光が周囲を包むと、直後に伯爵を始め家臣団と護衛の兵士たちが一瞬で灰となり消し飛んだ。


魔女の手には太古の模様が刻まれた杖が握られている。


どうやら伯爵はプルウィアの逆鱗に触れたらしい。

生殺与奪の権利を持つ者は伯爵ひとりではなかったことを、その場にいた全員が思い出した。

不死の魔女がその膨大な人生の時間を使って、恐ろしい威力の魔術を創り上げていたということも。


なんとも胸のすく光景だ。

好んで伯爵の奴隷だったわけじゃない。伯爵が死んだことで、喉の小骨が外れたような安らかな気持ちが芽生える。

つまらない人生と思っていたが、何の。最後に面白いものを見れた。


思わずフッと笑みを浮かべたからだろう。

俺を見た魔女が不思議そうに首をかしげる。


瀕死の男が血を流し、床に倒れ笑っているのだ。

そりゃ首をかしげたくもなる。


魔女が何かをつぶやいた。

よく聞き取れなかったが、鈴の音のような声だった。


それから白い光に包まれていく。

これが死だと自覚するのに時間はかからない。





それなのに俺は再び目が覚める。

魔女の傍らで、小さな子どもとして。


「お寝坊さん」


魔女が頭をなでた。

何が起きているのか理解できない。


自分の小さな手足。そして同じベッドにゆったりと横たわるプルウィア。

燐とした先ほどまでの雰囲気とうってかわり、どこにでもいる少女のように麻の質素な服を来て深い黒髪を背中でまとめてる。


「俺に何があった?」


魔女はくすりと笑った。


「あなたの死体を蘇らせたの。使い魔としてね」


使い魔というのは人間でもなれるものなんだろうか。魔女の言葉を聞いて真っ先に思い浮かべたのがそれだった。


「体が縮んでしまったのはね、死を打ち消す代償よ。あなたは二度と大人になれないし、死ぬこともない。未来永劫生き続けなければならないの。私のように」


ある者にとってそれは、死刑宣告より残酷なのかもしれない。

それでも俺にとってはさほど重要なことじゃなかった。


死ぬも生きるも同じこと。

伯爵のもとで生きていた俺は、ある意味では死んでいた。心を殺しながら生きていた。


だがこの魔女ならば心は死なずに済むかも知れない。

面白いものを見ながら以前よりは退屈せずに済むのかも知れない。


妙な話だが不思議とそんな確信があった。


「なるほどね。どうして俺を使い魔に?」


「……驚かないのね。もっと絶望すると思ったわ」


「死なないことにか?」


彼女はこくんとうなずく。

不死は彼女にとって苦痛の代名詞なのだろう。


「不死がどんなものか知らない」


「そうね。感じ方は人それぞれだわ。あなたなら案外うまく付き合えるかもね。終わりのない人生に」



結局どうして俺を選んだのはかは教えてくれずじまいだった。


だが彼女はとても優しかった。

彼女の使い魔にふさわしくなるべく、朝から晩まで魔法を教わった。

決して苦しい修行などではなく、論理的に効率良く、十分な休息を取りながら。


彼女は教えるのがとても上手だった。


10歳前後の体のまま成長が止まった俺にあわせ、サイズのちょうど良い杖をプレゼントしてくれたりもした。


プルウィアは宮廷魔術士だが、王のもとへ出向くことはほとんどなかった。


広大な宮廷の敷地に離れ家をおき、俺とふたりひっそりと暮らした。

そこは誰も訪ねてくることはない。王や側近はおろか、宮廷に仕える侍女たちでさえも。


魔女に用事があれば、壁に貼られた特殊な魔法紙にメッセージが浮かび上がる。

もっともそこにメッセージが浮かぶ様を見ることさえ滅多にない。


寝るときはいつも彼女と同じベッドだった。

プルウィアは口数が多い方じゃなかったが、寝る前だけはいつもより饒舌になり、思い出話や過去の失敗談を語ってくれた。

しゃべりつかれると俺の肩に腕を回し、体を寄せすやすやと寝息を立て始めるのだ。


使い魔と言うよりまるでペットだと思ったが、彼女がそばにいると不思議と心が安らいだ。伯爵の奴隷だった頃は感じたことのない安心感が胸を満たし、それが幸福と呼べるものだということにしばらくたってから気づいたのだった。




