まずは車でしょ


 俺は車を所有していない。よって、移動手段にそれを求めるならば購入するしかないのだが……。


 時間停止世界で営業してるディーラーは存在しないだろう。


 通り沿いにある某車メーカーの看板を見上げる。

 こういう事態だし、悪いが協力してもらおう……。


 店内に入ろうとするがドアが開かない。


 そうか、電気が止まっているから自動ドアが開かないんだ……。

 そもそも営業時間ですらないし。


 ダメじゃね?

 車のキーがなけりゃどうにもならない。


 店の外にある試乗車のそばへ行く。

 まさかキーが付けっ放しということはないだろうが、淡い期待を込めてだ。


 中を覗き込むと最新のステレオが見えた。コンパクトカーだがオプションはフル装備されているようだ。購入したら300万円くらいか?


 ドアに手をかけると、静かに開いた。

 鍵はかかっていなかった……。さっきも家の鍵が開いていたが、偶然が続いたのかな?


 運転席に座りエンジンキーを探すが、やはり見当たらない。

 そうだよな、置いてるわけがない。


 ならどうするか。

 車がダメなら自転車もある。だが市内はともかく他県への移動には無理があるよな。それこそ何年かかるって話だ。


 通りをまばらに走っている車に目をやる。

 今は停止しているが、実際にはかなりのスピードを出しているはずだ。

 あれを動かすことは出来るのか? 

 

 直感だが無理だと思う。すでにエンジンがかかり、アクセルが踏み込まれた状態で停止しているのだ。仮に動いたとしても、どんな状態になるのか分からなすぎて怖い。


 信号で止まっている車は……?

 

 それも難しそうだ。

 エンジンはかかったままだ。更にエンジンをかけ、走行するという行為は不可能だろう。


 ダメだ。どうしても理屈っぽくなる。

 仕方ないといえばそうだが。ここでは何もかも未知なんだしな。

 どういう物理法則が働くかだけは、慎重に検証する必要がある。

 病院が稼働してない以上、大怪我をすればそこでゲームオーバーなのだ。


 そんなことを考えながら何気なくエンジンボタンを押してみる。


 ブルルンと車が振動した。

 エンジンが……かかった?


 マジで? 何で?


 でもこれで移動が可能になる。

 もしかして超絶ラッキーなんじゃ……!


 もう一度車内を見回すが、やはりエンジンキーはない。

 どうしてエンジンがかかったのか不思議ではあるが、まあいい。

 ともかく車を発進させ、目的地に向かい通りを北上した。


 ガソリンも満タンに近い。当面は問題なく走れるだろう。


 ルームミラーに小さくなっていく某ディーラーの看板に向けて、「ありがとう。車、大事に使います」と呟いた。


 道路のあちこちで停止している車を縫うように避けて走る。

 さすがにナビは使えないようだが、持ち前の地図を見ながら道を進んだ。


 信号に足止めされないおかげで、とてもスムーズに目的地へたどり着く。他に動くものがないというのは非常にストレスがなく快適だ。


 車を降りて、地図上で赤く点滅する雑居ビルの前に立つ。

 嫌な雰囲気だな……。


 さっきのオッサンのことを考えると、ここでも結構えぐい事件が起こってるに違いない。

 あー、憂鬱だ。


 ビルのドアを開けて中に入る。

 6階建てのビルに十数個のテナントが入っているらしい。一つ一つ探した方がいいのか?

 

 それをする前に、人差し指と親指を再び擦り合わせた。もしかしたら……。


 予想通り地図はどんどん詳細になり、最終的にビルの見取り図を表示する。

 どれだけ精密なんだろう、この地図。

 

 ともかく一階に赤い点はない。

 次の階はどうだ……。ないか。次の階は……。あった。


 目的地は4階のひと部屋だ。


 エレベーターは使えないので非常階段から昇る。


 ふうっ、普段運動していないせいで足腰に来るぜ……。


 目的の部屋の前に行き、ドアノブを回す。

 ここでも鍵はかかっていない。ギィッと音がしてドアが開いた。


 中は薄暗く、入り口横の窓からは夜の街が見えていた。

 また時間軸がズレている。壁に掛けられた時計は23時を指していた。


 部屋の奥へ進むと、思わず目を背けた。


 一人の男性が裸のままベッドにくくりつけられている。それを複数人の男が囲み、その内の一人が横たわる男の腹部にメスで切れ込みを入れていた。切っ先からへその辺りがパックリと割れ、鮮血とともにピンク色の臓器が奥に見えた。


 ベッドは、マッサージでよく使われるような白い簡素なものだ。男とベッドの間にはビニールが敷かれ、おびただしい血が流れている。


 ガチでやばい……。吐きそう……。

 

 男の口にはタオルを巻かれ、その表情が苦悶でひどく歪んでいた。


 ああ……、この人は麻酔も打ってもらえず手術を受けている……。

 手術……。こんな雑居ビルで?


 臓器目的か……。


 部屋の隅には2、3人の男女がロープで縛られたまま体育座りさせられている。

 血の気が引き、怯えた表情でベッドの男を見つめていた。


 次はこの人達の番なんだ。


 見たところ日本人じゃない。

 どんな理由で連れて来られたのか分からないが、不本意であることは間違いない……。騙されたか脅されたかしたんだろう……。えげつないな。


 こんな光景をいつまでも見ていたくないのでさっさと終わらせよう。

 そう思い、地図上の赤い点滅が黄色に変わるのを待つ。


 ところがいつまでも変化する気配がない。

 何で?