バラ園は彼女のお気に入りだ。

季節に関わらずいつも満開のバラが咲いており、あちこちから甘い香りが立ち込める。


「ノエル、こっちに来て」


彼女につけられた名前だ。実に少年らしい名前だと思う。以前の名前は長いし、気に入ってもいなかった。それに比べればノエルというのはとても良い名前だと思う。


「レイエ草があるわ。魔法薬の種類が増えるわよ」


彼女のバラ園ではしばしば希少な薬草が採れる。

特殊な魔力に満たされた庭園だからだろう。それらは希少な魔法薬の材料となり、その研究に熱心なプルウィアに喜びをもたらすものなのだ。


「これは秘密の調合なのよ?」


いたずらっぽく笑いながら彼女は秘密でも何でもなさそうに、人を生きながら奴隷人形に変える魔法薬を作ってみせた。

恐ろしい効能と裏腹に、その薬はとてもきれいだった。星屑を混ぜたような光る液体をプルウィアは愛おしそうに眺めた後、それを持って地下室へ消えていく。

そこに入る許可は得ていなかった。何が行われているのかも彼女しか知らない。

時折彼女が外出先から大きな布袋を持ち帰り、地下室にそっと運び込むのを何度か見た。彼女は俺に気づいたが、何でもないことのように微笑むと無言で地下室への階段を降りていく。布袋はちょうど人間がひとり入るほどの大きさだった。


彼女は不思議な人だったが恐ろしくはなかった。

優しく笑いながら俺の髪をすく姿は、面倒見の良い姉のようだった。


ちょうど俺にも姉がいたな、とふと思い出す。幼い頃死に別れてしまったが、どこかプルウィアと雰囲気が似ていたように思う。あるいは理想の家族像をプルウィアに重ねていただけかもしれないが。




スライラダの国境で何度か小競り合いが起きていた。

戦争とまではいかないが、火種が大きくなるのは時間の問題だった。


原因はあの伯爵貴族の消失だ。

消えた家臣団と伯爵の安否を知りたがる隣の大国を煙に巻くのも限界がある。


魔女絡みで諍いがあったのだろうと踏んだ隣国は、真相解明に向けて兵を出した。

だがそれは体の良い支配戦争だ。隣国の王は高慢な伯爵貴族など本当はどうでも良い。攻め入る口実が欲しかっただけなのだと、王室の者はみな分かっていた。

とはいえ失態を犯したのはこちらだ。よほど納得できる理由がなければ隣国は侵攻をやめるつもりもないだろう。


そしてプルウィアが駆り出される。

元はと言えば彼女の短気が原因なのだから尻拭いは当然だと、彼女自身も思っていた。



「行ってくるわ」


まるで市場に買い物にでも行くように、軽やかに家を後にした。


それから二週間、彼女の伝令魔法で戦争が終わったという連絡が入った。

隣国は国境から引き上げ、こちらも目立った被害は無かったという。


隣国の兵たちが数千人規模で消失したというのっぴきならない噂が独り歩きしていたが、その真相は俺や国民に知らされることは無かった。



プルウィアは「ただいま」と出かけたときのような柔らかな笑顔で帰ってきた。

湯を沸かし食事を作ると、彼女はそれを少しだけ口にしてベッドに横になった。


毛布にくるまるプルウィアがふと気になり、部屋の明かりを消して俺も早めに床につく。

彼女にしては珍しくベッドでも口数が無いまま眠りについたようだ。


きっと疲れたのだろう。彼女の髪をそっと撫でる。

そしてふいに目が合う。

彼女は眠っておらず、泣いていた。


どうしたのだろうと涙を指ですくう。

彼女は脆く、そのまま崩れ去ってしまいそうに思えた。


初めてのことだったが、俺の方から彼女の肩に腕を回し、もう一度優しく髪をなでた。

プルウィアは腕の中で抱かれるがままでいたが、やがて体を震わせ、声を上げて泣き始めた。


しばらくの間泣きたいままにさせ、やがて疲れて本当に眠ってしまうまで彼女を抱き続けた。




「ノエル、紹介するわ。もうひとりの使い魔よ」


いくつかの季節が巡ったころ、プルウィアが小さな女の子を突然連れてきた。

夕食のシチューを大鍋でゆっくりかき回している最中だった。


初めはそれが人だと分からなかった。

ドワーフのように体が小さく、髪も着ている服もボロボロだった。

城中の大理石を雑巾で磨いたってここまで汚くはならない。そう思える程だった。


おそらくこの娘を連れてくるときに、城中の者たちが顔をしかめ袖口で鼻を覆ったことだろう。

そんな様子がありありと目に浮かぶ。


もっとも俺の生まれ育ったスラムの地ではいたって普通の姿だ。

俺自身この娘と同じような姿をした子供だったはずだ。


「すぐに風呂の準備をする」


そういって大釜の台から降りると、プルウィアが「お願いね」と言いながらにっこりと笑った。



まるで初めて風呂にでも入るように、少女は緊張しながら湯船に体をつけた。

実際初めてだったのかもしれない。しばらくすると、まるでこの世の天国にでもたどり着いたように顔をゆるませ、少しして泣き出した。