 どうすればいいんだろう。手順が必要なんだろうか。


 DV男の時みたいに、手術する男の体を押してみる。

 マスクをして手術帽をかぶっているが、隙間から見える目はカミソリのように鋭い。

 

 相変わらず点滅に変化はない。


 もし体に触れることが何かのスイッチならば、その場にいる犯罪者全員を触らないといけないのか?


 手術する男の他に、臓器を入れるであろう容器を抱えた坊主頭の男、たばこをくわえてニヤニヤしながら手術を眺める男、それぞれに軽くタッチする。


 すると地図の赤い点が点滅を止め黄色く変わる。予想通りだ。

 と思ったら、黄色い点が再び赤くなり点滅を始めた。何でやねん。


 他にも消す人間がいるのか……?


 ちょっと嫌だったが、手術が行われている隣の部屋を覗いてみた。


 何とそこでも手術が行われている。

 オイオイふざけんな、お前らどんだけだ。


 こちらで手術を受けているのは女性だ。隣の部屋の男同様に全裸で、俯せにされている。


 冗談じゃないよまったく。こんなの毎回見てたらおかしくなりそうだ。


 手術している男に触れると、赤い点滅が黄色く変わる。今度こそコンプリートのようだ。


 もう一度男に触れると、「捕捉シマシタ」という機械の音声が響き、男がパシュッと消えた。


 隣の部屋に戻り、容器を持った男、タバコを吸っている男を順々に消していく。


 そして最後に手術中の男に触れたときだった。

 有り得ないことが起こる。男がなんと突然動き出したのだ。


 顔を上げハッとしたように辺りを見渡す。周囲から音が消えたことですぐさま異変に気付いたのだろう。そして俺と目が合う。

 こういうとき何て話しかけたらいいんだ?

 ……こんばんは、とか?


 男は驚きながらメスを構えて叫んだ。


「だ、誰だお前は!! 何をしてる!!!」


 いや、むしろそっちが何してんすか!

 

 なんてことを口に出している余裕は無い。

 男が動き出したことは結構な衝撃だった。驚きと恐怖で心臓がバクバク鳴り始める。


「お、落ち着きましょう。えー……っと」


 いかん、どうすればいいんだ? この状況。落ち着けと言って落ち着くやつなんていない。しかも相手は麻酔無しで腹をかっ捌く犯罪者だぞ? そんな人種と交流したことがないし、正直テンパって考えがまとまらない。


 しかしそれは相手も同じらしい。時間停止した世界に動揺を隠せないのか、叫びながら俺に襲いかかってきた。


「何をしてると聞いている!!!」


 相手は鋭いメスを持っている。かすっただけで流血は免れないというのに、胸ぐらを掴み今にも突き刺さんばかりに目の前でそれを振りかざした。


 さすがに怖くなり、足で思い切り男を突き飛ばす。

 うまいぐあいに股間にクリーンヒットし、男は白目を向いて倒れ込む。そのはずみにベッドの角に頭をぶつけ、完全に意識を手放しぐにゃりと崩れ落ちた。

 ひとまず防衛には成功したようだが……。


 すると、再び機械の音声が辺りに響いた。「——重要人物、捕捉シマシタ」


 そして男がパシュッと宙に消える。


 重要人物だと? 犯罪者にもランク付けがあるのか?


 ともかくマジで驚いた……。心臓のバクバクがまだ止まらない。動き出すとかホント勘弁……。


 男が消えたとたん、部屋に明るい陽が差し込んだ。窓にかかったカーテンを開くと澄んだ青空が広がっている。

 時間軸が戻ったみたいだな。任務完了だ。


 ……でもベッドの男は腹を開かれたままなんだけど。これ、放置しといて大丈夫なのか?


 DV男の時は外へ出て戻ったら室内の状況が変わっていた。ここもそうなのかな?


 試しにいったんドアの外へ出て、もう一度中へ入ってみた。すると、ベッドの男もロープでしばられた男女も忽然と姿を消している。

 代わりに段ボールが所狭しと積み上げられ、どうやら部屋ごと倉庫に使われているらしかった。


 なるほど。あの人たちの無事はともかく、この部屋が違法な手術室として使われることはなくなったのだ。


 やれやれ。そう思いながらビルを出る。


 しかしキツイ光景だったな。2件目が終わったところなのに精神の摩耗が著しいんだが。


 指をこすり合わせ地図を開く。

 点滅が減ることもなく、チカチカと騒々しく光っていた。


 これ……いくつあるんだろう?

 ひい、ふう、みい……ダメだ。数える気にもならない。

 片っ端から消してやると息巻いてはみたものの、勢いでどうにか出来る量じゃないのだ。冷静に頭を使い、計画的に行動する必要があるな。


 ひとまず家に帰ろうか。


 自由に動き回れるとはいえ、さすがに着の身着のままではマズイ。とても長い旅になるのだ。必要最低限の準備はしてから出発すべきだな。うん。

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