少女は7歳だと言った。


どこで拾ったのかとプルウィアに聞くと、売れ残った奴隷が家畜のように殺されようとしていたから連れてきたのよ。と、こともなげに答えた。少女を殺そうとした奴隷商がどうなったかは聞かないほうが良いのだろう。


名前の無い少女をリアと名付けた。

死んだ姉の名前だ。


深い意味は無い。少女に名前をつけろとプルウィアに言われ、思いついたのがそれだったからだ。


リアは使い魔ではなく単なる居候だった。


魔法を教わるわけでもないし、洗濯や料理をするでもない。

これまでのように家事は俺がこなし、プルウィアに魔法を教わるのも俺だった。

かといってそれが不満ではない。

7歳の少女にあれこれ手伝いをさせるつもりはなかったし、子供は自由に遊んで過ごすべきだというのが俺の考えだったから。


リアはとても絵がうまかった。

プルウィアがいないとき、リアは鼻歌をうたいながら羊皮紙に空想の動物や、奴隷として売られる際に馬車から見た景色を巧みに描いていた。

そしてプルウィアが帰ると、リアは毎晩絵本を読んでもらっていた。

魔法書ばかりの本棚にいつの間にかリアのための絵本が幅をきかせていた。


リアはよく笑うようになった。


コロコロと心地よい笑い声が王宮の片隅に毎晩響いた。


俺とリア、プルウィアは三人で並んでベッドで眠った。

家族のようにぴったりと体を寄せ合って。



嘘みたいに幸せだった。

報われない前世を哀れんだ神が、とびきり幸福な来世を与えてくれたのだと思った。


この幸せが永遠に続くと信じきれるほど、穏やかな人生を生きてきたわけじゃない。

だがそれでも、この幸せがずっと続くことを願わずにはいられなかった。



さらに季節が巡った。


リアが13歳になると、魔女プルウィアの威光もあってか、王立学院へ進学できることになった。

貴族とその師弟たちが通う学校だ。13歳からの5年間、学院の寮で暮らしながら王国幹部になるための知識を学ぶのだ。


「ママと離れたくない!」


リアはプルウィアをママと呼んでいた。

泣きながらしがみつく姿は、彼女を拾ってきたときの不安な表情そのものだった。


「心配ないわ。寮は王宮のすぐそばだもの。不安になったら帰ってくればいいのよ」


「……ノエルは一緒に来ないの?」


背丈はとっくに俺を追い越してる。潤んだ目で訴えるようにこちらを見た。


「こう見えても中身はオッサンだ。今さら若者に混じって勉強する気はない。それに俺は……プルウィアの使い魔だからな、こいつから離れるわけにいかない」


「ずるいよ、私も使い魔になりたい!」


魔女はそっとリアの髪をなでた。


「ずっと一緒にいられるわ。王立学園を卒業したらね」


それでもリアは不服そうだったが、やがて腹を決めたようだった。

わずかな間ではあるが至高の魔女と共に生きたのだ。いざというときの覚悟くらい持ち合わせていた。



魔女の後ろ盾があるとはいえ、家格を持たない元奴隷少女が貴族の中でやっていけるのか送り出す方としても不安はあった。

必要な知識と礼儀作法は教えたはずだとプルウィアは言っていた。今思えば最初から入学を見越していたのだろう。少しずつリアに淑女教育を施していたのはこのためだったのだ。

実際リアは完璧にプルウィアの教育を身に着けていた。だが横柄な貴族たちの選民思想を何度も目の当たりにした俺からすれば、リアの安全を一日中見守っていたい気分だった。


それはプルウィアも同じだったらしい。最も俺とは違う、より現実的な方法でリアを守っていたようだが。

それが貴族たちへの根回しだ。彼らが喜ぶ贈り物を携え、それぞれの領地を訪ね歩いた。

稀代の魔女が自分たちの屋敷を訪れるのだ。我が子がリアの同級生だったことをこのうえなく幸運に思った貴族たちは、口々にリアと懇意になるよう子どもたちに言い聞かせた。同時に、決して粗相をするなとも。


かつてスライラダが隣国の戦火に呑まれようとしていたとき、隣国の兵士たちに魔女が何をしたのか、貴族たちだけは知らされていたらしい。

リアという存在は家名と魔女をつなぐ強力なパイプであると同時に、扱いを誤れば大きな破滅を招く何とも複雑なものなのだ。


根回しが効いたのだろう。取り立ててリアが仲間はずれにされることもなく、やがて学院内で少ないながらも心許せる友人が出来たようだった。


夏休みになると、友人の持つ別荘に招かれることもしばしばあった。

そんなとき必ず同伴者として付いていくことになったのが俺だった。それは構わない。だがリアが友人に俺を紹介するとき必ずこう伝えるが不満だった。


「紹介するわ。弟のノエルよ」


見た目を思えばそう言うしかないのだが……魔女に出会う前と合わせればかれこれ四十になるというのに。


「可愛いわね。私もこんな弟が欲しかったわ!」


そう言って頭を撫でられるのはこのうえなく嫌だった。もっとも、遠くから様子を見ていたプルウィアはおかしくてたまらず、その場で大笑いしていたそうだが。


リアは淑女としての嗜みと知識を驚くべきスピードで身につけていった。

学業は誰よりも優秀で、魔法の才能もあった。

初めて会ったときからは想像もつかないほどの美しい容姿を手に入れ、その振る舞いひとつひとつにため息が出るほどの優美さがあった。


一体プルウィアはリアにどんな魔法を使ったのかと疑わざるを得なかった。


「あら。私は何もしてないわよ。彼女の持ってる素質を磨いただけ」


こともなげに答える。

真相は知らないが、リアが俺たちにとって自慢の娘になったことは確かだった。



リアが18歳になった。


学院を卒業すると、貴族の子息たちが一斉に彼女に求婚した。

ある者は婚約者との約束を破棄し、ある者は爵位を破棄してでも彼女と結婚したがった。


そのなかの誰にもリアが首をたてに振ることはなかった。

彼女は言った。


「私はもっと勉強がしたいわ。算術や、経済。ママのように魔法薬のことも学びたい。結婚なんかでお飾りの人生を送るのはまっぴらよ」


平民が貴族の求婚を断るなど前代未聞。へたをすれば投獄されてもおかしくないが、そこにもプルウィアの威光が効いていた。

断られた貴族の子息たちは力なくそれを受け入れ、再び身の丈に合った淑女たちを結婚の相手に選ぶのだった。


「本当に良かったのか? 元奴隷が貴族に嫁ぐなんて普通じゃありえない幸運だ。一生贅沢して暮らせるのに」


それを聞いたリアがいたずらっぽく笑う。


「言ってなかった? 私はね、貴族が大嫌いなのよ。ふふ」


貴族に翻弄された結果、奴隷となって殺されかけたのだ。リアの気持ちも分からなくはないが。


「それにね。ようやく学院を卒業してママと暮らせるの。もう離れ離れなんて嫌よ。……もちろんノエルともね」


「はいはい」


それは俺も同じだった。

ようやくまた家族がひとつになれたのだ。素直に嬉しかった。



再びプルウィアと、リアと、俺の三人暮らしが始まった。


小さかった女の子はプルウィアと並ぶ美女に変貌を遂げたが、変わったのはそれだけだ。

リアは勉強の合間に絵を描き、夜はプルウィアと並んで本を読む。まるで姉妹のように仲が良く、肩を並べ同じ時間を過ごした。


穏やかだった。


どこまでも平穏で、起伏の無い人生。


これこそ、俺が何より求めていたものだった。

幸せだった。


「ありがとう、プルウィア」


あるとき何気なくプルウィアに言った。


「どうしたのよ、急に」


プルウィアが笑う。


「これまでずっと思っていたことだ。あのときプルウィアに命を与えられたから、今の俺はこんなにも幸せでいられる。本当に感謝してる」


プルウィアが静かにうなずく。その顔はなぜか少しだけ悲しそうだった。




それから何度目かの冬。プルウィアが体調を崩して寝込んだ。

彼女にしては珍しい。というか長年一緒にいて初めてのことだった。


「しばらく休めば良くなるわ」


最初は気丈に言っていたプルウィアだったが、体調は一向に良くなる気配が無かった。


だんだんベッドから起き上がれる回数が減り、食事はすりつぶしたものしか飲み込めなくなった。

排泄に行けず、リアと交互におしめを取り替える。

これとよく似た状況をかつてスラムで見たことがあった。


年老いた者が死を前に迎える、衰弱という症状だ。


月の明るい澄んだ夜、リアが眠っているのを確認してからプルウィアにそっと尋ねる。


「あんたは不死じゃなかったのか?」


少しだけ目を丸くしたあと、彼女はふわっと微笑んだ。


「違うわ。……年を取らないのは本当だけど」


ああ、そういうことか。

彼女の目を見て思惑を察する。


「だからリアを連れてきたんだな?」


静かにプルウィアがうなずいた。


「魔女は力を受け継いでからじゃないと、きちんと死ねないの。悪い存在になって国に災厄をもたらしてしまう」


「何代ものプルウィアが力を繋いできたってことか」


「ええ。数えるのも馬鹿らしいほどたくさんの魔女がいたわ。私はそのすべての記憶を引き継いでいる。私のあとはリアが引き継ぐ」


リアは恐ろしいほど美しくなっている。リアが新たなプルウィアになろうと、ひょっとしたら誰も気づかないんじゃないかと思う。ある一定の高みを超えた美しさは、その者たちの個性を奪い去るからだ。

これまでリアが己を磨き上げてきたのは、まるでプルウィアの新たな器となることを予感していたからのように思えた。


「彼女ならうまくやれる。あなたもいることだし」


「俺はあんたに救われたんだ。あんたが死ぬなら、俺はもういい」


そう言うとプルウィアが静かに首をふる。


「そういうわけにはいかないのよ。あなたは生きて私たちを支える役割がある。とても残酷だけど、そういう運命に私が変えてしまった」


「あんたが作った運命だ。終わらせることも出来るだろ?」


彼女が澄んだ目でじっとこちらを覗き込んだ。


「リアを支えて。彼女はまだ本当の孤独を知らない。受け継がれる記憶の重みに耐えられない。幼かった私のように」


「使い魔を育てたのはそれが目的なんだな。記憶を引き継ぐ重みをともに受け止めてくれる者が欲しかった」


「そうよ。あなたを選んで本当に良かった」


「どうして?」


「無事にあなたを愛せたから……」


心臓がことりと音を立てる。


「愛する人が一緒なら不安は少ない。私の記憶を引き継いだリアも、たぶんあなたを愛す。そしてリアの後にプルウィアになる者も。その後もずっと」


「俺の気持ちは……考えてくれないのか?」


「ごめんねノエル。私はこの通り、あなたとはもう一緒にいれないの」


生温かい何かが頬を伝う。久しく覚えのない感触。


「恐れないで、私は消えない。肉体が終わりを迎えるだけよ。これからも一緒にいる」


「俺が愛するプルウィアはあんただけだよ」


「ふふっ。聞き分けのない子ね」


プルウィアがそっと俺の頬を拭った。



彼女はそれから8日生きた。


途中様々な話をした。出会ったばかりの頃みたいに。

幾人もの魔女が紡いできた歴史はどれほど語られても尽きることはなく、穏やかで親密な時を三人で過ごした。


9日目の朝、彼女を何度揺り起こそうとしても目覚めることは無かった。

美しかった姿のまま、眠るように彼女はプルウィアの役目を終えたのだ。


その日の朝にリアはプルウィアの記憶を宿していた。

彼女の死と同時に魔力が乗り替わり、リア自身がプルウィアとなった。



「君は良かったのか? プルウィアになって永遠の輪に連なることになるが……」


「ママはちゃんと選ばせてくれたわ。別の人生を歩く道もあったけど、私はママの望みを叶えたかった」


「記憶を受け継いだんだろ? 辛くないか?」


「不思議な感覚ね」


リアが苦々しく笑う。


「ママがいなくなってすごく寂しいの。でも私自身がママでもある。記憶だけじゃない、人格や感情まで受け継いでしまったみたい。もちろんノエルのことも……」


「よせよ。俺はリアの弟だろ?」


「友人の手前よ、本気で言ったことなんてない。あなたは汚れた私をお風呂にいれてくれた。嫌な顔をせず、優しく髪を洗ってくれた。そのときから特別なのよ?」


「当たり前のことをしただけだ。それに俺がガキの頃はあれよりひどかった」


ふふっとリアが笑う。



変わったことはそれほど多くない。


何代目かのプルウィアが死に、何代目かのプルウィアが誕生したことを王に報告した。

新たな宮廷魔術師にリアが任命され、誓約書への署名をもって公的に彼女がプルウィアであることが認められた。

極めて事務的な儀式だった。


それが済めば、あとはかつてと同じ日々が繰り返される。


二人並んでベッドで眠り、家事の傍らで魔法を勉強する。

膨大な記憶を宿したリアは、途中で止まっていた魔法学の講師を引き継ぎ、俺に教える。


次第にリアの人格はプルウィアに統合されていく。

プルウィアという総称たる人物になり変わっていくように。


まるで、いなくなったのはリアという少女の方だったかと勘違いするほど、リアはかつてのプルウィアと完璧な重なりを見せていた。


「大事なのは、あなたが私を覚えていてくれることよ、ノエル。その真実さえあれば私の全部がママに変わっても構わない」


「リアを忘れるわけないだろ」


「……うん。あなたは忘れないわ。大丈夫よ、私のノエル……」


自らに言い聞かせるようにつぶやき、俺の肩に腕を回す。

怖くてどうしようもないのを押し殺しながら毎夜眠りにつくのだ。


俺に出来るのは彼女が眠るまで髪を撫でること。連綿とつながる記憶に彼女が押しつぶされてしまわないように、ささやかな温もりを与え続けること。それだけだ。



幾重にも継承される魔女の記憶。

かつてのプルウィアは孤独のなかで苦しみと重さに耐えたが、今は違う。

使い魔となった俺が、いつでもその手を握り返す。


生き続けなければいけないのならそうしよう。


こんな存在でも必要としてくれるのなら、彼女たちのために命を燃やし続けよう。




「この薬草を覚えてるかしら?」


バラ園の一角でリアが言った。


「確か、レイエ草だったよな。珍しいんだっけ?」


「あら覚えていたのね。そうよ、正解」


「そりゃどうも。……それで、今度はどんなおそろしい調合薬を作るんだ?」


それを聞いたリアがふわりと微笑んだ。


「ふふふ、これは秘密なんだけどね……」


彼女がキラキラと目を輝かせる。

俺が知るかつてのプルウィアの姿が、淡い日に照らされた花のようにそっと、リアの笑顔に重なった。



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